2:お茶菓子、身内、待合せ
異世界アパート『異世界邸』の日常、の麓町紅晴が舞台です。
時系列としては、今の異世界邸からおよそ15年くらい先です。
ネタバレ盛大に含みますのでそういうの平気な方だけどうぞ。
紅晴市内、主要駅から徒歩5分ほどの距離にあるお店。楓が中に入って予約の名前を告げると、店員が奥の個室へと案内する。店員に開けられた扉をくぐり、楓は声をかけた。
「お待たせしちゃったかな?」
「いえ、つい先ほど来たところですわ」
綺麗な白髪に赤のメッシュを入れた白羽が、澄ました顔で言ってから笑った。
「お久しぶりですわ、楓」
「こっちこそお久しぶり、白羽。元気だった?」
「ええ。そちらも?」
「まあまあかな」
そこで一度言葉を切ると、楓は隣に腰を下ろした女性をチラッと見やり、小さく苦笑する。
「ごめんね護衛付きで。しかも基本こんな感じで行くってさ。相変わらずでしょー?」
「相変わらずですわねぇ。では久々に、椎奈さんと呼ばせていただきますわ」
二人の視線が椎奈と呼ばれた女性に集中する。艶やかな黒髪を一つに結い上げ、黒曜石のような瞳に困惑を浮かべた椎奈は、軽く咳払いをした。
「……失礼ながら。瀧宮当主殿と香宮当主の面会なのですから、本来ならどちらかの屋敷できちんと顔合わせの場を設けるべきです。諸事情を鑑みて、護衛付き、紅晴市内であくまで私的な約束として会うのが妥協点と、当主補佐殿からのご指示です」
アルトの声が説教じみた言葉を並べると、楓と白羽が顔を見合わせた。
「ですって、単独でお越しの白羽さん」
「楓の旦那様、少々過保護ではありませんの? 白羽、小学生の頃からフラッと来ていますわよ?」
「それはそれでとも思うけど、実際白羽を襲撃したところで9割がた返り討ちよね。というか私も今日別に護衛いらないよって言ったんだよ、聞いてもらえなかったけど」
「いえ、それは流石にどうかと白羽思いますの」
「ええ?」
不満げに唇を尖らせる様は昔と変わらないなと白羽は思う。そして同様に、彼女が全く戦う力を持たないままであるのは白羽もよく知っている。
「自分で言うのもなんですが、白羽がその気になったら楓は普通に首と体が泣き別れですわよ?」
「護衛の前でそのようなことを言わないでいただきたいのですが」
椎奈が眉を寄せるが、楓はメニューに書かれた紅茶の茶葉選びに夢中になっていた。
「アールグレイは鉄板だけどアッサムでミルクティもいいな……ダージリンのセカンドフラッシュまである……あ、えーと私の命が風前の灯って話? そんなの、白羽どころかその辺にいる妖術師魔術師、なんなら成人男性だろうがいつでもどこでもサクッと殺せる雑魚さでここまで生きてきたから今更としか言いようがないし。そんなの気にしてたらもう外を出歩けないじゃない」
「いっそ清々しいですわね……」
「けど白羽だって残り1割の確率で白羽を殺せる人に遭遇しちゃう可能性だってあるわけでしょ? そんなもの引き当てた日には世界の危機ってところまで合わせてお揃いじゃない」
あまりにもあっさりと言ってのけたその台詞に、白羽も椎奈も一瞬だけ動きを止めた。
「だからこそ山ほど護身用の魔道具持たされてるんだし、昔はそれだけで逃げ延びてきたし……さらにそこに護衛いる? って話なんだけどなあ」
二人の変化に気づく様子はなく、注文の品を決めた楓が顔を上げた。
「決めた、私ダージリンのセカンドフラッシュ。白羽たちは決めた?」
「え、あー……白羽紅茶はよくわかりませんわ」
「ミルクとお砂糖入れたいなら、アッサムおすすめだよ」
「ではそれで」
「……私はアールグレイで」
ややぎこちなく頷いた椎奈が、店員を呼び止めて3人分の注文を口にした。 店員が去るのを待って、白羽はそっと息を吐く。
「ともかく、楓はちゃんと護衛を連れ歩くのに慣れてくださいな。うっかり雑魚と思って襲撃してしまう方々が可哀想ですわ」
「いや慣れていないわけじゃないんだけど……今ちょっと忙しくしてるから、護衛に人割くのがもったいなくって」
「あーそれは分かりますわあ」
うんうんと頷きあう楓と白羽に、椎奈が思わず額を押さえた。
「お二人とも……当主の護衛は最優先です。どれだけ忙しくとも、そこに人員を割かないことはありえません」
「お、残りの二人にもそれ言う?」
楓がイタズラっぽく聞くと、椎奈が沈黙した。苦笑した白羽が代わりに答える。
「敵に慈悲を与えると言う意味ではアリではありませんの?」
「あの二人に手出ししようってお馬鹿さんに慈悲が必要かどうかは置いておいて、まあその前に護衛の胃が死ぬよね。特に兄さんに付けられた人」
「……ちょっと想像しただけで同情しましたわ。一時期の竜胆先輩ですわね……」
