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12月22日、ハワイ開放作戦終了


ミッドウェー海戦から2日、ミッドウェー島は大日本帝國の手に落ちた。


山本五十六聯合艦隊司令長官が指揮する、戦艦扶桑、伊勢、日向、山城を中心とした打撃艦隊の艦砲射撃により、ミッドウェー島の施設や火砲は早々に沈黙。

同艦隊が睨みを利かせながらの強襲上陸部隊の突撃により、守備の海兵隊約700名は早々に降伏したのである。


そして、空母加賀は、かろうじて鎮火に成功すると、予定通り占領後のミッドウェー島の岩礁地帯に座礁するような形で乗り上げ、破壊された地上施設の代替え施設となったのである。


占領後、ミッドウェー島は、その名を加賀島(かがとうと名付けられたのは当然の流れであった。


同時期に実施されていた、ウェーキ島攻略作戦も、第一次作戦の失敗と第二次作戦の敢行により、多大な損害を出しながらも、ミッドウェー島占領の翌日の12月23日に占領が完了した。


これをもって、東京からハワイオアフ島までの約6000キロメートルを結ぶ中継拠点として、硫黄島、南鳥島(英名マーカス島)、ウェーキ島、ミッドウェー島が大日本帝國の支配下に置かれることとなり、日本本土東側の制空権が確保され、かつ航空機の飛び石的移動が可能となったのである。


真珠湾攻撃で幕を開けた大日本帝國の乾坤一擲の大作戦は、大本営の想定を遥かに超えて、しかし聯合艦隊司令長官山本五十六の想定内で、ここに終了したのであった。



・・・・そして戦いが終わり、世界中の予想に反して大日本帝國海軍がリング中央で勝者の勝鬨を挙げ、両頬にラウンドガールの祝福のキスを受けている頃、戦略的敗者アメリカ合衆国は、セコンドに肩を預けながら、静かにリングを降りて、控室までの遠い道のりを、足を引き摺り歩くのであった。

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