後編
「お待ちしておりました」
木下家に着くと、使用人と思われる人がすでに僕を待っていた。
初めて入った敷地は想像以上に広く、いつも僕が見上げていた桜が塀に沿って等間隔に奇麗に植えられていた。
満開の桜が風に揺れて、はなびらが舞い散る。
美しかった。
見惚れて、少しの間足が止まる。
「ご存じですか?桜は一般的な家庭に植えるには不向きな樹木なんですよ?」
「そうなんですか?」
「根がはりますからね。木下様のお屋敷くらい広ければ別ですが、普通のご家庭で何もせずに植えればいつか根が家を壊してしまいます。種類によっては育ち過ぎて剪定するにもお金がかかりますし、害虫もでます。ですから外で眺めるくらいがちょうどいいんですよ」
「はあ」
「けれどあなたは見上げれるだけでは飽き足らず、中に入ってきてしまいましたね」
春の温かい空気が、一瞬で冷えた気がした。
「木下いつか様がお待ちです。こちらへ」
屋敷の中に入ってすぐの部屋に案内された。
心臓が痛いくらいに鼓動して、冷汗が出た。
来てはいけなかった。けれど戻ることも許されない気がした。
「初めまして」
しばらくするとそう言いながら彼女が入ってきた。
顔は似てるけど、やっぱり彼女が別人だと確信した。
「……初めてじゃない。何回か会ってる」
「そうね。前の木下いつかから手紙を預かってるわ」
「前の?」
「そう。外の世界に興味を示さなければ今もここにいられたバカなあの子よ」
渡された手紙を振るえる手で開封した。
『こんにちは。名前も知らない君へ
私の名前は木下いつか。幼いうちに亡くなった木下家の長女の代わり。
虐待する両親から引き離されて、整形してここに住んでいたけど、
ルールを破って外を覗いてしまったから私は処分されることになりました。
私は何人目の木下いつかなのかしら?
好奇心を抑えきれず、あなたを巻き込んでしまってごめんなさい。
でも嬉しいの。私は一人で桜の下に行くわけじゃない。
あなたを待っていられるから怖くないし、寂しくないわ』
「これって……!」
思わず顔を上げる。
「あなたのこと、半年ほど調査したわ。あなたの性格、容姿、行動、全てにそっくりな人間を用意できたからここに呼んだの。あなたはここで死んで桜の下に埋められる。木下家の秘密に触れるものは生きて帰れないかわりに、不幸だった別の子に新たな人生と温かい家族が与えられるのよ」
「別の子って……」
「私や前の木下いつかと同じように、特別な事情でちゃんと生きられなかった人が、あなたという人物に成り代わり家族や友人を手に入れられるの?どう、素敵でしょ?」
「でも僕は……!」
「あなたのことなんて知らないわ。私の今の父はね、美しい桜の下に醜い死体が埋まっているというその事実にゾクゾクするんだって。変態よね?でもあなたはその変態の養分になるの。私はこの木下いつかの地位が気に入っているから、父の言う通りあなたを殺すわ。ごめんなさいね」
初めて笑顔を見た次の瞬間に、僕の意識はなくなった。
父さんも母さんもおじいちゃんもおばあちゃんも気づかない。
新しい僕がきっとこの後、僕の振りをして家に帰るんだ。
「ただいま」
僕だって、そう言いたかった。
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