「竜胆さんっていえば、梓と最近いい感じと噂だけど?」
楓が目を輝かせて身を乗り出す。白羽は肩をすくめた。
「白羽としては、竜胆先輩が梓姉様に嫁入りしてくださるのはずっと前から推しているんですけど、当の本人たちがあと一歩踏み込まない感じで焦ったいんですわよねえ」
「ほほう」
「嫁入り……?」
椎奈の呟きは二人に綺麗に流された。
と、ちょうどその時店員が注文の品を持ってやってきた。ティーコジーが被せられたティーポットと、揃いのカップ。三段に分かれた鳥籠のような形の台には、サンドウィッチ、スコーン、色鮮やかなタルトがそれぞれ鎮座している。
ひっくり返された砂時計が落ち切るとそれぞれの注文した紅茶がカップに注がれ、店員が一礼して出て行った。それまで大人しくにこやかに接遇を受けていた楓が、グッと拳を握る。
「よっしゃ久々のアフタヌーンティ……! このために朝から抜いてきたわ!」
「本気すぎません? でもこれは見事ですわね、目にも楽しいですわ」
やや呆れた顔をしながらも、白羽は吸い寄せられるように手を伸ばした。しばし、3人が3人とも、紅茶と合わせてアフタヌーンティを無言で味わう。
「うーん、どれも美味しいですわね。ボリューム満点なのも嬉しいですわ」
「あ、この胡桃入りスコーン好きな味。わかる、甘いだけじゃないのがまたいいよね」
和気藹々と感想を言い合ううちに、話題は近況報告に流れ込んでいった。
「そういえば、あの方はもう帰ってきましたの?」
「ん? 修哉兄さんのことなら、それこそ地脈変動のちょっと後に帰ってきたよ。溜まってた仕事に忙殺されてる」
スコーンにクロテッドクリームをこれでもかと塗ったくりながら、楓が答える。ミルクティに砂糖を追加しながら、白羽は微妙な顔をした。
「……やっぱり、真名で聞くと違和感が酷いですわ」
「紅晴から一歩出ると未だに『ノワール』の方が通りがいいんだよねえ。一応魔術師ルールなのにさ」
「魔法士幹部の時からこちらの世界で有名でしたもの。それに今でも外での仕事ではノワールとフージュ、で受けていますわよね?」
「だって、全部依頼が「ノワール」「フージュ」「デザストル」で来るんだもん。いちいち確認されるのも面倒になってもう紅晴の外じゃそれでいいやって統一しちゃった」
「原因それですわよ、楓」
サンドイッチを一口齧り付きながら、白羽が指摘する。クリームにさらにジャムを乗せてかぶりついた楓が、口の中を空にしてから返す。
「私も最初はノワールとして一緒にいたんだけど、普通に慣れたけどなあ」
「え、そうだったんですの?」
「うん。兄さんが大暴れしてた間、私を殺してやろうって動きが大きくなったらしくて」
スコーンを順調に小さくしながらサラリと言われた内容に、白羽は眉を顰める。
「卑劣ですわねえ」
「魔法士協会だっけ、かなりアレな連中だらけだったみたいよね。私的には逆恨みで命狙われるのなんて日常だったし、その中でもとびきり厄介とか言われても、いやいつもじゃんって感じだったけど」
「楓はずぶ……肝がすわり切っていますわね」
「今図太いって言いかけたでしょ」
ジト目を向けつつ、楓はカップに手を伸ばした。
「とはいえ流石に襲撃が多すぎてさ。妖をけしかけて物量作戦仕掛けてきだして困ってたの。肝心の兄さんは異世界だし、よく恨み言叫んでたなー」
「そういう問題ですの?」
「で、兄さんの依頼ってことで、ノワールが護衛してくれてたんだよね。互いにまさか従兄妹だとは思わず……いや本当に、身内がやばすぎて笑うしかなかったよね」
「白羽が言うのもなんですが、まったくですわ。楓はともかくあの二人が従兄弟になる家って、とんでもありませんわよ」
「父親と母親で兄妹だけど……母さんはまあ……」
遠い目で黄昏れている楓の様子も気になったが、白羽はもう一つ気になっていることを優先した。
「ところで、あの方を護衛に雇うのに幾ら積んだのかはわかりませんが……妹思い、です、わね?」
視線を遠くから現実に戻した楓は、ふっと乾いた笑いを浮かべた。
「本気で言ってる?」
「いえ全く」
真顔で首を横に振った白羽に、楓も真顔で頷き返す。
「とても便利なルアーだったそうです」
「あの男、人の心はどこにあるんですの……?」
「外付けの良心回路こと悠希が頑張ってるよ、おかげでギリギリ人間です」
小学生時代に何だかんだと面倒を見てくれた男装姿の少女を思い出して、白羽は額を押さえた。
「……本当に、なんで悠希さんは、あんな男を……」
「だよね。妹としても罪悪感がすごくて、親たちが栞那さんに頭が上がらない理由がとても良く理解できた」
スコーンの最後のひとかけらを口に押し込んだ楓は、軽く手を拭くとサンドイッチに手を伸ばした。
