14:桜並木、ポニーテール、黒猫
その琥珀色の少年が玄関口に現れると、辺りが一斉にざわつく。警戒や忌避の色が濃いそれに、待ち伏せていた慧斗はこっそりと顔を顰める。
小学校で乱暴を、この間も中学生の不良グループをボコボコにしたらしい、いやそれどころか大人相手にも大立ち回りをしたらしい、この間は訳ありの心霊現象の噂があるところでうろついていたらしい、と物騒な噂があちこちで囁かれる中、階段を降りてざわめきに顔を上げた当の本人は、慧斗を見て納得したような顔をしてひらりと手を振った。
「慧斗。どした?」
「やあ、珀疾」
噂とは正反対に人懐っこい仕草で近寄ってくる従弟──珀疾に、慧斗はにっこり笑顔を作って返した。
互いの父親に似た二人は、方や茶髪に琥珀の瞳で少しキツめの顔立ち、方や黒髪黒目で柔和な印象を持たれがちな顔立ちと、あまり似通っていない。慧斗は去年生徒会長として辣腕を振るって信頼を勝ち得た一方、珀疾は物騒な喧嘩沙汰の噂ばかりが流れる問題児と、これまた正反対の評判の持ち主だ。故に視線が酷く集まる中、慧斗は努めて気付かぬふりを貫いた。
「今日は部活はいいんだろ。母上が今日はうちに寄って行ってってさ。一緒に帰らない?」
「それスマホで済んだやつじゃん。まあいいけど」
やや怪訝な顔をしつつも、珀疾と慧斗は幼い頃から仲の良い間柄だ。こうして家関係で下校が共になるのはままあることだ。そのまま肩を並べて帰り始めた。
すっかり葉の生い茂る桜並木を歩きながら、珀疾が慧斗に尋ねる。
「で、楓さんの言伝は手伝い?」
「ううん、今日はお菓子焼くから胃袋を確保しろっていうお達し」
「胃袋て」
相変わらず独特の言い回しをする慧斗の母からの伝言にツッコミつつ、珀疾の足取りは軽い。わかりやすい反応に慧斗もくすくす笑う。
「それで、うっかりメール見落として、部活の助っ人に捕まりかねない珀疾を先回りで捕まえろってさ」
「なるほど。……いや助かったけど、うん、まあ」
そこで珀疾が微妙に言葉を濁したのは、人目を気にしたのだろうか。分かってるから声かけたんだけどなあ、と思いつつ、慧斗は少し苦笑気味に返した。
「少しは印象改善に協力しようかと思ってね」
「慧斗の評判に傷がつくだけじゃねというか……もはや多少改善したところで何もしなくても勝手に悪化していくというか……」
遠い目でぼやく珀疾の言葉に、慧斗の苦笑に苦味が増してしまう。
「まあ、確かに……珀疾の仕業じゃないとか、梓先生関連とかな」
「元はと言えば自分で蒔いた種だし、その辺りはもう仕方ないなって思ってんだけど」
「仕方なくはないけど?」
誰彼構わず喧嘩を売る小学生時代を仕方ないで済ませるなと、二つ上の兄がわりに色々と奔走した慧斗は思わずつっこむが、珀疾は悪びれない。
「ガキだったし戦いたかったから仕方がない。……けどもう時効だろ。つーか最近の噂については大体俺のせいじゃないんだよな……」
「仕方なくはないけど、まあ、それは、うん……」
珀疾のぼやく理由もよく理解している慧斗は、微妙な顔で頷くことしか出来なかった。
***
二人の通う春影高校から家──「香宮」が祀る神社までは徒歩でもちょっと頑張れば通える距離だ。なんなら朝はランニングを兼ねることもある珀疾だが、今日は慧斗に合わせたのか、共にバスに乗って帰宅する。神社の裏手にある居住区域の勝手口から入り込んだ。
「ただいまー」
「ただいま戻りました」
それぞれに挨拶をすると、奥から声だけが返ってきた。
「おかえりー。紅茶とコーヒー、アイスとホットどうするー?」
「楓さん、俺アイスコーヒーでお願い」
「僕はアイスティーがいいです」
「りょーかーい。手洗ってらっしゃーい」
「はーい」
すでに玄関まで甘くいい匂いが漂っていて、空腹を思い切り刺激する。二人はいそいそと洗面所へと向かった。
ダイニングに向かうと、山と盛られた手のひらサイズのチーズタルトが待ち受けていた。二人は思わず声を上げる。
「うわすっごい量!」
「また随分作りましたね母上……」
