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三題噺  作者: 吾桜紫苑
16/16

16:怪獣、灰色、スピリタス一気

 伊巻竜胆は、半妖として生まれ、冥府に引き取られ、強化体として使役されてきたという、自分で振り返ってもなかなか数奇な人生を過ごしてきた自覚がある。人生の大半は冥府の鬼狩りとして数々の修羅場を潜り抜けてきたこともあり、肝が据わっている。

 特にここ20年ほどは、世界のバグとまで言われるような(伊巻瑠依)と契約した結果、ただただ頭を抱えるような突拍子のない不具合だの、もう一人の相棒()による天災のような暴れぶりだの、相棒の伝手で巻き込まれた仕事で出会った連中の大暴れだの、そこんじょそこらの連中には負けない鉄火場を潜り抜けてきた。よって、最近では大概の事件はため息の一つや二つで流している。


 だが、その日、個室付きとはいえ民衆向けのありきたりな居酒屋で起きた「事件」は、そんな竜胆をして、ため息なんぞではとても片付けられなかった。


「ところでさ」

 その「爆弾」は、注文していた食事が全て運び込まれた後、1杯目のウーロンハイをちびちびと啜っていた、竜胆の妻である梓から、至って普通の口調でぶち込まれた。



「疾君の私服がオール悠希ちゃんセレクトって話、マジなの?」



 場の空気が、完全に死んだ。


 なんら身構えずその場に居合わせてしまった竜胆と瑠依は、咄嗟に俯き全身全霊で息を殺した。比喩ではない。大暴れする怪獣、否、この世を滅ぼす厄災まおうを丸腰でやり過ごそうとする、命懸けの隠密行動である。


「……」

 爆弾を投げつけられた当の本人は、少なくとも表情や気配に変化はない。ただ、グラスを口に運んでいた手がほんの一瞬、わずかに動きを止めたことを、幸か不幸か竜胆の動体視力はしっかり捉えてしまっていた。


「唐突に何の話だ?」


 グラスを下ろして聞き返す疾の声は、普段と全く変わらない。なのに何故だろう。竜胆は服の下で全身の毛が逆立つような寒気に包まれた。

 今すぐ逃げ出したい竜胆の心情とは正反対に、梓の声はいっそ楽しそうだったた。


「や、ハッタリとかじゃなくてさ。疾君ってあたしらと飲む時、大体スーツじゃん?」


 梓の指摘通り、疾は飲みに合流する際は、仕事から直接来ることがほとんどだ。今日もチャコールグレイのスーツをきっちり着込んでいたと記憶している。スーツを着る習慣がない竜胆でも、生地の光沢や形からフルオーダーものだろうと分かる代物だったはずだ。


「で、竜胆君とか常葉ちゃんの話に出てくる疾君って、けっこーラフな格好じゃん。カーゴパンツにTシャツみたいな、動きやすい感じの」

「そいつらと出る時なら、動きやすさ重視で当たり前だろ。この歳でTPOの話でもさせる気か?」


 いっそ穏やかなほどの疾の声が、ひたすら怖い。竜胆は今、瑠依と珍しく心を一つにしていることだろう。石のように動かないまま、そう思った。


「んーん。こないだ、常葉ちゃんからお二人さんのデート目撃情報を聞いたんだ」

「……」

「あたしも疾君の私服、スーツともさっき言ったようなラフスタイルとも、全然系統が違うのを見たことあんだよねぇ。同じ人がこのデザインは選ばないよなあ、みたいなの」

「……」

「そもそも、疾君、そんなおしゃれを楽しむタイプでもないっしょ?」


 そろそろ本当に勘弁してもらえないだろうか、と竜胆はテーブルの縁を睨み付けながら真剣にそう思った。だが無情にも梓の尋問は続く。


「別にそんなに隠さなくてもいーんじゃない? あたしはすでにほぼ確信してるし、竜胆君はこういうの言いふらさないし。常葉ちゃんとか悠希ちゃんがいないタイミング狙ったつもりよ?」