「まあ、仲良くやってるらしいよ」
「想像が出来ませんわ……」
「悠希はたまに惚気たがるけど、ほどほどに拒否ってる。いくら他に誰も聞いてくれないからって、妹に惚気るのはナシだと思わない?」
「なしですわね」
互いに末っ子同士、深く頷きあう。身内だからこそ聞きたくない話というのは確かにあるのだ。
「というか、それこそ白羽なんて新婚さんじゃん? どうどう、上手くやってる?」
「そうですわね……と言いたいんですけど、付き合いが長いのであまり変わりありませんわねえ。家のものが太らせようと頑張ってる成果がやっと出てきたところで、今は身なりの見直し中ですわ」
「おお、お嬢様の結婚話っぽい」
「楓……?」
目を細めた白羽に笑顔で誤魔化し、楓はタルトに手を伸ばした。
「甘いー美味しい幸せ……」
「楓は本当に美味しそうに食べますわねえ。……ところで、フージュさんはどうしていますの?」
「ん? いつでも元気だけど」
「いえ、そっちではなく、恋愛面の」
「あぁ……」
幸せそうな笑顔をちょっと引っ込めて、楓は肩をすくめる。
「ノワールのパートナーはフージュ、で満足してかれこれ長かったんだけど……この間の引きこもりの後からフウが我慢できなくなっちゃったよね。暴露した羽黒さんのせいで」
「え、あれはお兄様のせいにするのは無理筋ではありませんの?」
「ごめん、私も言ってて思った。普通に修哉兄さんが女性関係すっとこどっこいなだけ」
深い深いため息をついてから、楓はニコリと作り笑いを浮かべた。
「まあ、勝手にやるでしょ」
「投げましたわね」
「三十路越えた大の男が女性関係で焼かれようがぶった斬られようがどーでもいいでしょ。どうせ勝手に治るし」
「人間辞めてますわねえ」
「修哉兄さんについては否定しない」
なお、痺れを切らしたフージュが悠希経由で栞那の元に相談に行ったので、一部の間では勝負がつくのは割と近いだろう、という見解で一致しているが、身内情報として伏せておく楓だった。
「なんであんなに恋愛音痴なんだろうねー。好きなら好き、でさっさとくっつけばいいのに」
「楓が言うと説得力が違いますわねえ。高校からのお付き合いで、大学卒業と同時に結婚でしたっけ?」
「うん。学生結婚すると学費半額なんだから籍入れよう、って言いかけて口塞がれちゃった」
「……旦那様に同情しますわ」
そんな逆プロポーズがあってたまるか。と白羽は残念なものを見る目で楓を見やる。唇を尖らせて楓はタルトの最後の一口を飲み込んだ。
「梓も気持ち固めたら早そうだけどね。それこそ逆プロポーズ決めてほしい」
「ありえますわ……そういえば昔、竜胆先輩を月波にというお誘いをかけたことがあるんですの。例のお馬鹿さんがセットというかぐや姫もかくやという条件をつけられて、羽黒お兄様も諦めたんですけれど」
「え、いまだにその二人この街にいるけど、それ面と向かって言う?」
「で、今竜胆先輩をこちらにくださいと言ったら、楓はどうお返事くれますの?」
楓の苦情をしれっと流した白羽にジト目を向けつつ、楓は少し考え込んだ。
「あー今は香宮に問い合わせ来るんだ、そりゃそうか。えー……まあ常葉ちゃんが手綱握ってくれてからはそこそこ普通の伊巻だし、保護者なしでもまあまあちゃんとやってるけど……およそ1年ほど前、どこぞのお姉さんが誘拐して武器としてぶん回してしばらくは、地脈に影響出るレベルでジャミング出て大変だったなあ」
「それは大変でしたわねえ」
「本当に大変でした……人手不足とジャミング、やっと落ち着きかけたところに修哉兄さんいつもの失踪……」
楓がカップを傾けながら器用に目を死なせた。白羽が肩をすくめる。
「立て続けに事が起こると、人間本当に眠れませんわよね。白羽もあの頃はろくに眠れませんでしたわ」
「白羽は羽黒さんの件、本当に大変だったでしょ。お疲れ様」
「ありがとうございます。その件では、紅晴にはかなりお力を借りた形になりました」
「うんまあ、紅晴も昔かなり助けてもらったと聞いてるから、お互い様なんだけどね。……でも1年の間に2回もうちの最大戦力をゴッソリと持っていかれたのはね……」
ふっ、と楓が遠い目をした。
「兄さんと修哉兄さんとフウと魔女さんいないのは私も胃にきた……戦力的な意味でも、慧とそれこそ椎奈が寝れなかったよね」
「……まあ」
安易に肯定もできずに困る椎奈を横目に、紅茶を啜りながら白羽が首を傾げる。
「先代当主たちはどうしていましたの?」
「先代は、私が無事引き継ぎを終えてからは若手の指導役だけ。正月とか、大きな祭事のお手伝いだけお願いしてる。本当にどうしようもなくなるまでは若者で頑張れ! と笑顔で通達受けてまーす」
