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三題噺  作者: 吾桜紫苑
3/15

3:アドベンチャー、浮気、「あっかんべ!」

もしかしたらあるのかもしれない、ずっと未来のお話。山大様からお子様お借りしております。

 ガッシャーン!!

「このガキが!」

 けたたましい破壊音と怒声が秋の夜に響く。窓が開き、千鳥足の男が乱暴にベランダに左手に握っていたものを投げ出した。

「……」

「クソっ、泣きもしねえで気色の悪い! そこで反省してろ!」

 調子外れの声で怒鳴り、男は一度中に入ると両手でバケツを持ち、投げ出した「もの」へと中身をぶちまけた。そのままの勢いで荒々しくベランダの窓を閉め、カーテンまで乱暴に閉じた。

 投げ出され、水をかけられた「もの」は、カーテンの向こうの人影が消えるのを待ってゆっくりと起き上がった。

 それは、4、5歳くらいの男の子だった。小さな体は折れそうなほど細く、あざや火傷が痛々しく肌に刻まれている。ポタポタと髪や上半身から水を滴らせている姿は見るからに痛々しい。

 けれど、それ以上に、子供は異質だった。暴力を振るわれても痛みに泣くでもなく、怯える様子もない。琥珀色の瞳に浮かぶのは、呆れ切った色──それは、大人の眼差しそのものだった。

「……はあ。ったく……」

 甲高く幼い声に似合わぬ溜息をつくと、子供は着ていたボロボロのシャツを脱いだ。雑巾絞りにしてから、色素の薄い髪と体の水気を拭き取る。もう一度シャツを絞り、着直した。

 身を縮めるようにして座る。幼児の握力で絞ったシャツは未だ水分を多量に含み、秋の冷えてきた夜の空気を吸い込んで容赦なく子供の体を冷やしていく。なるべく体に力を込めて寒気を凌ごうとするも、あっという間に震えが全身へと広がっていった。

「……」

 音が鳴りそうになる奥歯を噛み締めて、子供は顔を上げる。空に浮かぶ消えかけの月を睨んで、何事かを考え込むようなそぶりを見せた。血色の無い唇を薄く開き、けれど直ぐに引き結ぶ。首を軽く横に振ってまた顔を腕に埋めようとした、その時。


「──あ、いたです」

「──」


 ベランダに、人影が増える。

 子供が顔を上げると、そこには人の姿をした人外がいた。

 月の光を反射して輝く白い髪に、血のように赤い瞳。年格好は15かそこらだが、見た目通りの年齢が適応されない事を、子供は知っていた。

 否。

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「えっと……」

「……」

 やや困惑したように眉を下げた少女姿の人外を、子供は無表情で見上げたまま無言を貫く。しばし沈黙が続いたが、人外の方が恐る恐る声をかけた。

「あのー、記憶がなかったらごめんなさいです。けど……疾おじさん、ですよね。……おじさん……??」

 自分で問いかけながらも首を傾げた人外──白銀紫に、子供──波瀬疾が、溜息をつく。

「……少なくとも、この見た目で「おじさん」はないな」



「ええっと、見るからに寒そうですが……どうしたんです……?」

「……見てたから声かけたんじゃないのか」

「知ってる魔力そのままだったのと、チラッと見たらあんまりにも見た目が似てて、ついです」

「もし記憶がなかったらだいさんじだろそれ……」

 子供の声でやや舌足らずだが、受け答えは紫の記憶そのままだ。困惑しながらも、紫は鬼火を呼び出した。妖気を浴びせない距離で空気を温めると、疾は小さく安堵の息を漏らす。

「助かる」

「あの、上着貸すですよ。そのシャツも乾かしますから、脱いでください」

「……」

 やや躊躇したものの、疾は大人しく従った。その反応に違和感を覚え、シャツを受け取りながら紫は問いかける。

「それで、あの……転生、ですよね?」

「いちおうは」

「一応……」

 紫にも、疾が言葉を濁す理由は少しは察しがついた。

 本来、異能者は死後に死神または鬼狩りの任務について輪廻を待ち、記憶や外見情報をまっさらにした上で転生するはずだ。紫が知る例外として、かつて朝倉真奈と呼ばれた魔女は記憶を保持したまま転生しているが、それでも姿形は異なる。

 だが、目の前にいる子供は、子ども時代を知らない紫でもはっきり分かるほど、生前の姿そのままである。記憶も明確に残っている様子も合わせて、おかしい。

「瀧宮羽黒から何も聞いていないのか?」

「はいです。というか、パパも多分知らないと思うです」

 疾がシャツを着直しつつ紫に問う。紫が答えると、疾は視線を彷徨わせてから頷いた。

「……そういや、接触は避けていたか。そちらが協定通り死神との接触も控えていたなら、知らなくてもおかしくはないな」

「何かあったですか……?」

「それは、」

 何かを言いかけた疾は、パッと顔を上げる。

「隠れろ」

「え……あっ」

 紫も窓の向こう、カーテンを開けようとしている影に気づいた。鬼火を消しつつ上着を疾から受け取り、すぐにとぷんと影に潜る。

「おい! うるっせえぞ!」

 窓が開き、男が酒に焼けた声で怒鳴った。無言で見返した疾を見下ろし、癇に障ったように叫ぶ。

「ぶつぶつ独り言しておいて俺は無視かよ、気色悪ぃ!」

「っ」

 疾の肩を男が蹴った。小さな体が浮き、床に叩きつけられる。それでも顔を顰めただけで声も上げない疾に苛立ったのか、男はぐいと疾の腕を掴んで引き起こす。

「ほんっと、てめえが、てめえなんかが生まれたせいで、俺は何もかもめちゃくちゃだよ!」

 そう言って、男は手に持っていた煙草の火を首の根元に押し付けた。肌が焼ける音と、焦げた匂いが周囲に充満する。

「……っ、っう」

 弱い皮膚を容赦なく焼く熱に、流石に疾は身じろぎ、食いしばった歯の間から悲鳴が漏れた。それに気をよくしたのか、男は煙草を吸って火を熾し直して疾の目の前に突きつける。

