第三話:悪党鼠
「んっ……」
自分が零した寝言で目を開き、差し込んで来た僅かな太陽の光が染み付いた巫女としての習慣を思い出させ、ゆっくりと身体を硬い地面から起こす……もう二度と、境内の掃き掃除も巫女の修練も出来ないと言うのに……
「……朝からこんな暗い気分は駄目っと、騎士様は何処に?」
差し込んでいた太陽の方へと視線を向ければ、そこには見事な直立不動で外を眺めている騎士様がいて安心感に包まれる。
……あ、昨日の雨で少しは汚れが落ちたけどやっぱり、まだ綺麗な白い鎧が汚れてる。
錆をどうにかするのは難しかもしれないけど、泥なら今の私でも落とせるかも、何かあったかな。
「……あった」
逃げ出す時に母様が渡してくれた小さな、巾着袋の中から一枚の手拭いを取り出して、洞窟の入り口に佇む騎士様の方へと歩いていく。
途中で私が起きた事に気がついた騎士様が、私の方へ振り向くと呼び出した時、同様に傅き頭を下げてくれだけど、申し訳ない気持ちになる。
「頭を上げて?私はそんな偉い人じゃないから……」
「──」
顔を上げるように頼んでも騎士様は、下げたまま首を横に振るだけで何も答えず、顔を上げてくれる事もしてくれなくて、少しだけムッとしたけど背の小さい私が騎士様の掃除をするのなら、しゃがんでくれている方が都合の良い事に気がついて、許してあげる事にしよう。
「動かないでね」
「──」
でも少しだけの意地悪のつもりでそう言ってから、洞窟のすぐ近くに生えている木や草に付いている朝露を持っている手拭いに染み込ませてから、騎士様の元へと戻ると律儀に指示を守っていた騎士様は、そのままの姿勢で顔だけが私の方を向いていた。
「離れて心配だった?」
「──」
「ふふっ」
小さく頷いたのを見て、自然と笑みが溢れる。
そんな優しい騎士様にゆっくりと近づいて、綺麗な白い鎧を手拭いで丁寧に拭き始めると、私の行動が理解出来なかったのか手拭いを動かす私の手を優しく掴み、鎧から離そうとしてくる騎士様……汚いから触れるなってこと?
「やっ。これは何も出来ない私が出来るお礼なの。泥ぐらい落とさせて」
軽く睨みつけながら言えば、騎士様は観念したように手を離してくれ私の行為を受け入れてくれた。
あの地に眠っていたところを叩き起こし、安らかな眠りを妨げた代わりに慚愧を晴らす機会を私が与えたとはいえ、こんなに低姿勢にならずとも良いのに……でも、これがきっと騎士様の優しさなのでしょう。
「よいしょ……よいしょ……」
「──」
すっかり私を受け入れてくれた騎士様の鎧を元の白さが戻るまで、綺麗にするのには結構な時間と体力を使う事になったけど、外から聞こえてくる鳥の囀りや木々の揺れる音を聞きながらの時間は、故郷を追われ死に掛けた私にとってとても掛け替えのない至福の時間だった。
ンッ!!俺の推し可愛すぎる!!!!!!!!
突然、外に出て行った時は物凄くハラハラとしたが、濡れた手拭い片手に背一杯、背伸びをして俺の身体を拭く姿は正直、今すぐにでもカメラに収めて永久に保存したくなる可愛さで、この手にスマホが無い事が憎たらしくて仕方ない……!けど、今此処で感情の赴くまま叫んだら折角、必死に拭いてくれるこの子を驚かす事になるから気合いと根性で我慢して、瞬きをせずに目の前の尊すぎる光景を網膜に焼けつける事に専念しよう、そうしよう!!
……ふぅ、やっぱり死霊の魔女は優しすぎるのがネックだな……守り手に依存したくなる気持ちは分かるが、精々使い捨ての駒として見てくれないと、最期の時に抵抗出来ない。
無理だろうな……今も汚れが落ちた俺を見て満足そうに微笑む君には。
センチメンタルな気持ちに浸かるのは早いぞ俺。
兎に角今は、彼女を出来る限り安全な場所に連れて行かないと。
いつまでも洞窟暮らしというのは、俺は兎も角、女の子である死霊の魔女には酷な環境だろうし風邪などの病気に罹ったときにどうしようも出来ないしな。
となると、やっぱり魔女の中で唯一、国を持っている龍の魔女を頼ってマグドニアを目指すのが一番になるだろうな、あの国なら飛竜や龍のお陰で本当に一握りの英雄しか侵入出来ないし、龍の魔女は自分に歯向かうものは殺したけど恭順した者達は殺さずに、王様が生きていた頃と何一つ変わらずに生きられるようにしていた筈だから、敵対とか考えない死霊の魔女との相性も良い筈だ。
「──」
「騎士様?」
いや、召喚したのはそっちなんだからそんなに下手にじゃなかった!