楓の答えに、白羽は瞬いた。
「まだお若いですわよね?」
「いやまあ見た目と動きはやたら若々しいけど、そろそろ還暦見えてるし。それに白羽のとこも先代が現場に出ることは少ないでしょう? どうしても指揮系統が混乱するから」
「あー、そうですわね」
「先代はそれこそ引き継ぎでめちゃくちゃ苦労したから、面倒ごとを自分たちが持ち込まないようにってスパッと引いてくれたの。私たちもそれは正解だったと思ってる。…先代は香宮として本当に重い荷物を背負い続けてきた人だし、私たちもこれ以上は無理させたくないって言うのもあるけどね」
静かに語られた言葉に、白羽は瞬く。今度は楓が、首を傾げた。
「今回の話があるって、なんとなくこういう話がしたいのかなって思ってたけど、違った?」
「……いえ、合っていますわ。白羽、楓に聞いてみたかったんですの──次代の選び方を」
白羽はふうっと息を吐き出した。
「言うまでもないですが、瀧宮は実力主義、当主争いに血も流れうる一族ですわ。血の気が多いのは誰も彼も同じですし、梓お姉様と実際に仕合いましたものですわ」
「ざっくりは聞いてるし、まあ血の気は多いよね実際」
「そして、瀧宮の当主を継ぐには儀式が必要で、これはそれなりに時間がかかりますの。白羽はあっという間でしたけれど、梓お姉様はそれこそ6年かけていましたわ」
「しれっと自慢入れる白羽、私は好きよ」
「そして今、白羽の後継になり得るのは──紫一人ですわ」
楓の茶々を流しながら、白羽は本題へと話を進める。
「流石に白羽たちも、羽黒お兄様ともみじの件は世界を盛大に揺るがした事件だとわかっておりますの。瀧宮は元々爪弾きものの一族ではありますが、ここでさらに紫を次代に選べば、事が起こりかねないのも事実ですわ」
「どこかの組織が暴走してやらかす、とかね」
楓の相槌に頷き返し、白羽は続ける。
「けれど白羽、この体で子供が産めるかどうか、正直わからないことも多いんですの。梓姉様も色々事情はありますし、そもそも竜胆先輩とくっついてくれるかもわかりません。けれど、その辺りの白黒がついてから瀧宮としての教育を行うのは少々遅いのではないか、という考えもあって……だから、聞いてみたかったんですの」
「うん」
「楓が──香宮が、どうやって当主を選んだのか」
紅晴という、月波とは異なる意味で特殊な土地を治め、当時かなりの注目を集めていた次期当主選びを、どのようにして決めたのか。
月波の当主として、聞いてみたかった。
「そうだねえ……」
楓は紅茶で口内を湿らせて、記憶を遡る。10年近く前のことではあれど、あの頃のことは比較的色鮮やかに覚えている。
楓の世界全てをひっくり返した、香宮という家のこと。
「まず、一応外には出せない身内の事情もあるので、まあまあ端折って白羽の聞きたいことだけ答えるから、矛盾もあるかもしれないってことは前提にさせてもらうね」
「もちろんですわ」
「簡単に言って仕舞えば、うちの次期当主選びは、実質今後の「香宮」のありようを選ぶものだった」
「香宮の、ありようですの?」
「うん。……ちょっと昔話が長くなっちゃうけど……」
少し視線を彷徨わせて、楓は一つ一つ記憶を整理していくように言葉を紡いでいく。
「香宮の先先代は私からみて曽祖母なんだけど、その人は香宮に紅晴の守護一族として、術者を擁する四家を率いる一族として、相応しくあれ──そう求めたの」
「相応しく……」
「ざっくり言えば、四家の得意分野全てで四家を上回って、財界にも政界にも顔がきく、その上で中央におわします土地神を祀りあげる一族であろうとした」
「……無茶苦茶では?」
瀧宮宗家が、分家である全ての役割を果たせるようにしろというのと同じだろう。その上で、一般社会にも顔を出そうとしていたという。とてもではないけれど、白羽には可能だとは思えなかった。
はっきりと指摘すると、楓はほんのわずかに苦く笑った。その表情に白羽が気づくより先、いつも通りにニコリと笑う。
「だよねえ。……でも曽祖母は、自分の息子にも孫にも、それを強要した。自分は、出来たから」
「……」
「その上で四家に服従と、優秀な人材を香宮に預けるよう求めた。要は戦力の一極集中よね」
「うまくいくようには思えませんわね」
言葉だけならば効率的にも思えるが、人はそう単純に出来ていないのは白羽ももう理解している。だからこそそう問えば、楓もすぐに頷いた。
「まー四家と香宮の関係は馬鹿みたいに悪化して、連鎖的に四家同士も仲が悪くなって、顔を合わせると罵倒大会だったそうよ。家族関係も最悪だったそうな」
「そうなりますわよねえ」