「泣けよ」

「……」

 無言で見返した疾に、男は髪を掴んで持ち上げた。痛みに顔を歪めた疾に、酒とタバコの臭いがする息を吹きかけて言い募る。

「泣いてごめんなさい、許してくださいって言えよ。ええ? 家族を滅茶苦茶にしてごめんなさいだろ、ほら言えよ」

「……はあ」

 冷め切った目で、疾は吐き捨てた。

「バーカ」

 男が動きを止める。何を言われたのか分からないという顔から、じわじわと怒りを上せていく。その様子を冷たく見据えていた疾に、握り込んだ拳が振り上げられた。


「鬼の絲――ほうき」


「!」

「な、なんだぁ!?」

 疾が焦燥を浮かべた。同時に、男が狼狽の悲鳴を上げる。

「……何を、してるですか」

 影から姿を見せた紫は、両手指から伸びる糸で男を拘束したまま、無表情に問いかけた。

「おい……」

「なんなんだよ、なんで動けねんだ──おいガキ、何を連れ込みやがった!」

「質問に答えろです。何を、してるですか」

 紫の赤い目がひたりと男を見据える。酩酊もすっかり覚めた男は、怒鳴り返した。

「ああ? 何をだと!? ガキの躾によそモンが首突っ込むんじゃねえよ!」

「……躾?」

 ゆらりと、紫が動く。それを見て、疾が体を起こした。

「おい」

「これのどこが躾ですか。虐待の間違いです。小さな子供にこんなことして、殺すつもりですか」

「うるせえ! この程度で死ぬならこいつが悪いんだよ! そもそもこいつが──」

「もう、いいです」

 紫が手を持ち上げる。男の口が糸で塞がれた。鼻はかろうじて空いているが、苦しそうな呻き声が漏れる。

「おい!」

「おまえみたいなクズなんて消えてしまえ、です──鬼の絲」

「ど阿呆!!」

 疾が初めて声を荒らげた。


 ぶつ──っと。

 紫の糸が、全て千切れて消える。


「っ!!」

 思わず息を呑む。視線を向けると、疾が手を掲げていた。

(異能もそのまま……!? それは本当におかしいです、だって──)

 転生したら、異能も消えるのだ。新たに生まれた魂に降り注ぐ神の祝福が、異能なのだから。それすら変わらないとなると──

「一般人相手に馬鹿かてめえは! 殺す気か!」

 紫の思考を止めるように疾が怒鳴る。我に返った紫は、納得がいかずに言い返した。

「なんで止めるですか! こんなクズ──」

「くそッ、どいつもこいつも馬鹿にしやがって!!」

 腰を抜かしながらも、男が喚く。手近にあるものに縋るように疾の腕を掴むと、引きずるように中へと逃げ込もうとする。たたらを踏みながらも引きずられるままの疾に、慌てて紫は手を伸ばした。

「ちょっ、待っ──」


「──よお、何してんだ」


 咄嗟に引き留めようとして、紫も、男も、動きを止めた。疾の顔が歪む。

「ひっ!?」

 男の喉から悲鳴が上がる。先ほど紫に殺されかけた時とは別種の恐怖に、男が青褪めた。

 いつの間にか現れて男の腕を掴んだのは、全身黒ずくめの大男。サングラスの奥には右目に刀傷のような火傷、左頬に十字の傷跡があり、目つきの悪さと合わせてとてつもない威圧感を醸し出している。酒に溺れて子供に手を挙げる程度の男には、腰を抜かすことしかできない。

