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前編

 どこまでも続く高い壁に囲まれた家。

 壁の上から少しだけ顔を出す桜の葉っぱ。


 僕の近所には『木下』という豪邸があり、そこには僕と同じくらいの女の子が住んでいる。


 初めて彼女と出会ったのは桜がもうすぐ満開という時期で、風に揺れる桜を見上げていたら、塀の上から女の子がひょっこりと顔を覗かせた。

 あんな高い場所にどうやって?と思っていたら、彼女はにこりと笑いすぐに顔をひっこめた。

 

 同じくらいの年に見えたけど、学校で見かけたことがない。

 お金持ちの家みたいだし、私立の小学校に通っているのかもしれない。

 そもそもあのお屋敷にどんな人が住んでいるのかも知らない。


 色々考えていると、気になって仕方がなかった。


 「なあ、木下って家あるだろ?あれ、どんな人が住んでるの?」

 「あの豪邸?」

 「そう」

 「えー、知らない。どっかの社長じゃない?」

 学校の友達に聞いても誰も知らない。


 「ねえお母さん。木下っていう家、どんな人が住んでるの?」

 「あーあそこね。よく知らないけど、関わっちゃダメよ」

 母さんも父さんもおじいちゃんもおばあちゃんも何も教えてくれない。


 大人はただ、関わらないようにと言うだけ。


 そうなると益々気になる。

 木下家の前を通るたびに、高い塀を見上げる。

 あの子がまたいたらいいのに。そう思って探した。


 桜が満開になり、やがて散り、葉桜になり、そして夏がきた。


 「あっ!」

 前と同じ場所から女の子が顔を出していた。

 向こうも驚いたような顔をして、そしてまたニコリと笑う。

 「ねえ!」

 そう話しかけると、彼女は慌てて口に人差し指をあてる。

 僕も慌てて口をとじ、ごめんねのポーズ。

 その様子を見てから彼女は辺りを見回し、丸めた紙を僕に投げた。

 「え?」

 落としそうになりながらそれを拾ってまた見上げる。

 そこにはもう彼女はいなくて、丸められた紙を広げて読む。


 『私の名前は木下いつか。10歳。よかったらまた明日同じ時間にきてね』


 たったそれだけだった。

 けれど気になって次の日も同じ時間に同じ場所から見上げると、彼女がひょっこりと顔を出した。

 同じようにニコリと笑ってから、また丸めた紙を投げる。


 『私の母は偽物。家政婦も全部偽物。父だけが本物。明日も同じ時間にきてね』

 

 急に怖くなって、関わってはいけない感じがした。

 だけど好奇心が抑えきれず、毎日毎日同じ場所から紙を受け取った。


 『あなたには家族がいて羨ましい。私にはいない』

 『私はもうすぐいなくなるかもしれない。でも私を覚えていて』

 『誰かに聞かれたらこう言って。木下いつかを知っているって』

 

 よくわからない手紙が続いた。

 たまに、今日は天気がいいとか、暑くて大変とか、普通の内容のこともあった。

 

 気になった。

 辞めた方がいい。そう思っていたけど、やめられなかった。

 そして、少し肌寒くなってきたころ彼女がパタリと顔を見せなくなった。


 最後の手紙は、『いつか桜の木の下で会えたら嬉しい』だった。


 

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