「で、ドッロドロずっぶずぶのドラマより血腥いお家騒動の後、先代が香宮を継いだんだよね」
「いきなり端折りましたわね!?」
「ちなみに先代の恋愛模様はリアルロミジュリです」
「初耳ですわ!」
急転直下に話を束ねていく楓に、白羽はツッコミに回らざるを得なくなった。しかし楓はケロッとした顔である。
「や、だから最初に言ったじゃん、端折るよって」
「ひどいドラマのあらすじを聞いているみたいですわ……」
がっくりと俯く白羽に、楓は笑いながらも首を傾げた。
「いやー。この辺りを詳しく聞くとね、怒りと殺意と魔力が無限に湧き上がって地獄絵図になるから、聞かないほうがいいよ? 先代が冷や汗をかくくらいには説明会場の空気やばかったよ?」
「……待ってくださいな、魔力って誰のですの? それ、世界の危機だったのではありませんの?」
「昔話で世界の危機になるの、本当に洒落になんないよねえ」
「これ冗談じゃないやつですわ……!」
戦慄する白羽に楽しそうに笑い、楓は再びお茶に口をつけた。少し乾いた喉を潤してから、話を戻す。
「先代は一人で全部抱えてなんてやってられるか、優秀な奴たくさんいるんだから働けーってガンガン仕事を割り振って行ったんだって。四家とも関係を少しずつ修復して、それぞれが戦力をしっかり持った上で役割を果たしていこうって、知識や技術の共有も進めた」
「随分と真逆の方向に方針転換したんですのねえ」
「うん。当然、保守派と大変楽しくやり合うことになったって。この辺りは白羽も経験ない?」
「ありますわぁ。白羽まとめて座布団ごとすっ飛ばしてやりましたけど」
にっこりと笑う白羽に合わせて、楓もにっこりと笑う。
「うんうん、じゃあそこは盛大なリセットかました香宮と似てるよね」
「いや待ってくださいな楓、結構な悲劇だったはずですわよね? 世界にあの人を生み出す切欠の事件をそんなさらっと纏めますの??」
白羽のツッコミが楽しくてやっている、とは言わずに楓は笑う。
「あはは。香宮を犠牲にして紅晴とそれを支える四家が生き延びればそれがいい、なーんて言っちゃったお馬鹿さん達、見事に父の「有害、処分相当」にカテゴライズされたよねえ」
「え、お父様地味に怖いですわね」
「誰だと思ってるの、私と兄の父だぞ」
「凄まじい説得力ですわ……」
「で、香宮に最期まで忠誠を誓うか、未来のために血筋を残すべく香宮の名前を捨てて飛ばされるかの二択を迫ったんだって。見事に後者を選んだそうだけど、まあ血筋今更いらないよね」
「……お父様、狙ったんですの?」
「私が大事に大事に守られていたことからお察しください」
「こわぁ……」
顔を引き攣らせる白羽に苦笑して、楓は空になったカップの縁を指先でなぞった。
「──魔王級の吸血鬼率いる妖の軍勢による襲撃で、香宮は一度滅びた。土地神を祀る一族がいなくなり、四家は中央の山ごと神様を封印して、土地の安定化を図った。これが表向きの事実だった──10年以上、ずっと」
世界を跨ぎ数多の犠牲者を出したというその吸血鬼の襲撃は、1年以上前に予言という形で香宮にもたらされた。だから、先代の香宮は選ぶことができてしまった。
「香宮」として、紅晴の土地神を祀る一族としての責務を果たすための、方法を。
「当時の紅晴に魔王の軍勢を退ける力はなかった。外部の力を頼ろうにも、名乗り出てくるのは「代わりにちょっとお宅の子供を研究させてよ」とか言ってくる頭のおかしい奴で、そいつのせいで国も、魔術師連盟も手出しできなかった」
「……」
「それで、封印のための術式……魔術? まあどっちでもいいか。とにかくそれを作ったのが私の両親。そして、その術を発動させ、自ら「神隠し」されたのが、先代当主──修哉兄さんのお父さん」
人柱として異界に自らを奉納し、その中で結界の要として、ただ一人、土地神を封じ続けた。
いくつもの細かな条件と制約を課して、楓の両親は術式の準備を全て整えた後、襲撃前に家族ごと死んだ偽装をして渡欧し、魔法士協会からも身を隠した。いつの日か封印を解くために、設定した条件を満たしたらすぐに日本に渡れるように。
それら全て、予言と見えた未来の中から、最良の未来を掴み取るための足掻きだった。
「……詳しい仕組みは聞きませんわ。けれど白羽も術師の端くれとして……過去の経験からも、10年がどれほど長いのかは、分かりますわ」
「うん。でも、ちゃんと条件が揃った。だから香宮は──紅晴に帰ってきたの」
薄く笑って、楓は目を閉じる。そのまま続ける。
「この筋書きを、先代と私の両親、当時の四家当主だけが、抱えていた。……子供達の誰にも知らせずに、ずっと」
「……」
静かに楓の話を飲み込んでくれた白羽に、楓はそっと目を開いて笑う。