「パパ!」

 紫が声をかける。大男──瀧宮羽黒は視線を男から外して紫を見た。

「遅いから迎えに来たぞ」

「ごめんなさいです、ちょっと……その、紫もまだよく分かってないですけど」

 言葉を詰まらせて、疾に視線を向ける。つられて羽黒が目を向けた先、心底嫌そうな顔をした幼子に苦笑した。

「んな嫌そうな顔すんなや」

「最悪の気分だ」

「はっはー、そりゃよかった」

 愉快げに笑う羽黒に疾は舌打ちする。子供らしからぬ仕草に男が顔を歪めた。

「くそっ、本当に気味が悪ぃ……!」

「ほー……なるほどな」

 男を観察するような目を向けて、羽黒は軽薄に笑う。そして徐にポケットに手を突っ込むと、男に投げつけた。咄嗟に受け取った男が目を向く。

「な──」

 無造作にむき出しの札束を渡された事に硬直する男に、羽黒は言い放つ。

「そんだけあれば十分だろ、こいつもらってくぞ」

「は? おい、ざけんな──むぐっ」

 男よりも先に上がった疾の抗議の声は、ひょいと片手で持ち上げ肩口に頭を押し付ける形で封じられた。ようやく我に返った男に、羽黒は軽薄に嗤う。

「持て余してんなら俺がもらってやるよ。厄介払いが出来て金も入る、文句ねえだろ?」

「……っ」

 男の目に反感の光が宿るが、羽黒に噛み付く勇気はなかったらしい。忌々しげに吐き捨てた。

「……好きにしやがれ、はっ! せいせいする」

「毎度。じゃあ──」

 背を向けようとしていた男を、羽黒が開いている腕一本で胸ぐらを掴んで持ち上げる。サングラスの下、酷薄な光が男を射抜いた。


「──二度と人の親になろうとすんじゃねえぞ、クソゴミカスが」


「ひ……っ」

 硬直した男をポイと室内に放り投げ、羽黒は紫の方へと向き直る。

「帰るぞ」

「はいです!」

 ジタバタと暴れる疾をしっかり抱え直し、羽黒は紫とともにベランダから飛び降りた。そのまま路地の夜闇に溶けるように、その場を離れる。

「……自分で歩くから、降ろせ」

 歩き出して直ぐ、疾が唸るように羽黒に言う。睨み上げる眼光は生前そのままで、幼子には本当に似合わない。羽黒は苦笑いを浮かべて返した。

「ちょっと距離あるんでな、流石に歩幅合わせてたら夜が明ける。諦めてくれや」

「ちっ……」

 忌々しそうに舌打ちをして、疾は抵抗をやめた。苦笑いのまま抱え直し、羽黒は紫と隣り合ってただ歩く。

「そういえば、ママはどうしたです?」

「もみじは家で待機だ。ちょっと連絡も頼んで──」

 羽黒と紫の会話がしばらく続く。その間、疾は無言だったが、徐に口を挟んできた。

「おい。一度下せ」

「あん?」

「いいから下せ」

 そう言って身を捩った疾を、羽黒はしかし逆に抱え込む。

「眠いんだろ。そりゃそーだ、肉体的には起きてるのがおかしい時間だもんな。寝てていいぞ」

「ざけんな」

 トントンと背中を叩く羽黒に、疾は一層足掻いた。が、眠気がある幼児の体、しかも羽黒相手では抵抗にもならない。

「お前こんなとこで意地張ってどうすんだ。まあまあ怪我してるし、しんどいだろ──<無理しないで、体を休めろや。」

 言霊と、そう気づいたところでどうしようもなかった。

「っぁ──」

 疾の身体から力が抜けた。抵抗の気力を根こそぎ奪われ、羽黒の身体にもたれ掛かる。

「いいから、そのまま寝てろ>──お休み」

「……、く、そ」

 悪態が途切れ、規則正しい呼吸が響く。支えやすい形に抱き上げ直すと、紫が静かに口を開いた。

「パパ。その人……えぇと、疾さんと呼ぶです。疾さん、この時間にずぶ濡れでベランダに出されて冷え切ってて、そのあと蹴り倒されてタバコ押し付けられてました。多分、他にも怪我してると思うです」

「それでガキのくせに体温低いのかこいつ」

 ため息をついて、羽黒は視線を疾に落とした。顔にもうっすらとアザがあるのは、別の日に殴られた跡か。

「ま、流石のデザストルも幼児の頃は無力なガキだわな」

「違うです。疾さん、異能を使って紫の絲を消したです」

「……」

 羽黒の表情と空気が変わる。

「確かか」

「はいです。綺麗に消されたです。前に持っていたものと同じだと思ったです」

「そうなると、話は変わってくるな」

「あと、『協定通り死神との接触も控えていたなら、知らなくてもおかしくはないか』って言ってたです。多分、あっち関連で何かあるです」

 小器用に疾の口真似をした紫の頭を撫でて、羽黒は苦笑いを浮かべた。

「なるほど、嫌がるにも理由があったか。……ま、とりあえず家に戻って治療しようぜ。多分熱も出すだろ」

「ノワールおじさんには連絡するです?」

 紫の問いかけには、羽黒は首を横に振る。

「流石に今の情報だけじゃ迂闊に連絡出来ん。最低限こいつから聞き出して判断する。……下手打つと、さっきの男がいる街丸ごと消し飛ぶぞ」

「あう……」

 決してそんな馬鹿なと笑い飛ばせない、それが時の流れに置き去りになったノワールという男である。疾が傷だらけになっているのを見てどう動くか、想像がつかないことこそが恐ろしい。

