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8.前途多難な朝

 かろやかな小鳥のさえずりが耳をくすぐる。ふわりと首筋を撫でるのは朝の風だ。それから、このあたたかいふわふわの毛玉は……。

  

 絹の糸のように一本一本は細く、それでいてなめらかな手触りの毛並みに頬をよせ、うっとりと感触を楽しむ。大きすぎず小さすぎず、かかえこむとちょうどいい大きさ。

 撫でまわしていたら、抱き枕がもぞりと動いて、弾力のある何かでぷにぷにと手をつつかれた。

 この張り、やわらかさは知っている。肉球だ。

 肉球――、……誰の?

 

「アルフ……!?!?」

 

 毛布を跳ね飛ばして身を起こせば、かたわらにいたのはやはりアルフだった。ただし昨日見た姿ではなく、通常の狼と同じ大きさ。

 ミアの叫び声にアルフは耳をぴくぴくと動かした。それからベッドから床へ降りたち、と思えばわふっと一声残して去っていく。

 意味がわからない。

 しかしその背中に声をかけようとするのと同時に、侍女が入ってきた。

 

「お目ざめですか」

「あ……、――はい……」

 

 明るい栗色の髪を持つブリーナと、黒髪で大人しい印象のシェリル。

 二人は、昨日アルフェルドから言いわたされたミア専属の侍女である。身のまわりのことをすべて行ってくれることになっているが……正直、裕福とはいいがたい子爵家出身のミアにはいきすぎた待遇だ。

 

「朝の軽食をお持ちしました。生木苺のタルトタルト・オ・フランボワーズにございます。ティーはいかがなさいますか」

「えぇと……」

「リラックス効果のあるハーブティーはいかがでしょう」

 

 聞きなれない単語に戸惑うミアに、シェリルは淡々と告げる。

 

「それを、お願いします」

「承知いたしました」

 

 器具をあつかう控えめな音が響く。シェリルが茶を淹れるあいだ、ブリーナはミアの着替えを手伝った。

 一応は室内着なのだが、装飾の少ないだけで、形式としては完全なるドレスである。これまでにミアが夜会で着ていたものよりもおそらくは上等だ。

 着替えが終わると、シェリルに手をとられ、室内の小テーブルに案内される。

 

「半刻後にアルフェルド殿下と朝食でございます」

「はい」

 

 さっきまで会っていたけど、とは言えない。

 タルトが切り分けられるのを待っていると、部屋の扉が開いた。するりと身をもぐりこませてきたのはアルフだ。

 

(えっ)

 

 出ていったのではなかったのか。

 テーブルをのぞきこもうとするアルフを、ブリーナは眉を寄せて見下ろした。

 

「なんなのですか、この犬は? ご実家から連れていらっしゃったとのことですが、王宮に犬などと……物を壊されては困ります」

 

 この態度からして、正体を知らず、ただの犬だと思っているらしい。実際には狼であり、フェンリルであり、……それ以上に、彼女たちの雇い主であり、この国の第二王子である。

 

 アルフはじっとブリーナを見上げた。

 昨夜の冷酷な視線が脳裏によみがえる。

 ミアを傷つけたとあらば、兄ですら躊躇なく噛み殺そうとしたアルフ。ミアが暴力を嫌うことはわかっていたようだけれど、それにしても()()()()()()はブリーナをあっさりとクビにしてしまえる立場なのだ。

 

 なんとかブリーナをなだめようと、ミアは説得を試みた。

 が。

 

「えっと、アルフは、かしこくて大人しい子だから……」

「アルフ!? なんという名前を……!」

 

 ブリーナのまなじりがつりあがる。

 しまった、と口をおさえたけれども遅かった。ブリーナはアルフを睨みつけると、シッシッと追いはらうような仕草をする。

 ミアは頭をかかえた。心の中で。

 

「待って、ブリーナさん、その子は……」

「ブリーナさん!?」

「えっ、だ、だめかしら」

 

 侍女なのだからさすがに『ブリーナ様』はまずいと思っての呼びかけだったのに、それもいけないらしい。

 しかしブリーナもシェリルも、どう見てもミアより格上の教育を受けている。


「当たり前です。あなたは殿下の妃となられるお方なのですよ? 侍女に対してそのような言葉づかいはなりません」

「ご、ごめんなさい……」

「軽々しく謝るものではありません!」

「今後は気をつけるわ」

 

 なだめようとしたのに火に油を注いでしまった。

 なにか言うたびにブリーナを怒らせてしまう。

 

 チラチラとアルフに視線を送ると、銀狼は我知らぬ顔で『お座り』の姿勢をとり、話が終わるのを待っているといったふうだ。ブリーナに敵意をいだいているようには見えないが……。

 アルフが自分に対して並々ならぬ感情をいだいているのは、自惚れではなく事実だ。

 明日ブリーナが出仕しなかったらどうしよう、とミアは青ざめた。

 

 けれど、そのとき。

 

「ブリーナ。殿下から言われたでしょう。なんでもミア様のお好きなように計らえと」

 

 ミアとブリーナの沈黙を見計らって、静かな、それでいて有無を言わせぬ声が落ちた。

 シェリルだ。

 黒髪を一つにまとめたシェリルは、そのおちついた容貌にふさわしく両手を身体の前で組み直立していた。

 

「ハーブティーが冷めてしまうわ。あなたこそ無礼を詫びなさい」

 

 そう言われると非を認めないわけにはいかず、ブリーナはぐっと唇をひき結んだ。

 ミアに向き合うと、深々と頭をさげる。

 

「申し訳ありませんでした、ミア様」

「いいえ、その……今後はお互いに気をつけましょう」

 

 軽々しく謝るなと言われた手前、なんと返せばいいのかと悩んでいるうちに、シェリルがまた口をひらく。

 

「アルフ様にもです、ブリーナ」

「……アルフ様、申し訳ありませんでした」

 

 ブリーナは渋々といった表情でアルフにも頭をさげる。

 アルフはなにも答えなかった。興味がないといったようにミアやシェリルの顔をながめている。

 

 そうこうしているうちにハーブティーがそそがれ、部屋の中に香気がたちのぼる。リラックス効果のあると言っていたシェリルの説明を思い出し、ミアはため息をついた。

 ブリーナと明日の朝も会えることを心の中で祈りながら。

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