「ほとんど、筋書き通りだったのよ。修哉兄さんが帰ってきたこと以外、ほとんど」
「……死ぬだろうと思われていたんですの? あの方が?」
「一応、吸血鬼に殺される未来を回避するために選んだ方法だったらしいけどね。……魔力は馬鹿でかいくせにこれっぽっちも覚醒していない、ちょっと武術を教え込んだだけの子供だったんだよ。逃げたところで、無事でいられるとは思えないでしょう?」
苦笑して肩を竦める楓に、白羽はどう言っていいのかわからなかった。
「だから予定では、兄さんが香宮を継ぐって感じだったんだろうねえ」
ふう、と息を吐いて楓はポットに残っていた紅茶をカップに注いだ。白羽がそっと尋ねる。
「だから、あの方は継がなかったんですの?」
「んー。その「だから」は何に繋がるのかな? 兄さんが香宮を継ぐ前提で育てられたの「だから」? それとも、自分の両親が自分を見捨てて、香宮を選んだの「だから」?」
咄嗟に、白羽は答えられなかった。その顔を見て、楓は苦笑した。ちょいちょいと手を振る。
「白羽さん白羽さん。気持ちはわかるよ、話だけ聞くとやばいよね香宮の過去。でもちょっと思い出してほしい」
「え?」
「このお話の登場人物、うちの兄と修哉兄さん──「災厄」と「漆黒」だよ」
「……えぇと」
「あの二人に「俺は香宮として育てられたんだ」「俺は見捨てられたんだ」なーんて真っ当な感想が浮かぶわけないない。修哉兄さんの事情を聞いての第一声、なんだと思う? 「まあ、全て終わらせたことです」だよ」
「その心は」
「「仇を討ったんで細かいことはどうでもいい」だね」
「あの方結構雑ですわよねー……」
「そして兄さんはというと、何よりもまず四神を先代に返却しようとしたね」
「ブレませんわねえ」
「その後フウ連れて本陣突っ込んで、魔法士協会が綺麗になくなったよね」
「本当にブレませんわねえ。後その件、羽黒お兄様とユウお兄様を巻き込んだ挙句に置き去りにしたやつですわよね」
「その間香宮は、羽黒さんがしれっと誘拐した人を保護してたよ。お互い様お互い様」
「ええー」
さらさらと話す楓のペースに飲まれそうになっているのにようやく気付いた。白羽はため息をつく。
「それでは、どうして楓がなったんですの? 瀧宮基準で言えば、どう考えてもあの二人のどちらかが妥当ですわ」
「実力主義だったら絶対そこで骨肉の争いだよね。香宮も役割上実力主義な一面はあるもんだから、それぞれを推す勢が一時期めんどいことになってた。そして私は選択肢に入ってすらいなかったよ悲しいね!」
「それは、まぁ仕方ありませんわよね」
「そこはフォローしてよ白羽!!」
そうは言っても、初対面の温泉大浴場で岩場に足を滑らせ、まともに歩けもしなかった楓の印象が強すぎて、まあそうだろうなとしか思えない白羽である。
「むう、まあいいや。それはそうと、私が当主になった時、どう思った?」
「それはまあ、「あの二人の手綱を握ろうとは根性が据わっていますわ」ですわね」
「手綱引きちぎれてる気しかしない。……でもまあ、そう思ったでしょ?」
「え?」
「ああ、香宮はあの二人を使って武力路線ではないんだなって、思ったでしょ?」
「あ……」
白羽は、やっと話が繋がっていたのだと実感した。
「香宮に全員が帰ってきた当時、先代が予想したよりも遥かに多くの目が紅晴に集まった。私たち子世代全員「だろうね」ってなったけども」
「元魔法士幹部と魔法士協会の天敵が一つ組織に収まるらしいと、世界を跨いだ注目を集めていましたものね。お兄様もあの頃は新婚旅行と妊活でちょっとは大人しかったみたいですし」
「確かに、最近のあれこれよりは大人しいよねぇ」
ツッコミ不在のラリーをしてから、楓は話を戻す。
「まあ外から見たら世界征服でもするんですかって面子だったもんで、ほぼ魔王軍扱いされかねなかったんだよね。おかしくない? うち割と正当な神社だよ?」
「妥当な判断だと思いますわ」
「魔王軍にしては配下にとんでもない雑魚がいる点は?」
「大事にされてたお姫様と言った役どころでしょう」
「うわ似合わなーい……あ、アフタヌーンティしてる今はちょっとお姫様っぽいかも?」
「いえ訂正しますわ、お姫様はアフタヌーンティのために朝食抜きなんてしませんの」
「それはそう。けどそのなんちゃってお姫様が、香宮当主になった。当主って、要は顔だからねえ」
空になったカップを名残惜しく見下ろして、楓は続けた。
「私が当主になってあの二人を後ろに置いた。世界征服をしようって集団が、トップを無力な人にはしない。実は特殊な才能を隠し持ってるんじゃないかって警戒もされたけど……」
一つ言葉を切って、楓は大きく胸を張る。