「というわけで、とりあえず証拠隠滅──じゃねえ、疾の状況が普通くらいにはするぞ」

「ですね。……それにしても、寝顔はめちゃくちゃ可愛いですね。後で「あっかんべ!」やってくれないか、お願いしてみていいですか?」

「やめとけ、確実にキレる。こいつ執念深いから、10年単位でも忘れずに報復するぞ」

「えー……残念です」

 あれこれと話しながら、父娘は帰路を急いだ。



***



 疾が次に意識を覚醒させるまでに、丸2日経っていた。

「あら、目が覚めましたか?」

 目を開けて一番に飛び込んできたのは、黒髪黒目の女性──の姿をした、こちらも人外。見知ったその姿に、溜息をつく。

「……白銀もみじか」

「はい。お久しぶりですね」

「……世話になってるようで悪い」

「ふふ」

 何がおかしいのか楽しげに笑い、もみじは体を起こした。

「食べられそうなら、着替えて下に行きましょうか。幸い月波は今年豊作でしたから、美味しいものを出せますよ」

「……やっぱり、ここ月波か」

「はい。WINGへようこそ」

 にこやかに言うもみじに、疾はまた溜息を漏らした。



 階段を降りた先で、羽黒と紫が待っていたようにテーブルで疾の方に顔を向けていた。

「おはようさん」

「おはようです、疾さん」

「……おはよう、どーも世話になった」

 羽黒は棒読みの挨拶に苦笑して、疾が器用に椅子によじ登るのを眺めていた。

「とりあえず食え。なんか骨と皮みたいだぞお前」

「そこまでの栄養失調じゃねえよ、一応食うものはあった」

 言い返して、疾は運ばれてきたものに手を伸ばす。子供の手らしいぎこちなさを器用さで補いつつ、スプーンを口に運ぶ。それを見て、羽黒と紫も朝食に手を伸ばした。

 それぞれが食べ終えた後、もみじが食後のお茶を運ぶ。それを片手に、改めて羽黒が疾に聞いた。

「んで──何があった」

「……」

 疾は眉を寄せたが、ここにきて誤魔化す気はないようだ。肩をすくめて話し出す。

「見たままだ。死んでは生まれ直しちゃいるが、外見情報も魔力も異能も記憶も、全て引き継いでる。魔力や体の成長も生前とほぼ同じペースだ」

「何だそれ、冥府の仕業か? お前さんを永遠に鬼狩りとしてこき使いそうなもんだが」

 疾がその異能故、鬼狩りとして重用されていたのは羽黒もおおよそ知っている。彼の上司については詳しくは知らないが、疾を笑顔でこき使うような御仁と聞いている。てっきり今もどこぞで鬼狩りの仕事をやらされてると思っていたのだが、よく分からん転生をしていたらしい。

 怪訝な目を疾に向けたが、疾は表情を変えずに首を捻った。

「さあ」

「おい、誤魔化すな」

「違う。冥府にも分かっていない」

「は……?」

 3人が3人とも目を見開いた。それを見て、疾は茶を口にする。

「俺の現状は冥府にとっても原因不明の異常事態だ。俺は死んだ直後から長くても1年以内に、冥府を経由することなく、当然輪廻に組み込まれることもなく、全てを引き継いで生まれ直してる。今回で……4回目か」

「はぇえっ!?」

 紫が素っ頓狂な声をあげた。紅茶を溢して慌て、もみじが拭きとる。疾が両手で安定させてカップを扱っているのがなんとも対照的だ。吹き出しそうになりながら、羽黒が相槌を打つ。

「人生5回目かよ……いや待て、スパン短くねえか? まだ150年かそこらだろ」

「3回とも50少し過ぎたあたりでくたばったからな」

「はっや。え、お前1回目は普通に長生きしてたよな?」

「1回目がイレギュラーだったんだろ。残り3回、きっちり同じ日数で寿命を迎えてる」

 流石の羽黒も言葉を失う。が、疾は特に気にした様子もなく話を続けた。

「過去3回、16歳で冥府に行って確認しているが、数値ひとつ一切の変化がない。一度ならまだ冥府のミスという可能性もあるが、繰り返してる以上は偶然じゃ片付かない」

「どうして16歳なんですか?」

「……冥府にある最古のデータが鬼狩りになった16歳当時ってだけだ」

 もみじの問いかけに疾は簡潔に返す。それを受けて、羽黒は顎をさすった。

「なんか呪詛っぽいな」

 羽黒の言葉に、疾が頷く。

「当然そこも精査が入ったが、成果なしだ。……まあ、ある意味呪詛ではあるかもしれんが」

「ん? 見当はついてるのか」

「見当もクソもない、ただの消去法だ──俺がこんなイレギュラーを起こすとしたら、異能以外の原因なんざねえだろ」

 お茶を飲み終えたらしい疾が、カップを横に退けて頬杖をつく。

「呼び方は色々あれど、あんたも使っていた『魔素循環阻害』──それこそ、魂の循環をも阻害してるんじゃねえのかってな」

「……なるほど」

「が、じゃあどうやって阻害しているのか、そもそも冥府にすら辿り着かないのは何故か、そこが全く分からん。ここが解明されない以上、解決法もクソもない」

 そこで言葉を区切り、疾は深く溜息をついた。

「……で、16になったら冥府に行って鬼狩りに再任命、仕事しながら各地の文献漁っては思いつく限りの実験検証をして、くたばったら一旦リセットだ。前回思いつく限り仮説を挙げて時間のかかる実験は任せてきたが、正直鬱陶しいことこの上ないタイムラグだな」

「30年ちょっと調べて、赤ちゃんからやり直して、16年待ってまた研究……確かになかなか大変そうです……」

 指折り数えた紫がこくこくと頷く。羽黒は抱いた疑問をぶつけた。

「鬼狩りにならないっていう選択肢は? それこそ異世界飛びまくる方が良さそうだが」

「瀧宮羽黒。確か、鬼狩りになる際の首輪について知ってたな」

 問いに問いを返されたが、羽黒は気にせず頷く。

「任命時に局長が刻むとかいう、命令に逆らえないやめられない呪いみたいなもんとか言ってたな、どこぞの帰りたい病患者が」

「なんでわざわざそっちまで思い出させた……」

 ものすごくゲンナリした顔になった疾が、頭を乱暴に振ってから話を戻す。

「そもそも鬼を狩る行為そのものが魂への負荷になり、生涯鬼から狙われる理由となるからこその防具だっつう説もある。どのみち、これも通常は転生とともにリセットされるはずだが──」

