第七話:生きる事に理由はいらない
ゴブリン。
薄汚い緑色の体色であり、その背丈は人間の子供程度で手足も細く手に何かを持ち、扱う事が出来る程度の知性を持ってはいるが、人間と違って同族意識などを持ち合わせておらず常に群れの中で自分だけが、得をするにはどうすれば良いか考えている種族である。
生きる為に群れを成すものの、完全実力社会に加え最も弱いただのゴブリンはすぐに増える為に、扱いは雑であり上位種へと進化した存在が、その日の狩りの成果を独り占めする事も多く、非力でありながら生き残っても碌に食事を取れず餓死したり、過労死する個体も少なくはない、まさに劣悪環境の極みと言える生態だろう。
だからこそ、上に上り詰めた個体は元がゴブリンである事など信じられない程に強い。
『ギィィアア!』
「──」
白騎士の構えたラウンズシールドを強引に、自らの腕力だけでパリィするともう一振りの両刃斧を白騎士へと振り下ろし、足元に集まっていたゴブリンを真っ二つに叩き斬る。
白騎士が居ない事に一瞬、顔を顰めるがすぐにゴブリンチャンピオンは自らの攻撃を目隠しにし、駆け出している白騎士を見つけ出し、隣に立っている黒色肌のゴブリンチャンピオンに向かって吼える。
『ギィギア!』
『ギ?ギィギィア!』
彼らの言葉は分からないが、それは互いに責任を押し付け合っている様で、根本的な部分はただのゴブリンと大差ないのだと白騎士に印象付ける。
しかし、そう簡単に獲物を逃すほど二体のゴブリンチャンピオンは甘くなく、口論もほどほどに両刃斧を投擲し背を向ける白騎士を斬り裂こうと目論む。
「──」
しかし、クルッと反転した白騎士は見事な技量で回転しながら迫る両刃斧を剣で、弾き飛ばすと弾かれた一本が死霊の魔女へと襲いかかろうとしていたゴブリン達の頭上へと落下し、殺すとそのまま死霊の魔女を守る盾となる。
「ひゃっ!?」
自身の近くに人など容易く真っ二つに出来そうな両刃斧が落ちてきた事に、小さな悲鳴をあげる死霊の魔女は御守り代わりにぎゅっと短剣を握りながら、目元に涙を浮かべつつゴブリン達を睨みつける。
『ギィギア、ギギット!!』
『『ギィ……』』
ゴブリンロードの叱りが飛び、それをチャンピオン達は煩わしそうにしながらも形だけの返事を返し、両手で両刃斧を握り締め、自分達へと振り向いた白騎士を睨み付ける。
「──」
白騎士もそれに応じる様にゴブリンチャンピオンの一撃を受けてなお、傷や凹みが生まれていないラウンズシールドと剣を構える。
『……ギィ』
自らの配下の中でも優れた戦闘力を持つ者と睨み合いを行っている白騎士を、ゴブリンロードは明確な知性が感じられる黄色の瞳で、冷ややかに見る。
配下の中から今のうちに、女の方を狙おうという進言が出ているがそれをゴブリンロードは全て、無視……いや、その選択を取れば己が死ぬであろうという直感により、行動を起こしていない。
ロードへと進化してなお、こうして現場に足を運んでいた為だろう。
戦場に流れる独特の空気感を察知する生存本能は、衰えておらずこうして思考を重ねている今も、ゴブリンロードの脳裏には不用意に動いたが最後、自らの首が飛ぶ光景が鮮明に映し出されていた。
『……ギィィア!!』
その事実が肥大化したゴブリンロードのプライドを刺激し、とっとと白騎士を殺せとゴブリンチャンピオンへと指示を出し、それが合図となった白騎士と二体のゴブリンチャンピオンは駆け出し戦闘を始める。
『ギァイ!!』
先ずは緑色の体色のゴブリンチャンピオンが、両手で握りしめた両刃斧を薪割りの様に振り下ろすが、最初の一撃でゴブリンチャンピオンの力強さを理解した白騎士はまともに受け止める事をせず、甲冑でありながらかなりの速度を維持し、股下をすり抜けると巨体を支えるアキレス腱を斬り裂く。
『ギッ!?』
急に力が入らなくなり崩れ落ちる緑のゴブリンチャンピオンであったが、その戦闘センスから片足が斬られるより早く、白騎士を蹴り飛ばす様に振り回し攻撃より回避を優先させる事で、完全に動けなくなるのを阻止するとゴロリと転がりながら、黒のゴブリンチャンピオンの巻き込みを避ける。
「──」
味方の事など知らんと振り下ろされる両刃斧を見上げる白騎士は、徐にラウンズシールドを掲げる。