「誰もが納得するへっぽこ雑魚ぶりなら任せてほしい! えっへん!」
「楓、そういうとこですわよ?」
白羽が半眼になったが、楓は構わず続ける。
「みんなが納得と哀れみの目で私を見てお帰りになってくれたおかげで、香宮はこれまで通り、ちょっと変わった土地の土地神様を祀る一族、兼、紅晴の守護を司る一族としてやっていってる。四家とも結構仲良くやってるよー、中西病院は言うまでもがなだし」
「楓が梓姉様と同じくらい人の縁を繋ぐのが上手なのは白羽知っていますわ……ああ、なるほど。先代の意志を継いだとも言えるのですわね」
白羽は楓のムダに見えてきちんと理解できる話運びに少し驚きつつ、軽く頷いた。
「そ。まー消去法でもあったけど」
「はい?」
これまでのいい話っぽい流れをぶった斬るその言葉に思わず白羽が顔を上げる。楓は肩を竦めた。
「もちろん大事な理由はここ。でも割と身もふたもない事情もあるのが大人ってもんでしょう」
「えぇ」
「まず、私と修哉兄さんと兄さん、全員それぞれ香宮を継ぐのに問題があった」
「問題?」
うん、と頷いて、楓は最初に出された水を少し煽った。
「まず、私は今更言う必要もないからパスね」
「自分で言いますものねぇ……」
「次に、兄さんと修哉兄さんの共通点、魔術が専門。一応術者としての訓練もやったけど、いや魔術の方が……って感じで意味無し。けどまぁ術師の一族なんだよ香宮、どうすんだお前らって話になったのが一つ目」
「あー、紅晴はそのあたり拘る方々が多かったですわね」
かつて四家と共闘した白羽が深く頷く。
「ここは意見割れたけど、結局魔術でも術より効率的に妖絶対殺すもんだから最終的にはみんな黙った。あとそれ言ったら適任者0になるじゃんというね」
「そりゃそうですわね」
うんうん、と頷き合ってから、楓は続ける。
「次に兄さん、まあ魔力量。香宮に戻って早々に、ただでさえ少ない魔力がさらに半減しちゃったりしたもんだから、尚更問題視されたよね。まあ、修哉兄さんの問題視されたのも魔力量多すぎってことなんだけど」
「あなたのお兄様方、極端すぎません?」
「それは本当にそう。私は私で魔力何それ美味しいのだし」
三者三様すぎる魔力事情は、楓たちの子が育ちつつある今さらにカオスになってはいるが、それは別の話だ。
「修哉兄さんはいつ暴走するか分からないっていうのがやばすぎてね。なんか私と会う前に魔術で体を強化したとかでかなり余裕があった当時ですら、紅晴ごと道連れの可能性どーすんのって言われてさ。今の様子を見ると正解だったし」
「つい先日もお兄様と鬼ごっこしただけで地脈の大変動起きていましたわねぇ」
「あーあの修哉兄さんのストレス発散と八つ当たりに見せかけた、兄さんの憂さ晴らしね」
「え、今なんて」
「まぁ本人が定期的に魔術の研究で引きこもる習性とか、魔力を発散しにちょっとその辺の戦場に行ったりする必要とか考えると、紅晴で当主の椅子にのんびり座っていられないよねって話になったのよ」
「待ってくださいな、さっきなんて??」
「そこ省きまーす」
「おいコラ」
白羽の顔にすだれがかかっていたが、この辺りの詳細はあれこれそれが面倒くさすぎるので省く楓である。言質を取っておいてよかった。
「じゃあ兄さんか私かってなって、四神もいるし兄さんって案も大変強かったんだけどね」
「……そこも白羽、不思議でしたわ。あの男が誰かの下につくと言うのも不可解ですし」
「実質3人とも同等の権限持ちってで私が代表って形だからね、下ではないよ。やっぱり私は脳筋勢には言うこと聞いてもらえないから、戦闘面の指揮権限はほとんど兄さんか修哉兄さんが持つの」
「当主の仕事を分担した……ということですの?」
「そうそう。それでも全員めちゃくちゃ忙しいから、大正解だと思ってるよ」
それに、と指を一本立てた。
「たった一つだけ、私が胸を張ってあの二人より優秀な点があります」
「社交性ですわね」
「迷わず言いやがった、けどせいかーい。修哉兄さんは人間の心を不法投棄してたし、兄さんは……まあ、やろうと思えばリーダーシップ取れなくはないんだけどね」
「無理でしょうあの男には」
キッパリと言い切る白羽の脳裏には、口を開けば罵詈雑言、いつでも人を見下す傲慢男のムカつく笑顔が再現されていた。眉間に皺を寄せた白羽に、楓は肩をすくめる。
「……出来るよ。兄さんはそれこそ、先先代が目指した「香宮の理想」を単独で実行できるだけの能力がある。香宮の持つべき技能も知識も、全部最初に網羅したのは兄さんだった」
妬みでもなく褒め言葉でもない、苦さすら滲む声に、白羽はなんと言っていいのか分からず、とりあえずの憎まれ口を叩く。
「あの歪み切った性格はどうですの?」