 そこで言葉を区切り、疾は口元を皮肉げに歪めた。羽黒は思わず顔を上げる。

「おい、まさか」

「そのまさかだ。冥官に最初の人生で刻まれた首輪は、内容も制約も一切違わずに今日この日まで継続している」

「まじかよ……ガチの呪いじゃん」

「更新や変更は出来る。実際、俺が最初に事態を把握してまずやったのは、四神の契約解除だ」

「それも残ってたのかよ!? 嘘だろ!?」

 羽黒が驚愕の声を上げるが、疾は動じずに肩をすくめた。

「事実だ。解除した後はそれぞれの家の後継者と契約して、次の生では契約はなかった。よってある程度の変更はできるが──変更後の状態も引き継がれる」

「……」

 そこまで言うと、疾は一度口を閉じた。しばらく考えをまとめるべく黙り込んだ羽黒を見て、紫が問いかけを投げかける。

「えっと……疾さん。その、この事は、ノワールおじさんは知っているです?」

「知ってる、つうかそれこそ研究の手は借りてる」

「ああ、流石に黙ってはいないんか」

「まあ……1回目、俺が生まれた家を出たのが15になった時だったが、出て数日で拾われて事情を聞き出されたって形だが」

「ストーカーか?」

「若干疑った。が、偶然久々に狭間から出てきたら、俺の異能と魔力の気配が全く変わらぬまま漂うのに気づいて慌てて回収したって顛末らしい」

「なるほど、そりゃ異常事態って分かるわな」

 納得して頷いた羽黒に、疾も頷き返す。

「その後は大体10歳を過ぎた辺りで家出し、ノワールに拾われて、16で冥府に行くのサイクルを繰り返してる。俺も基本は狭間か冥府にいたから、あんたも気づかなかったんだろ」

「納得した。……ところで、なんでわざわざ家出してる? 別に家から通いでも良かったんじゃねえの、最初はずっとそうしてたろ」

「……」

 疾は一度押し黙ったが、羽黒が答えを待つ姿勢なのを見て渋々口を開いた。

「運が悪いだけだ」

「あん?」

「幼児期には自我が完成し、誰に教わらずともなんでもこなし、子供らしい言動の一切ない──そんなガキを不気味がらずに我が子として育てられる大人が、この世にどれだけいるのかっつう話だ。数少ないお人好しを何度も引き当てるほど俺は運が良くない、つーか悪い」

「……まあ、分からんでもない」

「あっちが態度を取り繕えなくなったり、家庭崩壊が起こりかけた時点で家出すると大体10歳以降になっただけだ。最初は家出後の身の危険を考えて、中学卒業まで引っ張ったが……精神のバランスを随分崩していたからな、流石に悪いと思った」

「……」

「今回も一応は迷っていたんだが……流石にこの体じゃあ拾われるより先に誘拐か補導、下手すればその前に妖に食われる」

「児相に駆け込むっつう選択肢もあったろ」

「公式記録が残るのは好ましくない」

「……ああ、そうか、お前途切れずに名前が残りかねないのか……」

「そういうことだ」

 転生の時間ラグがないという事は、過去の疾を知る人物がまだ生きているという事でもある。偶然だろうがなんだろうが、疾の事を知る人間が、同じ名前で人生を繰り返し続けている記録を目にしてしまう可能性は、0ではない。

「身体が成長すれば以前の魔力量に戻るが、それまでは一般人に毛が生えたようなもんだ。12で魔術師名乗るのがやっと、ましてや今の時点では記憶や記録消すなんて夢のまた夢だ」

「それこそ拾われついでに頼めばいいじゃん」

「毎回頼んでる。だがそれ以前にだ。就職先で、自分の先祖が幼児として保護されてたらどう思う? 確実に騒ぎになるだろ。あとついでに、見目のいい幼児が一人フラフラと彷徨いたら犯罪招き寄せるようなもんだぞ。親いたって色々あったからな俺は。下手すりゃ児相で被害に遭う」

「あぁー……お前そういやその面もあったな……」

 なるほど、これはちょっと羽黒でも裏道が見当たらない。家出をしてノワールに拾われるのが最適解だ。

「見事な八方塞がりです……けど、流石にあのゴミクズはどうかと思うですよ! なんで大人しくしてたですか!」

 紫が声を上げる。疾が胡乱な目で見返した。

「推定年齢5歳の幼児に無茶言うな。……夫婦のどちらにも似てないガキが生まれ、しかも子供らしさの欠片もなく可愛く思えない。周囲に謂れのない中傷を囁かれて疑心暗鬼になった夫婦は日がな物投げ合っての大喧嘩。互いに浮気に逃げ、先に女の方が出ていき、男がヤケになって酒に溺れて仕事を首になり、ガキ相手に鬱憤ばらし──陳腐な三文小説に山とあるような話だろ」