「うん、途中からだんだん楽しくなっちゃって」
ころころと笑いながら冷えた飲み物を持ってきたのは、慧斗の母であり珀疾の叔母でもある楓だ。エプロン姿で慣れた手つきで配膳する様はごく普通の母親のようである。
……実際はこの街の術者を束ねる一族「香宮」の当主なのだが、その手の威厳は全く感じないのはご愛嬌だ。
「いただきまーす」
「いただきます」
挨拶もそこそこに二人ともタルトに手を伸ばした。珀疾が大口開けてかぶりつくのを横目に、慧斗は崩れやすい生地をうまくフォークで刺して口に運ぶ。
口に入れた瞬間に広がるチーズの味と、ほんのりと届くレモンの香り。タルトはしっかりと硬めだが噛んでいるとバターの甘味が出てきて、チーズの塩味とよく合う。自然と次の一口、もう一口と手が動いた。
「おお、さすが成長期。食べっぷりいいわねえ」
「まーこのあと鍛錬もあるし。というかめっちゃお腹すいた」
そのやりとりに慧斗が目を向けると、珀疾は既に一つ目を食べ終え、二つ目に取り掛かっているところだった。
「珀疾って、燃費悪いよね」
「むしろ慧斗が燃費良すぎ」
「作った身としては、見ていて気持ちいいわあ」
ちょっとからかった慧斗にジト目を向けながらも、珀疾の手は止まらない。勢いよく消費していく様子に、楓が感心したように笑う。
「小中学生組はもう満足いくまで食べたあとだから、好きなだけどうぞー。大人組には1個ずつ残してくれると嬉しいかな」
「流石に食べ尽くす気はありませんって」
「本当かなあ……」
そう言いながらも二桁に達しそうな勢いで食べる珀疾に、慧斗は呆れ顔を向けたその時。
「そうやって食欲に任せて豚のように太ってしまえばいいわ、この脳筋男」
「……あん?」
唐突に豪速球の喧嘩をふっかけてくる声に、珀疾が目を据わらせて振り返る。出会い頭のやり取りに、慧斗は思わず天井を仰いだ。
「無計画にお菓子を頬張るだなんてみっともない。いくらこのあと鍛錬だからって、消費できるカロリーには限りがあるのよ? トレーニング前に推奨される栄養価も知らないのかしら」
ふふん、と馬鹿にするように笑って姿を現した少女は、珀疾より少し幼い。腰まで届く艶やかな黒髪をポニーテールにした少女は、日本人形のような整った面差しにくっきりと小馬鹿にするような表情を浮かべて珀疾を見下ろしている。
珀疾の二つ下の妹、蒼羽である。何かと兄に対してつっかかる妹に、珀疾は慣れたものだろうに流すこともできず言い返す。
「……蒼羽、お前なぁ……。楓さんのご飯食べてる時にそういうこと言うの、無粋って言うんだぞ」
「あら、なあに? 最近体重が増えたとかぼやいていたお兄様に、助言差し上げただけよ」
「……いやそれは筋肉増えただけだし。身長も伸びてたし、その分だから」
「典型的な現実逃避ね、お疲れ様」
言葉のイントネーション一つ一つで煽りを入れる蒼羽に、珀疾がイラっとした顔をする。
「こんの……そこまで言うならお前も食うなよ」
「お兄様にどうこう言われる筋合いはないわね。私はしっかり食事メニューの管理はしていてよ、お兄様と違ってね」
「ああ言えばこう言う……!」
ぐぬぬと歯噛みする珀疾を改めてふふんと鼻で笑い、蒼羽と呼ばれた少女は優雅な足取りで楓の元へ歩み寄り、手にしていたトレイをさっと受け取る。
「楓叔母様、私が片付けますわ」
「ありがと。蒼羽はもうおかわりはいい?」
「ええ、十分いただきました」
「30秒以内の自分の言動振り返れ猫被り女……!」
口の中でうめく珀疾に、慧斗は苦笑しながらチーズタルトを一つ差し出した。
「まあ押さえて。ここで喧嘩したらまた怒られるよ」
「そうだな……せめて訓練で目にもの言わす……」
「口で勝てなくて暴力に走るなんて、ほんっと横暴ねえ」
「お前にだけは横暴とか言われたくはないんだが?」
もはや真顔で言い切った珀疾に、蒼羽はふっと鼻を鳴らす。
「私はお兄様のように後先考えずに暴力行為に走った覚えはなくてよ。容姿に釣られて手を出してくるような人間以下のゴミクズ掃除だって、私がやったという証拠は残していないもの」