「兄さんの性格は意識一つで切り替わるので、その気になれば一瞬で人望溢れる好青年が出来上がります」
「…………想像しただけで鳥肌が立ちましたわ…………」
自分を抱きしめて震える白羽に苦笑いをして、楓は続けた。
「けど……だからこそ私も、多分修哉兄さんも、兄さんを当主にはしたくなかった。人を率いて前に立つには優秀すぎるから。今みたいにあちこちに顔出しては引っ掻き回しているのが、本人にとっては一番なんだよ」
「……良くわかりませんわ」
「そう? 紫ちゃんに継がせることを二の足踏むのは、そういうことじゃないの?」
白羽は目を見開いた。
「私も一度会ったけどさ、懐っこくてニコニコ楽しそうな子だよね。当主の椅子の重さを知ったから、白羽は紫に継がせるのやめようかなーってなるんじゃない?」
「……そう、なのかもしれませんわね」
「能力的には可能でも、性格的に向かない、あるいは別のことをやっている方が性に合ってるなぁって思ったら、そうさせてあげたいなぁって思っちゃうよねぇ」
頬杖をついて、楓は薄く笑った。
「まあ、そんな感じで、対外的な問題と諸々の問題を鑑みて、じゃあ私がやるか、戦力面は周りがサポートするし私で不安な部分は慧がいるし何とかなるだろ、ってなったんだよね。なんとかなってるし。白羽ちゃんも、適性と対外的な目のバランスをとりつつ、ゆっくり考えてもいいんじゃない? 幸い若くて有能な当主様なんだしさ」
「あら、ありがとうございますわ。……そうですわね、とても参考になりました。お礼を言わせてくださいな、楓」
そう言って、白羽は丁寧に頭を下げる。内情までかなり晒しながら、白羽の知りたいことをきちんと教えてくれたことに素直に感謝していた。
「じゃあここ白羽の奢りでよろしくね!」
この一言までは。
「えっ」
「ほら、情報も売り物だし! 香宮も紅晴の外にも力を貸し出してる以上、ちゃんと対価は受け取らないとね! 大丈夫、ちょっといいアフタヌーンティ3人分なら2万円いかないから、やっすいもんだよ!!」
ぐっと親指を立てて笑顔で言い切った楓に、白羽はしばらく硬直した後、深く深く息を吐き出す。
「…………だから、そういうとこですわよ。楓」
とはいえ頼んだのは事実なので、大人しく身銭を切った白羽であった。
***
「良かったのか?」
「うん?」
白羽が帰った後、香宮へと戻る道すがら。
椎奈が案じるように問いかけてきて、楓は首を傾げた。
「随分と内情を詳らかにしていた」
「ああ」
これまで香宮は、内情については対外的には沈黙を続けている。それゆえに警戒されることもあるが、それ以上に過去の醜態を隠す意図もあった。それを翻すかのような楓の話に、護衛として沈黙を守りながらも、椎奈は疑問に思っていたらしい。軽く頷いて、楓は答えた。
「もういいかなって、慧とも話してた頃だったんだよね。それこそあれからもう10年以上が経って、その間に月波が世界中の話題掻っ攫ってくれたことも含めて、紅晴はいい意味で視線が落ち着いた部分はあるから……昔話くらいは、しておいても悪くないよねって」
「昔話……」
「ちゃんともう、昔話でしょう?」
柔らかく笑ってそう言い切った楓に、椎奈は少し目を細めて、頷いた。
「……そうだな。楓が、昔話にした」
楓がきょとんとする。椎奈は少し苦笑をして、言った。
「私たちはちゃんと、楓が当主だと認めている。今の香宮が成り立っているのは、楓のおかげだ」
「……そりゃまあ、家にいてくれる香宮直系が私だけだし?」
「そういうことではないだろう」
視線を合わせて、椎奈ははっきりと伝える。
「楓はきちんとやっている。胸を張れ」
あまりにも強烈な兄たちのせいでどうしても自信を持ちきれずにいる様だが、彼らが楓に当主の椅子を譲ったのは、ただそれが都合が良かったから、だけなはずがない。
言葉一つ、振る舞い一つに全神経を張り詰めて、わずかにも兄たちの、香宮の不利にならないように。笑顔と会話だけで切り抜けていくしなやかな強さを、彼らも椎奈も、ちゃんと知っている。
何があっても顔を上げて笑っていられる強さは、誰よりも持っている。
「……相変わらず、先輩はカッコいいや。魔王様に嫉妬されちゃいそう」
おどけたように言って、クスッと笑って。楓は足取り軽く登った階段の先、鳥居の前で待っていた人影に笑いかけた。
「ね、慧」
「俺が嫉妬する可能性は入れてくれないんだ、楓」
「えー? 先輩に嫉妬するのは卒業したんじゃなかったの?」
「子供たちに笑われそうだから我慢するよ」
くすくす笑い合いながら、二人は自然と手を取り合う。椎奈は肩をすくめ、けれど微笑みながら後をついて行く。
「ただいま」
「おかえり」