「…………」

「普通の子供が産まれていれば、普通の親で夫婦だったかもな。……かつて子を育てた親として、思うところは当然あるが」

 僅かに細めた琥珀の瞳に明確な侮蔑を浮かべた疾は、一つ息を吐いてそれを散らした。

「そういう弱い大人のなり損ないを、5回も人生やってりゃ1回くらい引き当ててもおかしくないさ」

「だからって……あんまりです」

「頭に血を上らせて妖力振るったてめえの方がよほどだっつうの」

 呆れをたっぷりと含んだその言葉に、眉を寄せた羽黒が聞き返す。

「紫?」

「……だって、殺しかねないような殴り方してたです」

「仮にも半吸血鬼半龍人だろ、せめて普通に手で止めろ。殴っただけでも潰れたトマトだろうに、ちょっとでも暴れたら腕が落ちるような糸使うやつがあるかよ」

「ほー……」

 羽黒が紫を見下ろした。汗をダラダラとかきながら俯く愛娘に、ニコリと笑って頭を掴んだ。

「いっだダダダ」

「後でゆっくり話な」

「うう……はいです……」

 しょんぼりと落ち込む紫から手を離し、羽黒は続いて疾に手を伸ばす。疾は振り払おうとしたが、当然のように握力一つで封じられた。

「で、クソガキ。大人しくやられてた理由はなんだ」

「だから推定5歳の幼児に無茶言うな」

「その推定ってなんだ」

「日がな酒呑んでろくに家も出ない男だぞ。電気もよく止められカレンダーもない、俺も生まれた瞬間から意識があるわけでもない。よって体のサイズと四季の巡りで推定」

「誕生日は」

「知らん」

「出生届は」

「あー……流石に出したんじゃねえの、たぶん」

 心底どうでも良さそうに返してくる疾に、羽黒はこめかみを抑えた。

「……理解はした。かといってわざわざ庇う義理もなかったろ」

「義理で言えば一応この年まで養われたという義理はあるのかもしれねえが」

 と、疾は言葉を切って肩をすくめる。

「まあ、両方の危険を乗せてどっちに天秤が傾くかっつうのは考えてはいたさ。運が良ければこのまま育つし、ならなきゃ一か八か逃げ出す、それはいつになるか、ってな」

「お前自分で運が悪いっつっておいて……下手すりゃ冬越せずに凍死だぞ」

「仮にそうなっても、どーせすぐ赤子からやり直しだ。寿命前の死亡データ取るのも悪くない」

「ほーおぉ? それが本音か」 

「い゛っ!」

 羽黒が、疾の頭に乗せていた手にほんの僅か力を込める。それだけで悲鳴を上げた幼子に、低い声で凄む。

「二度とやるなクソガキ、次はこんなもんじゃねえぞ」

「はなせクソ力……!」

 しばらくぐりぐりと力をこめてから、羽黒は手を離す。痛みで涙を滲ませつつも、疾は不機嫌そうに睨み上げた。

「……説明はもういいか」

「おう、取り敢えずな」

「取り敢えずってなんだ……まあ、こうなったらもう仕方がない。悪いが後でノワールとの連絡手段を貸してくれ、回収を頼む。先にこの臭え体洗ってくる」

 そう言って椅子から滑り降りて部屋を出ようとする疾を、慌てたように紫が持ち上げた。

「ダメですよ何を言ってるですか! 子供の事故はお風呂場が圧倒的一位ですよ!!」

「……あのな。湯船に浸かった場合だそれは、シャワーだけなら問題ねえわ。つーか親子ともども人を勝手に持ち上げるな」

「もー! パパなんか言ってやるです!」

「いや、まあ……シャワーならいんじゃね? なんかあったら声出せよ」

「ないとは思うが、分かった」

 流石に同情した羽黒からの助け舟に少し安堵を滲ませた疾は、器用に体を捻って紫の手を逃れて着地し、さっさと歩き出した。慌てたように、紫が案内に走る。

 両者の気配が消えるのを待って、羽黒は鋭く問いかけた。

「どう思う、もみじ」

「わかりません。私から見ても、彼の状態は異常だと思います」

「一応確認するが──」

「いいえ、アンデッドではありません」

 みなまで言わずに断言する。それを受けて、羽黒は乱暴に頭を掻きむしった。

「はー……いっそアンデッドの方がマシじゃねえのかこれ。まずいだろ」

「既に兆候はありますね」

 魂が全ての記憶を消して転生するのは、魂そのものの摩耗を防ぐためだ。記憶を残して転生を続ける疾の状態は、謂わば現世に漂い続ける幽霊に近い。肉体があるだけ少しはマシだが、それでも繰り返される転生は少しずつ魂を擦り減らしていく。

 もともと無鉄砲な性格ではあったが、羽黒が見る限り「死ぬかもしれない無茶をする」まではよくやらかしていたようだが、「死んで生き返る」を選択肢に乗せるほどではなかった。本人の自覚がないまま影響が出ていると見ていいだろう。

 仮にこれがアンデッドなら、もみじが精神を仮支配する形で魂を維持するという荒技もあるが、人間である以上はそれも出来ない。

「そもそも、てめえの身柄保護に回収なんて言葉使ってる時点で、あいつ自我が曖昧になりつつあるだろ」

「自我ははっきりしていますが、そうですね……今ある肉体を自分のものと強く認識出来ていないという印象です」

「なお悪いわ。……さて、どうするか」

 ガリガリと頭を掻いて、羽黒はため息をついた。

 疾が選んだ、ノワールを頼るという手も間違いではない。あの二人が本気で、冥府すら巻き込んで研究をするのならば、いつかは必ず答えを見つけ出すはずだ。

 問題は、そこまで疾の魂が持つのか。本人は擦り切れたらその時と思っている節はあるが、中途半端に壊れて鬼でもなった日には、それこそ鬼狩り総出で大被害を覚悟しての討伐作戦となる。羽黒もまず呼び出されるだろうが、そんな後味の悪い作戦など冗談じゃない。