「……瑠依の記憶は消すぞ」

「いんじゃね?」


 竜胆はとっさに、何事か言いかけた瑠依をこづいて止めた。下手に動いたら死ぬぞお前、のジェスチャーは伝わったらしく、瑠依は上げかけた頭を静かに下げた。



「……はーーーーー」


 ものすごく、それはもう珍しいクソデカため息の後、疾は一度店員を呼ぶ。注文を聞くなり戸惑いを顔に浮かべた店員が一度引っ込み、やはり戸惑い顔を貼り付けて酒瓶を持ってきた。疾が躊躇いなく受け取ると、引き攣った顔で出て行った。


「……えっと、疾君。それって」

「スピリタス」


 アルコール度数96%、世界で最もアルコール度数の高い酒を瓶で受け取った男は、ウイスキーの残るグラスに注いだかと思えば、一息で飲み干した。カンっと音を立てて空のグラスがテーブルに置かれる。


「…………いや、大丈夫なの、それってそーゆー飲み方するものじゃ」

「ことの始まりは、どこぞの迷惑な男が一度死に、復活した後」


 こちらも大変珍しく引き気味に制止しかけた梓を無視し、疾は平らな声で語り始める。


「諸々が片付くまで長く不在だったこと、その他諸々の埋め合わせとして、悠希が買い物を希望してな」

「う、うん」


 その他諸々に込められただろう大惨事を知る竜胆は、梓には疾に振る話題は厳選してくれと懇願することを固く心に決めた。


「最初はスーツのオーダーがしたいという話だったから、適当な店に入った。フルオーダーとはいえ、スーツの生地選んでサイズ測れば終わりだろうと思ってたんだが……梓の指摘通り、着心地に問題がなく明らかにおかしい色形じゃなきゃなんでもいい俺とは正反対に、あいつの拘りは凄まじくてな」


 はあ、とため息をついて、疾は抑揚のない声で続ける。


「生地の色から出元からスーツの形状だのポケットの数とサイズだの裏地だのボタンだのステッチだの、際限なく吟味して……3時間かかった」


「おお……」

 梓が感嘆の声を漏らす。竜胆も内心で同じ声をピッタリ上げていた。

 少し前に梓のスーツを買いに付き合った時は、そもそも既製品だったし、1、2着試して即決だった。多分30分もかからなかったと思う。3時間のスーツ選びは、未知の世界だった。


「ようやっと注文が終わったと思いきや、そのまま私服も買いたいと別の店に引き摺り込まれ、次から次へと試着。延々着替えて、最後の方は何を着たかも覚えてねえ……」

「お、お疲れさま……」


 竜胆は、顔を上げたいという好奇心を必死で抑えこんだ。こんな死んだ声をした疾は、それなりに長い付き合いだが、本当に初めてである。顔が見たい、だが見たら自分も記憶を消されてしまう。我慢だ俺。


「山ほど買おうとするのを3セットまでと止め、最終的には5セットになったわけだが」

「悠希ちゃん強いねぇ」

「……その時に、サイズを全部覚えたらしくてな」


 はあ、とまた大きなため息を吐き出して、疾は変わらず死んだ声で続ける。


「出張から戻ると、知らない服が増えてる」

「買ってるわね」

「自分で選ぶから買わんでいいとどれだけ言っても諦めない。こっそり処分してもいつの間にかまた増える」

「捨てるまでしなくてもいいんじゃない?」

「散々やりとりして、あいつと出かける時の服だけは好きに買わせることにしたんだが。最近は仕事周りも……そろそろ買い替えかという状態のシャツやネクタイが、いつの間にか新しいものに入れ替わっている……」


