着水
燃料計は急激に減っている!
どうする?機動部隊は約300キロ先、1時間飛ぶのは無理だ。それに単機でピタリと辿り着けるかわからない。
あらかじめ指定されている不時着地点のニイハウ島は200キロ先、やはり無理だ。
もう一度後ろを見るが、変わらず燃料がシャーッと七色の糸を引いている。
こりゃ、いつ空になってもおかしくない。
クソ!最終的に負けたのは俺の方か!
奴は今頃上手くいけばオアフ島上空に辿り着いて落下傘降下でもしているかもしれない。
そうか、落下傘降下か、俺もやるか?いや、万が一この零戦を鹵獲されることは避けなければならない。
不時着水して、機体を沈め、そして泳いで上陸潜入する!
それしかない!
あまり海岸から離れすぎず、人気のない場所でやるしかない!
そうと決まれば、ベストな場所を探そう!
私は海図を見ながら高度を下げる。
この辺り、オアフ島西側は雲が多くなり、風が強く波も高い、ざっとみても自分の判断は甘かったような気がしてくる。
まず着水が困難に見える。あんな高い波、引っくり返ってたちまち飲み込まれるぞ。
しかも、泳いでいけるか?
これはわからないが、救命胴衣を信じて行くしかない。
あまり時間はなさそうだ。とにかく着水に全神経を集中しよう。
あれっ!まだかなり先だが、舟が居る!小型の舟が帆を張っている!
見られている!クソ!アメリカ軍の哨戒艇ならやらねばならない!
私はその舟を照準器に入れながら接近する!
徐々にその姿が大きくなってくる。
舟は小型で、アウトリガーのある帆船だ。
遠目にも軍関係ではないのが判る。
ホッとして射撃レバーを解除しながら更に近付くと、乗員は1名で、マストに手をかけて堂々と佇んでいる。
小麦色の肌、スラリとして引き締まった二の腕と両足、そして、美しい黒髪、美しい、女性だ。
思わずゴーグルを上げて凝視する。
時速200キロ、何秒見つめ合っただろうか、私は我を忘れて舟の真上を通り過ぎる。
これは冥土からの使者なのか、こんなところであんな美しい娘が舟に乗っているなんて。
番番!番番番!
エンジンが不安定になってきた!
もう猶予はない!あの娘のことは置いといて、着水に集中する!
波の落ち着く瞬間を見極めろ!
しばらく飛ぶが、進むにつれて波が高くなるようで無理だ!引き返す!
また遠くにあの娘の舟が近付いてくる!よく見ると、あの娘の舟は、波で揺れていない?波が落ち着いているのか?
まるで、まるでモーゼの十戒にある約束の地を示すように、波が落ち着き、光が指して海の滑走路がひらいている。
そして、約束の先に、あの娘が待っているように感じる。
「あぁ、わかったよ。」
私はあの舟に、あの娘に向けて着陸体勢に移る。
この数秒の間、不思議なほどに静寂が訪れ、愛機から滴る燃料は大きな虹を生み出し、私と彼女をその両端に繋げるのであった。
そしてその虹に牽かれるように私の零式艦上戦闘機は静かに不時着水した。