 そして。

「……ノワールも、なあ」

「そうですね」

 僅かな精神のブレで世界に危機を招いてしまう爆弾を抱えながら、人の姿で在り続けていること自体が奇跡に近い青年を思い浮かべる。

 もしも疾だけが輪廻に戻った場合、ノワールを止められる者はもうどこにもいない。もみじを残して羽黒が逝くのと同じか、それ以上の悲劇が起こりうる。

「……それで、あいつものんびり構えてるんか」

「それもありそうですね」

 自分だけでなく、ノワールの輪廻をも探すために、何回も転生もどきを繰り返しているのかも知れない──本人に聞いたところで、絶対に認めないだろうが。

「んー……どうすっかね?」

「羽黒」

「あん?」

 羽黒が見下ろした先、もみじはどこか悪戯げに羽黒を見上げる。

「私は良いですよ? 楽しそうですし、久々に賑やかになりそうです」

「……お見通しか」

 苦笑して、羽黒は擦り寄ってきたもみじを受け入れた。


***


 シャワー後、疾は問答無用でベッドに放り込まれた。会話とシャワーだけだったが、それまでの疲れの蓄積もあったのだろう、少し寝るつもりで次に目を開けると朝だった。

 着せられていた寝巻きと枕元に置かれていた幼児用の服について深く考えないようにしながら着替えて降りた疾は、朝食後の来客に目を軽く開いた。

「お久しぶりです」

「……ああ、魔女か」

 分厚いメガネをかけた少女の姿に見覚えはないが、魔力と記憶を頼りに尋ねると、少女──朝倉真奈は頷いた。

「死神任務の刑期が終わって、転生してたんですよ。今は小学生をやり直しですね」

「死ぬほど暇だろ……」

「そうでもないですよ? お友達も出来ました」

 そう言って微笑んだ真奈は、テーブルに置いてあった大きな分厚い本──魔導書を取り上げた。

「羽黒さんから話を聞きました。いえ、羽黒さんが知ったと聞きましたと言うべきですね」

「そうだな」

 死神として働いていた真奈は、疾の状況を知っている。冥府の中でも極一部に情報は絞られているが、真奈はその特性や生前の縁を買われ、極一部に含まれていた。

「早速ですが……改めて、今の状態を確認させてください」

「……了解」

 疾は促されるまま向かいの椅子に座る。真奈は丁寧に魔導書を膝の上で開いた。

「──解析」

 ボウっと光が灯る。疾の周りを囲うように走ったそれは、しばらく明滅していたが、やがて消える。

「……解析完了しました。やはり、魔力の波長や契約に変化はないですね。違うとすれば、少し成長が悪いのと……魔力と異能の活性化が強いですか?」

「ん? どういうこった」

 黙って見ていた羽黒が問いかける。真奈が顔を上げて説明した。

「この頃のデータはないですが、16歳時点のデータと本人の話から逆算した5歳の仮想データと比べると、魔力や異能が強く出ているようです」

「……異能は数日前に使ったからだろ。これまでは早くても12までは使わないようにしていた。魔力は異能に反応したか、この土地に反応したか、どっちかだな」

 疾が仮説を挙げると、真奈が頷く。

「使わないようにしていた理由はありますか?」

「行使による体へ負荷がかかる可能性を考えて、最初の人生で発動させた年齢を参考にした」

「今回異能を使ってみて、体調不良はないですか?」

「現時点ではないな」

「お前息するように嘘つくのなんなんだ」

 羽黒が突っ込む。疾と真奈が揃えて視線を向けた先、据わった目で羽黒が続けた。

「つい昨日まで熱出して寝込んでたろうが」

「怪我と栄養不良だろ」

「異能使った影響もあるだろう」

「確証がないな。少なくとも今はどこも悪くない」

「このクソガキ……」

「あの、それは言ってください……」

 羽黒と真奈に揃って非難の目を向けられた疾は、面倒そうな顔で肘掛けに頬杖をつく。

「異能のせいか単純な体調不良かは未確定だろ。体調が回復した後また異能を使っても熱出すなら可能性が高いが、それまでは分からんし、分からんから現時点ではと注釈をつけた。嘘も隠し事もしたつもりはない」

「えぇ……お前めんどくさ……」

「つーか、そもそもあんたらを巻き込む気はねえんだよ。これ冥府の案件だぞ、協定組んだのてめえだろうが。これ以上首突っ込んでくるんじゃねえ」

 瀧宮羽黒は、かつて妹の為に死神と不可侵協定を組んだ。冥府から羽黒やその周囲に干渉しない──彼が生きている限りは継続するそれを考えれば、今回の一時保護でさえかなりギリギリのラインである。冥府と疾が共同で行う研究になど組み込めるわけがない。

 ……まあ、生前もぐだぐだと線引きが曖昧になり、鬼狩りと羽黒の妹が恋仲になるなど色々、色々とあったが、それはそれだ。実質冥府管理となっている真奈と疾が、一応は現世で生きる瀧宮羽黒と手を組むわけにはいかない。