死霊の魔女を背に庇いながら、立ち上がり洞窟の奥からこちらに向かってくる殺気に対し、背中の剣を引き抜き構える。
騎士が積んだ経験が無かったらこの気配に気づけなかったな……野生とは言え、かなり粘つく明確な悪意を宿した殺気を放つものだな、名は体を表すとはよく言うが本当らしいな。
『チュッチュッ!!』
「ヒッ……お、大きい鼠?」
人間のくるぶしよりちょっと上くらいまでの背丈を持ち、逆立つ茶色の体毛に突き出した強靭な二枚の前歯とこちらを嘲笑うかの様な狡猾さを感じさせる目つき……間違いなく『地下迷宮』に生息している悪徳鼠の群れだ。
あぁ……どうやって南まで一目を避けるか悩んでたけど、こいつらが出てきたって事はこの洞窟、繋がってるのか。
『チュッチュッ!!』
「きゃあ!?」
──まぁ、取り敢えずウチの姫様を泣かせた責任は取って貰おうか鼠畜生!
生き抜く上で狡猾に悪辣に進化した悪党鼠は、見るからに強そうな厳つい白騎士を無視し、洞窟という閉鎖空間を活かし、壁や天井などを足場にし庇われているひ弱そうな女へと一斉に飛び掛かる。
だが、陽動を担当し正面から突っ込んだ五匹は白騎士の持つラウンズシールドで、ボールの如く弾き飛ばされ強靭な肉体を持っている訳では無い為、骨が砕かれ陥没し瞬く間に絶命する。
『チュッ!!』
仲間の死すら嘲笑う本命担当の悪党鼠達は、これから自分達が喰える新鮮な肉と血に期待を膨らませながら、大口を開き期待した暖かな血と肉の芳醇な味ではなく、冷たい鉄の無機質な味を感じた瞬間、白騎士が横凪に放った剣によって綺麗に切断され、自らが斬られたという自覚も無いままに絶命した。
『チュッ……!?』
洞窟の奥から血の匂いを嗅ぎ、後続として新たに現れた悪党鼠の十匹からなる群れは、自分達より先に獲物へと襲い掛かっていた同じく十匹の群れの全滅を見て、恐怖に後ろへ下がるが地下迷宮という生存競争から逃げ出してきた自分達では、戻った所で死ぬだけだと進化した知性が告げ生存の為に白騎士へと飛び掛かる。
「──」
右手に装備されたラウンズシールドを掲げ、決死の覚悟で突っ込んでくる悪党鼠達へ、白騎士も大きく一歩を踏み出しながら、シールドバッシュの要領で吹き飛ばし死霊の魔女から少しでも遠くへ、移動させると衝撃を耐え抜きどうにか生きている悪党鼠へ剣を振り下ろし、絶命させていく。
『チュッ!!』
作業の様に同胞が殺されていく中、一際賢かった個体は死んだフリで白騎士をやり過ごし、そのまま一気に死霊の魔女へと駆けていく。
狡賢く、悪辣に、自らが生き残る為なら例え同胞であろうと裏切り、少しでも多く新鮮な獲物を食い生きてきた悪党鼠にとって、今回の様な事態は珍しくなくこの個体も、幾度となくそういった経験を積んで来ていたからこそ、どうすれば良いか本能で理解し実行した。
相手が死霊の魔女に絶対の忠誠を誓う白騎士で無ければ、明るい陽の下に逃げ出す事が出来たかもしれない。
「──」
『チッ!?』
腹部に違和感を感じると共に激痛が走り、悪党鼠は自らの身体が、動かなくなった事に思考が停止し、そしてもう二度と思考が戻る事はなかった。
合計、二十匹の群れは死霊の魔女に触れるどころか、自らが死んだ時に溢す血すら届かせる事が出来ず、白騎士によって絶命するのだった。