「それ俺のせいだと誤解されてるやつな」
「日頃の行いって大事よね」
「そんなんだから中身を知ってる奴に「黒猫」って呼ばれるんだろ、エセお嬢様」
徐々にヒートアップしていくやりとりと、ピリッと高まり出した魔力に、慧斗はそっとチーズタルトの乗った皿を避難させる。
「……脳筋のくせに言うじゃない。ゴミクズのようにぶち転がして差し上げましょうか?」
「上等──」
「二人とも、ここで暴れたら夕飯のラザニアもポークドチョップもポテトグラタンも抜きね」
「──訓練場でな! 楓さんご馳走さま!」
「当然よ! 楓叔母様おいしいおやつをご馳走様でした!」
思春期の胃袋に食事抜きは死刑宣告と同義だ。しかも楓の腕によりをかけた食事なら尚更。
腰を浮かせた勢いのまま、しかし兄妹は揃って訓練場へと早足で移動した。
「……本当に喧嘩早い。母上は止めるのがお上手ですね……僕もまだまだです」
「慧斗もあしらい方は覚えて損はないわよ。食事抜きが未だに効くあたり、まだまだ可愛げあるじゃない?」
クスッと笑いながらそういう母親に、慧斗は思わずため息を漏らしながらも気になっていたことを尋ねる。
「はあ……ところで母上、夕飯まで作っているお時間があるのですか?」
「慧との交渉で勝ち取ったに決まってるじゃない」
「父上……」
力関係の如実に出る両親になんとも言えない顔になりつつ、慧斗も二人の後を追った。
***
慧斗が訓練場に着いた時には、すでに兄妹喧嘩は盛大に繰り広げられていた。
「こんっの、腹黒!」
珀疾が勢いよく振るった拳が結界を破壊する。三枚重ねて展開されていた結界を紙切れのように破り地面を蹴った珀疾は、しかし一歩踏み出した瞬間に大きくバランスを崩す。
「はんっ、猪突進は未だに直らないようねぇ脳筋男!」
蒼羽は地面に沿わせて展開した結界で弾き飛ばした珀疾に拘束用の結界を展開する。
「おりゃ!」
バランスを崩しながらもそれを蹴りで破壊すると、片手側転の要領で体勢を整えてすぐに地面を蹴る。
「ちっ!」
行儀悪く舌打ちをこぼした蒼羽が次の結界を展開──するより先に、魔力の段階で珀疾の腕に薙ぎ払われる。
「はあ!?」
「せい!」
驚愕する蒼羽の懐に一瞬で滑り込んだ珀疾が軽く足払いをかける。尻餅をついた蒼羽を見下ろしてふふんと笑った。
「俺の勝ち。これで210勝110敗な」
「かさ増ししてんじゃないわよ208勝115敗でしょうが! 数も数えられないの脳筋男!」
「はっは、負け犬の遠吠えは気持ちいいなー」
「こんっの……!」
「……毎度思うけど、いちいち数えてる時点で大分アレだよね」
小さくボソッと落とされた慧斗の呟きはスルーされた。負けず嫌いすぎる兄妹たちに肩をすくめる。
「さて、じゃあ次は僕も入っていい? 2対1でもいいよ」
「「は??」」
同時に振り返ってきた血の熱い兄妹に、慧斗はニヤリと笑った。
「まだ1対1じゃ負けないからね」
「ああああムカつく! こーゆー時の慧斗マジでムカつく!!」
「慧斗お兄様こそ腹黒と言うのよ今日こそ勝ってやる!!」
「よーし、じゃあやろっか」
ぱんっと柏手一つ。
たったそれだけで空間を占拠するように広がった魔力を前に、蒼羽がほおを引き攣らせる。
「はっ、上等!」
だが構わず珀疾が身体強化に魔力を回し、慧斗が展開する術式の数々へと躊躇なく飛び込んでいった。
***
「……お前たち。この後が鍛錬だというのを分かっていて、疲れるまで暴れてどうするんだ」
「「つい……」」
従伯父の無表情ながら如実に呆れが滲み出る眼差しに見下ろされ、珀疾と慧斗は肩で息をしながら気まずげに笑った。蒼羽は四つん這いになって悔しげに呻いている。
「この体力お化けと魔力お化け……!」
「年齢差と性差だろ、普通に考えて」
「え、今魔力お化け扱いされたの、僕?」
「鍛錬場全体に魔力を広げて術式構築補助結界の代わりにするなんて力技をして大立ち回りしたくせに、ガス欠を起こしてぶっ倒れないなんて魔力お化け以外のなんだって言うの!?」