「と、思うだろ」

「あ?」

「これ、見覚えないか?」

 ピラ、と疾の目の前に紙が突きつけられた。焦点が合うよう軽くのけぞった疾は、文面より先に筆跡に嫌な予感を覚える。

「……おい、これどうした」

 それは、かつても今も疾の上司である男の、無駄に流麗な筆文字だった。

「えへへ、私がもらいに行きました」

「お前さんが寝込んでた間に依頼したんだよ。ちょっと手紙預けるから、一筆もらってきてくれってな。で、結果がそれだ」

「おい待て、一体何を……」

 それ、と指された文面に改めて意識を向けた疾は、内容を理解して顔を引き攣らせた。

「簡単に言うとだ。一時共同戦線っつーことで、これからよろしくな」

 楽しげな羽黒の言う通りの文面を三度読み直し、疾はゆらりと視線を動かす。

「……どういうつもりだ」

「え? 面白そうじゃん」

「ざけんな」

 疾が羽黒を睨みつけた。あからさまに不快そうな反応に、真奈が首を傾げる。

「そんなに嫌ですか? 良いじゃないですか。研究が行き詰まっているのも確かなんですし」

 さらっと余計なことまで口にした真奈を軽く睨み、疾は言い返した。

「……。だからってな……そもそもこの脳筋一族に、何を期待する気だ」

「お前ちょいちょい忘れるけど、白羽復活させたの俺だかんな?」

「ホムンクルスの知識をどう応用するってんだ……」

 はあ、と溜息をついて疾は腕を組んだ。紙を一瞥して眉間に皺を寄せる。

「そもそも協定の一時解除って時点で、あんたの周りはどーすんだ」

「遡っての権利行使は認めねえって常識だぜ?」

「ああそう……俺の意思が一切確認されていないのは?」

「幼児の意思はインフォームドコンセント対象外だぞ」

「今はインフォームドアセントも常識だろ、ガキ相手でも同意は必要だ。つーか中身の判断能力で考えろ阿呆」

「ま、そこは組織研究だからだろ。上司がOK出したら仕方ねーよなあ」

「……くそ」

 悪態をついた疾にニヤニヤと笑う羽黒。それを睨んで、疾は話を変えた。

「ノワールがそいつと手を組むなんざ許容するわけねえだろうが、そこはどうする気だ」

 そう言って疾が視線でもみじを指し示す。羽黒はニヤニヤ笑ったまま返した。

「大丈夫じゃね? いきなり殺し合いはしなくなったし」

「希望的観測とはめでたいな」

「いや、事実。10年前くらいに俺と酒飲む時に顔合わせたけど、普通に挨拶して終わったぜ」

「へえ」

 疾が瞬きの間だけ表情を消す。が、直ぐに戻すと羽黒を胡乱げに見上げた。

「まあ良い、わかった。協力者として必要と判断した情報は渡す。で、ノワールにいい加減連絡を取りたい。直接の連絡回線を構築するなら準備にそこそこ時間もかかる。俺も置いてきた研究結果を確認したいしな」

「連絡取るのは構わんが、あっちに訪問するなら事前にちゃんと許可取れよ?」

「……何の話だ?」

 怪訝な顔で顔を上げた疾に、羽黒はもう一枚紙を渡した。訝しげに受け取った疾が視線を向けるより先、ひどく楽しそうな顔で告げる。


「お前、今日からうちの子な」


「………………。……………………………。

 ………………………………………………………………は??」

 大変珍しくもたっぷりと硬直した疾が、声を絞り出す。表情すら凍り付かせた珍しい姿に、羽黒は軽く吹き出した。

「ぶはっ、お前でもそんな顔すんだな。初めて見たわ」

「…………いや、待て。お前……何をした…………?」

「手元手元」

 ちょいちょいと指さされて、疾は視線を落とす。そして、絶句した。

「昔取った杵柄で役所にちょいと掛け合ってきた。里親申請、無事通ったぜ」

 言葉を失ったままの疾に、愉快なものを見る目を向ける羽黒。にこにこ笑うもみじ、嬉しそうな紫。唯一なんとも言えない表情を浮かべた真奈が、そっと声をかける。

「あの、疾さん……羽黒さん、既に外堀を埋めているみたいです」

 その言葉で硬直が解けた疾が、紙を握りしめて皺を作った。

「何で、そうなる……!」

「いやー。ひっさびさに面白そうなもんだから、いっそがっつり関わろうと思ってなあ」

「そこからその発想に行き着く思考回路が理解できねえんだよクソが!」

「行きつかねえ方が不思議なんだよなあ」

「あぁ!?」

 再会して初めて本気の怒気を滲ませた疾に、羽黒は軽薄に笑って告げる。

「だってお前、行くとこねえじゃん」

「だからノワールに」

「無理無理。だって──」

 羽黒が言葉を区切る。苛立ち混じりに迫ろうとした疾は、刹那、息が止まった。


 莫大なプレッシャーが羽黒から放たれ、疾一人に叩きつけられる。

 殺気や闘気などと生やさしいものではない。竜種として、吸血鬼の主人として、持ちうる莫大な魔力と存在感。

 大瀑布のようなそれが蛇のように絡みつき、疾の身体は動けず、血の気を失っていく。


「──異能はともかく、今のお前さんは本当にただの無力なガキだ。俺程度の魔力でそうなるのに、ノワールと暮らすなんざどう考えても無理だぜ」

 そう言って、羽黒は威圧を解いた。

「……っ、か、はっ」

 硬直から解放された疾が、詰まっていた息をやっとのことで吐き出す。椅子から転げ落ちかけた体をひょいと持ち上げ、羽黒は笑う。

「それに俺も金払っちまったしなあ、責任は取らないといかん。安心しろ、ちゃーんと学校にも通わせてやるぜ」

「……っ!」

 反論しようにも、咳き込みと体の震えが止まらない。溺れかけのように足掻く疾を抱えたまま、羽黒は真奈を見下ろした。

「というわけで、先輩。面倒見てやってくれな」

「ふふ、はい。4月から楽しみです」

「いいなー真奈さん! ちょっと羨ましいです」

「いやこいつの場合、絶対アドベンチャーな日々になってクソほど大変だぞ。安心しろ、手綱握れとは言わん。俺でも無理」

「あはは……」

「紫はいい子でしたから、学校呼び出しがちょっと楽しみです」


 その後、疾のありとあらゆる反論と抵抗は、羽黒の裏工作と下準備、時に力技も交えて叩き潰される。最終的にはWINGでの奇妙な共同生活を渋々、心底嫌々ながら、死んだ目で受け入れたのだった。

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