それを受け止める為だと判断したゴブリンチャンピオンは、舌舐めずりをし勝ちを確信するが直後、スルリと自分の力が去なされたのを理解し、驚きに目を見開くとそこにはラウンズシールドによって、横から叩かれる……即ち、正しいパリィを受け逸らされた自身の右腕へと、剣を振り下ろさんとする白騎士の姿があった。
「──」
『ギィィィア!!』
ゴブリンチャンピオンの逞しい腕が、白騎士の持つ剣によって両断されその激痛に悲鳴をあげつつ、追撃を避ける為に飛び退く辺り、蓄積した戦闘スキルの高さを感じさせる。
「──」
『『……ギィィ』』
左手に持つ剣を中段で構える白騎士を見て、漸くゴブリンチャンピオン二体は、目の前の敵を甚振って殺す敵から本気で潰すべき相手だと理解し、痛む身体を気にしつつも真剣な表情で両刃斧を構える。
白騎士もまた予想以上の強さに内心、焦りを感じながら兜の奥で死霊の魔女へと視線を向け、ソレに気がついた──知らず知らずのうちに強者との戦いで意識が僅かに、逸れてしまったのだろう。
『ギィ!』
「あぐっ……ぁぁあ!」
岩肌を巧みに移動し、気配を消していたゴブリンが死霊の魔女の頭上から彼女へと襲い掛かり、右肩に短剣を突き立て、突如と走った鋭い痛みに彼女は甲高い悲鳴をあげる。
「──」
言葉こそなかったが、焦った様子で死霊の魔女へと駆け出そうとする白騎士の明確な隙を、意識の切り替わったゴブリンチャンピオンが見逃すわけもなく、両刃斧が襲い掛かりまるで、野球の球の様に勢いよく白騎士を吹き飛ばす。
鎧の強固な守りによって切断される事はなかったが、死霊の魔女から遠ざける様に吹き飛ばされた事で五メートルほど、彼女との距離を作られてしまった。
『ギィギァァ!』
こうなれば歓喜に震えるのはゴブリンロードであり、嬉々として守り手の居なくなった死霊の魔女へとゴブリン達を向かわせる。
「ヒッ……!」
恐怖と痛みから零れ落ちる涙は、ゴブリン達を興奮させるスパイスにしかならず、彼女がどれだけ助けを願っても白騎士は遠く、ゴブリンチャンピオンという厚い壁によって即座には来れない。
……この世界の原典である『魔女狩り英雄伝説』において、死霊の魔女は此処で最悪な『初めて』を経験する事になる。
本来の世界ではこの時点の彼女は、自らの力を忌避していた為か、同じく白騎士を呼び出していても此処まで自発的に動くことはなく、何をするにも彼女のオーダーが必要な存在だった。
幸か不幸かイレギュラーである岸本の存在で、ただのゴブリンによって最悪な『初めて』を経験する筈だった彼女は、複数に犯されるという経験を味わう危機に晒されてしまったのだ。
痛い……痛い……痛い……!
どうして、私がこんな目に遭わなくちゃいけないのですか……?
私が何かいけない事をしましたか?
魔女と呼ばれ、迫害されて、こんなところで犯されかけるほどの悪い事を何かしましたか?
騎士様……騎士様……助けて……
『そうやって蹲ってばかりじゃ何も変わらないですよ』
そんな事は分かっています……!でも、怖いんです、恐ろしいんです!戦う事が、私が生き残っていつか起こすとされる罪が!!
そうです……どうせ、これから悪い事をして多くの人間を不幸のドン底に叩き落とすぐらいなら、此処でゴブリンに犯されて死ねば良いんです……私なんか……わたし、なんか……
『今もそこで戦ってくれている騎士様の想いはどうなるの?私が呼んで、応えてくれて、今も必死に戦ってくれてる騎士様の想いは?』
……それは……
『魔女と呼ばれて、助けて!!と叫んでも助けてくれなかった大切な幼馴染とやらと違って、騎士様は私の手を取ってくれましたよ。その責任は取らなくて良いの?その力が私にはあるでしょ?』
……良いのかな、私が私なんかが生きていても。
ううん、生きていたいと願っても。
『少なくとも騎士様はそれを望んでくれている。私を肯定的に見てくれる人と否定的に見る人、どちらの意見を尊重するべきかは、私にだって分かる筈ですよね』
……分かった、まだ凄く怖いけど私は私を信じてくれている人に報いたい。
顔を上げてもう一人の私と向き合うと、鏡合わせと私はニッコリと優しく微笑んで私と重なり合う。
「我は願う。慚愧の魂よ、その慟哭の叫びを我は聞き届けよう。肉体が滅んでなお、怨嗟に呻く魂達よ。我が汝らを繋ぎ止める杭となる。一時の時間だけ、この世に舞い戻り慚愧を怨嗟を晴らし給!」
本来であれば遠くの未来で花開く、才が白騎士への想いを糧に開き始めた。