ヤケクソのように叫ぶ蒼羽に、慧斗は曖昧に笑って返した。
「うーん、やってみたらできた?」
「慧斗、全部それだよな……」
「父上にも先代にもそうだよなとしか言われないよ?」
「そりゃその二人に聞けばそうだろう……てかお前、わざとだな……」
環境が狂っているせいで常識がおかしくなっているのは承知の上だ。それでもその環境の中で上を目指していかなければならないから、慧斗はあえて常識を狂わせている。それを理解している珀疾が、なんと言っていいのかわからない顔をする。
「そりゃあ、このくらいはね。僕は君たちを差し置いて後を継ごうって言うんだし」
「大歓迎なんだが?」
「この脳筋ならともかく、慧斗兄様なら安心だわ」
真顔で言い切る二人に、思わず黙り込む慧斗。珀疾は目を丸くした。
「え、何、ガチで悩んでるやつ?」
「僕なんかでいいのかなって……君たちだって優秀なんだし、素質も資格もあるんだ」
「私は嫌よ」
「俺も面倒そうだからパス」
「ええ……」
あっさりと、何の迷いもなく言い切る従兄妹たちに、慧斗は思わず微妙な顔になる。それを見ても兄妹の反応は変わらない。
「私は医者になってお母様の後を継ぎたいの。術者としては中途半端にならないよう頑張るし、いつかこの脳筋は勝ち越してやるつもりだけど、流石に当主兼業は勘弁ね」
「俺はとにかく強いやつとやり合いたいからなあ。最近外に出る勉強中なんだし、当主になって引きこもるのは希望と真逆っていうか……この猫被り妹に負ける気もないし、ひたすら外で武者修行したい」
「「というか楓さん(叔母様)見てると本当に面倒くさそうで嫌(よ)」」
「ええええ……」
建前と本音をほぼノータイムで開示してきた二人に、慧斗は一音しか出せなくなる。その肩に、静かに手を置いたのは修哉だ。
「慧斗」
「はい?」
「香宮の肩書きに、『やる気がある』以上の適性はない」
「説得力が段違い」
「他ならぬ修哉おじ様ならではね」
「うん、いやまあ、うん……」
修哉、そして兄妹の言葉にさらに複雑な顔になった慧斗に、修哉は肩をすくめる。
「慧斗にも十二分に素質はあるし、それだけきちんと修行を積んでいれば問題なく後を継げるだろう。何が不安なんだ」
「……。母上が、僕に継がせるにあたっていろいろと揉めているようなので。これ以上苦労をかけたくないなと」
「「マザコン!!」」
「違うよ!?」
声を揃えた兄妹に慧斗が声をひっくり返して反論する。
「行動指針の全てが楓叔母様基準なのにマザコンじゃないは無理があるわ!」
「そして楓さんに楯突いてるおバカ連中は誰が当主に志願しても文句言うぞ!」
「せめて親孝行と言ってよ! そ、それに適性だって大事だろ──」
「そもそも直系なんだから文句言われる筋合いないでしょうが。しかも楓叔母様はあのクソ雑魚父様よりはマシじゃない!?」
「あっごめん、それは俺こっちにつくわ」
「珀疾……大人になったなあ」
「だからなんでこの件に関してはあんた意見ひっくり返ってるのよ! 裏切り者!」
「そのうち分かる」
眉を吊り上げて猛る蒼羽に、珀疾は悟った面持ちで返す。さらに眉を持ち上げて珀疾に食ってかかる蒼羽に、修哉は額を押さえる。
「……蒼羽もなのか」
「はい。……こっちはさらにちょっと拗らせている感じがありますね……」
多分仕事で帰ってこないのが寂しいんだと思います、と本人に聞こえないように囁いた慧斗に、修哉はなるほどと頷いた。
「筋肉でしかもの考えないおバカ! 脳筋!」
「うっさいなこれでも最近は頭使ってんだよ! 蒼羽はその頭でっかちの根性曲がりをどうにかしろ!」
「はああああ!?」
「あ、これまずいな……おーい二人ともちょっと落ち着いて」
「「うるさい!」」
「いや僕の相談事から勝手に喧嘩始めないで欲しいんだけど!?」
声をあげて止めに入った慧斗も結局は舌戦に巻き込まれ、最終的に術が出て「訓練前だと言っただろう」と修哉にまとめて鎮圧されるまで続くのだった。