 そこで声が途切れ、再びグラスに酒を注ぐ音が聞こえた。持ち上げて一息、また空のグラスがテーブルに戻される乾いた音が響く。


「以上」

「いや、うん……なるほどね。けどさ、別にそこまで隠そうとしなくてもいんじゃない?」


 梓の疑問は竜胆も少し思っていた。が、続く返答があまりに疾らしく、納得した。


「……自分で服も選べねえ分別のつかないガキと言いふらす奴がいるかよ」


「あ、そう受け取っちゃうのかあ」

 梓はポンと手を叩いてから、さらに続ける。


「あのさ、そこは常識の違いかもよ?」

「は?」

「日本では、旦那さんの身の回りを世話するのって、一つの愛情の形だかんさ」

「……」

「あとは、かっこよく着飾った疾君が見たいんじゃない?」

「……」


 しばらく黙り込んだあと、疾は深々としたため息をついた。瓶に手が伸びるのが竜胆の視界の端に映る。


「いやあのさ、疾君そのくらいで、その飲み方は後で悠希ちゃんに怒られるんじゃ、ちょっ、うわ……マジで……」


 梓の声が今度こそドン引きした。うっかり顔を上げた竜胆は、瓶に直接口をつけて飲む真っ最中の疾を見て、思わず目を覆う。大惨事だ。

 ゴン、と瓶がテーブルに戻された。ちらりと指の隙間から見ると、流石に空ではないが、馬鹿にならない量が減っている。


「嘘でしょ……平気なのそれ」

「もはや味がしない、熱い」

「そらそうでしょうよ、水飲んでほら水」


 梓が本気で心配し始めたのに釣られて竜胆が手を下ろすと、不貞腐れた顔で水を煽る疾の姿が目に入った。バッチリ視線が絡んでしまったので、当たり障りない言葉を選ぶ。


「……あんま無茶な飲み方してっと、体壊すぞ」

「うっせえ保護者かてめえは」


 投げやりにそう返してから、疾は乱暴に髪をかき混ぜる。その勢いで、耳が赤くなっているのが見えた。無茶な飲み方をしたせいなのか、それとも。


(なんか……)

 本当に珍しいというか、初めて見た顔だ。そしてそれは、高校生時代から知る竜胆から見れば、決して悪い顔ではなかった。梓も、心配しつつも楽しそうに様子を見ている。


「……なんだ」

「べっつにー。ねえ竜胆君」

「え、おう……」


 なぜ話を振るんだと思いつつも、竜胆は率直に思った事を言った。


「仲が良さそうでよかったよ」

「死ね」

「それは流石にひでーだろ……」


 妄言にも程があるが、捻りのない言葉が出てくるあたり、なんだかんだ余裕がないのかもしれない。そう思えば、苦笑いで流す余裕も出来た。

 その後は話は当たり障りのないものに移り変わった。竜胆は、疾が追加で酒を頼もうとするのを全力で止め、梓と二人がかりでひたすら水を飲ませることに専念したのだった。


 瑠依の記憶は消された。

おまけ


翌日の朝。

「やっほー悠希ちゃん。昨日は旦那さん借りて悪かったわね」

『あ、梓さん。いえ、自分も久々に両親に孫を見せに行っていたので大丈夫ですよ』

「そかそか。……ところで、旦那の方は元気? 具合悪くしてない?」

『え? 元気ですよ? 今も子供達と遊んでます』

「そ、そっかー……。いや、それならいいんだけど」

『……その言い方、疾さん、また何か無茶な飲み方しました?』

「え、いやいや、そこまでじゃないわよ。いつもよりちょーっと多めだったかもだけど、それ以上に、なんかちょっとお疲れ気味だったかなぁって」

『そうですか? それならまあ、今日は早めに寝てもらいます』

「うん、働き過ぎは悠希ちゃんも要注意でね。そんじゃ」

『はーい』


「……元気だって」

「嘘だろ……スピリタス結局ほぼ一人で飲んでたのに……」

「疾君、月波の知り合い合わせても一番お酒強いんじゃないかしら……」

「半妖の視点から見ても異常だぞ……」


***


「疾さん。昨日、どんな飲み方したんですか」

「……別に。いつも通りだ」

「へえ。いつもより多かったって聞いたんですけど」

「大袈裟に言いやがって……1、2杯くらいだぞ」

「ふうん?」

「……」

「とりあえず、今日はお酒お休みです」

「……」


 次の新月の夜、竜胆と瑠依はいつになく過酷な目に遭ったという。


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