7.王宮に連れていかれました
傷の手当てを受け、湯あみをさせてもらい、髪から爪先まで香油をぬりこまれて。
やぶれてしまったのより肌ざわりのいいネグリジェを着せられて、ミアは王宮の一室に通された。
そこには、当然のような顔をしたアルフェルドが、ソファに座って待っていた。
「……なんなのかしらこの状況」
「それをいまから説明するのだろう」
ぼそりと呟いてしまった疑問に、やはり当然のような顔をしたままアルフェルドがうなずく。
アルフェルドは――あの日、神殿で会った少年だった。
銀髪に、紫の眸。どこか獣を思わせる通った鼻筋と薄い唇。こんなところにいるなとミアを怒鳴りつけた居丈高な少年……アルフに似ているとは考えたけれど。
よくみると兄君様とはそこまで似ていないなと考えて、哀れな失態をさらした男のことを思い出した。
「ヘンリック様は……」
「兄上なら刑吏にひき渡した。案ずるな、お前が殺生嫌いなのは知っている。今夜のことだって死人は出さずにおさめた」
淡々と告げるアルフェルドに感情の色はない。ただ事実を告げているだけだというように。
その口ぶり、無表情さはたしかにアルフのそれだ。
でも慣れない。
あの銀色の狼が人間だったとは。もっふもふの狼の背中がひらいてアルフェルドが出てくる想像をしてしまう。馬車に乗せられたときにはすでにアルフェルドは人間に戻っていて、仕立てのよい衣装を身につけてふんぞりかえっていた。
見た目の問題はそれだけではない。
もっとも気になるのは《人間になった》アルフ――アルフェルドが、どう見てもものすごく年下であるという事実。
身長だってミアと同じくらいだ。袖から見える手首は細く、成人した男性のそれではない。
「あの、アルフェルド殿下はおいくつになられたのでしょうか」
「は?」
「いえ……」
「先月、十六になった」
「じゅ、じゅうろく……」
絶句した。
ミアは二十二である。年増だと言ったヘンリックは正しい。この歳まで婚姻の話が出なければ、あとはもう歳の離れた夫のところへ嫁ぐか、就職先でも見つけて一人で生きていくかである。ミアはすっぱりとあきらめて一人で生きていくつもりだった。
子爵という身分的にも、年齢的にも、経緯からしても、けっして第二王子に求婚されるすじあいはない。
しかしそんなミアの心を見抜いたかのように、アルフェルドはミアの手をとると、大人びた態度で口づけた。
「アルフェルド殿下……!」
「アルフでいい。あらたまった口調もいらぬ。お前は番なのだから、ミア」
「それは……」
どういう意味なのだと。
知りたい好奇心と、聞きたくない理性が葛藤する。
しかし語ると決めてしまえば躊躇しないアルフェルドは、焦らした分の種明かしだとばかりに口をひらいた。
「お前はすでにフェンリルとの契約を結んでしまったのだ。俺の傷を癒したときにな」
「……え?」
「あれは本来、修道女の使う聖魔法だ。フェンリルに魔力を与え、自分のものとするための。……まぁつまりは、求婚したのはミアのほうだった、ということだな」
指を組んだアルフェルドはにこにこと笑う。
先ほどまでの無表情とは対照的に、少年らしい笑顔を見せるアルフはなぜかやたらと嬉しそうだ。尻尾があったらぱたぱたと揺れていただろう。
一方のミアは、途切れそうになる意識を必死にひきとめて家にあった魔法書を思いかえしていた。
アルフェルドの言うとおり、ミアの聖魔法は一般的なものとは少し異なっている。フェンリル祭で使うための魔法である。フェンリルの彫像が王宮へと運ばれたあと、この魔法で狼に扮する人々に加護を与えることで、その年の幸運を祈るのだ。
いまでこそ治癒の効果をもたらすが、その由来は、フェンリルに仕えた聖なる乙女の子孫に伝えられた魔法だという。
ぱたんぱたんと軽快な音が響く。
なにかと顔をあげてみれば、視界に飛びこんでくるのは、数秒前に想像したとおりの光景。
頭に髪色と同じ銀の狼の耳を生やし、尻に刷毛のような尾をつけたアルフェルドが、その尻尾を揺らしてソファを打っているのだ。
アルフェルドは己の尻尾をふりかえり、頭上の耳をさわり、苦笑を漏らす。
「~~~~!?!?」
「お前といるとすぐにこの姿になってしまうな。《治癒魔法》で俺に魔力を与えただろう。あれで契約は結ばれた。俺の中のフェンリルの血が、ミアの魔力に反応するのだ」
だからお前のせいだ、とでも言いたげな顔をして、アルフェルドは肩をすくめた。
(いやいやいや……これは、ダメな気がしますよ? 殿下)
しかしそのツッコミは声にならない。
目を白黒させているミアに、アルフェルドはため息をついた。
「だから言っただろう、いまさら気づいてももう遅い、と。俺はあのとき止めたぞ」
あのときというのが、傷を癒したときのことだと気づく。
けれども、そのあとに《治癒魔法》をかけろとねだったのはアルフのほうだ。毛なみがふっくらとしていったのは、魔力が馴染んでいったからか。
全部わかっていて言わなかったくせにとは、やはり口には出せなかった。