中編
彼女が姿を見せなくなってからも、時々同じ場所から見上げた。
いつまでたっても、彼女は顔を出さなかった。
そして冬がきて、春がきて、また桜が咲き始めた頃、彼女に会った。
「こんにちは」
塀の上からこちらを見る彼女はいつものように笑うこともなく、そう言った。
手紙じゃない?初めて声をかけられて戸惑いながらも「こんにちは」とかえす。
「ねえ、私のこと知ってる?」
「よく知らない」
「じゃあ、私の名前知ってる?」
「木下いつかでしょ?それは知ってる」
「当たり」
そう言うと、彼女はピクリとも笑わずに顔をひっこめた。
顔は同じだったけど、本当に自分が知る彼女なのか確信がもてなかった。
どこかモヤモヤして、何か怖くて、それ以降は塀を見上げることはしなかった。
けれど桜が散る頃、彼女は僕の前に現れた。
「こんにちは」
いつも見上げていた場所に、彼女が立っていた。
「こんにちは」
彼女はやっぱり少しも笑わなかった。
なぜか怖くなって、逃げ出したくなって、そのまま走り去ろうとした。
「どこに行くの?」
けれど腕を掴まれて、逃げられなかった。
「学校。遅刻しちゃう」
「まだ時間はあるでしょ?」
「君は学校に行かないの?」
「私は通ってないわ」
「……ねえ、離して」
「明日ちゃんと話がしたいの。休みでしょ?何時でもいいから遊びにきて」
「親に相談しないと……」
「ちょっとお茶を飲むだけだから」
「……わかった」
そう言って、掴まれた手を振りほどくようにして走り出した。
あんなに微笑みかけてくれていたのに、今の彼女は少しも笑わない。
怖い。明日行きたくない。
けれど行かなかったらどうなるの?
この先もずっと待ち伏せされるの?
道はここ以外にもあるけど、通らなきゃいけないこともある。
明日だけだから……。ほんの少しの我慢だから。
「ねえ、ハルト。どうしたの?今日元気ないね」
夕飯は大好きな唐揚げなのに箸がすすまなくて、様子を察したお母さんが心配そうに声をかけてきた。
前に関わっちゃダメと言われたのに、結局関わっていたので言い出せなくて「……なんか腹の調子が悪いだけ」なんて言い訳して、そのまま部屋に戻った。
木下家はなんか変だ。
高い塀に囲まれているせいもあるけど、なんだか人の気配がしない。
木下いつかからもらった手紙もおかしかったし、なにより何か怖い。
行きたくない。けれど明日行ったら親に全部話そう。そう決めた寝た。
「ハルト、出かけるの?」
「うん、友達の家。借りたもの返すだけだからすぐ帰る」
「わかった。気を付けてね」
「うん」
「いってきます」




