37.番の儀式(中編)
「普段のフェンリル祭では、人々が〝使いの狼〟の姿で街から王宮へ集まります。けれど今回はアルフェルド様の立太子の式典も兼ねていますから、アルフェルド様とミアが……あ、いえ、ミア様のお二人が、王都をまわることにしましょう」
オスカー・ヴィルドはしまったという顔をしてアルフェルドをうかがった。アルフェルドとの初対面を思いだしているようだ。逆にミアは、よく知る従兄から様付けで呼ばれたことに微妙な顔をしている。
ミアと出会ったばかりで、狼の姿で親睦を深めていたころ。
ミアの魔力を己の身体に馴染ませながら、同時にアルフェルドはミアについた男の気配を探った。
さいわいにもミアは社交界に顔を出すわけでもなく、誰か候補に挙がる相手がいるわけでもなさそうだった。
しかしそれでも家族ではなさそうな男の匂いをさせていることがある。そういった場合には捜しだして王宮に呼びだした。
それがミアの研究仲間にして従兄、オスカー・ヴィルドである。
あのころはミアという将来の伴侶に出会えたことが嬉しくて、かつヘンリックがミアの存在を嗅ぎつけぬようにとピリピリしていた時期であったゆえ、多少威圧的に接してしまった自覚はある。
「ミアは俺の妃であり伴侶だが、あなたにとっても従妹であることは変わりない。ミアがよいのなら従来どおりの接し方でかまわぬ」
あまりミアの前でおびえられても困るからとにこやかなほほえみを浮かべれば、ミアも笑う。
「そうよ、オスカー。いまさらかしこまった言い方なんて変よ」
「……いや、そこは、礼をもたないと」
「真面目なんだから!」
ミアが笑い声を立てる。……アルフェルドの前では見せないような表情で。
どうやら眉間にしわが寄っていたらしい。オスカーはアルフェルドを見ると、またひきつった笑顔になった。おびえさせないようにという目論見は失敗した。
ミアが妙な空気に気づかないうちに、アルフェルドは先をうながした。
「つづきを話してくれ」
「あ、はい。ご承知のように王都は王宮を囲んで蜘蛛の巣状に通りがいくつもあります。王宮からでて、大通りを進み、東通り、北通り、西通り……と反時計まわりに進み、王都民たちにお二人の姿を見せます。いわゆるパレードです」
広げた地図の道々を指で示しながらオスカーは言う。
彼はフェンリル祭の執行官であるミアの父親とともに、今回の祭りの立案をしていた。
「各所には〝使いの狼〟に扮した者たちを待機させ、彼らとともに王宮に戻ります。そしてフェンリルの血筋のもとに、アルフェルド様が王太子となられることを国王陛下が宣言します」
オスカーはミアへ視線を投げた。
「最後にミア――様が、集まった人々に対して加護の祈りをし、祭りは終了です」
「アルフェルド様は狼の姿にならないの?」
「そこまでは不要だろう。毎年お姿を見せていただくわけにはいかないし、次の代がフェンリルの血を発現させるとは限らない」
「あ、そうか、私たちの……」
そこまで言って、ミアが顔を赤らめる。
アルフェルドのことを好きだと認めたくせに、それ以上のことになると恐縮してしまうのだ。番の儀式だってうんと言わない。
ミアの中で弟のような位置づけから想い人へと昇格したはいいが、まだ身分違いの王子という感覚が抜けないらしい。
いくら照れる顔がかわいくとも、いつまでもこれでは困る。
レズリーには、ゆっくりお待ちくださいませ、と言われた。ミアは着実に前へ進んでいる。もともとの身分を考えれば、その進みは称賛されるべき早さだという。亡き母よりも年上のレズリーにそう言われてしまえば、アルフェルドも黙らざるをえない。
「ミア様は様々なことをお考えだからこそ、お時間も必要です。その代わり、こうと決めてくださったのちに迷うことはないでしょう」
レズリーはそう請け負った。それはアルフェルドも同じ意見だ。
番の契約は一面的にはアルフェルドをミアに縛りつけるものであるが、結んでしまえばミアがアルフェルドを無碍に扱うことなどありえない。互いをより強固につなぎとめるものとなる。
だから、焦らずじっくりと待てばいいだけ、なのだが。
ミアを見つけてからこれまでに、どれだけ待ったことか。
(俺の隣に立つと誓ったくせに……)
むっすりとした表情で唇を尖らせるアルフェルド。
その様子を、相かわらず奇妙な笑顔を浮かべたオスカーがながめていた。
手順の説明を終え、アルフェルドとミアの退出したのち、ずるずるとテーブルに倒れ頬をつけたオスカーは、
「ミア、まじで王子様を骨抜きにしてるじゃないか……」
一人になった部屋で、そう呟いた。
***
ミアは悩んでいた。
アルフェルドとの関係について、である。
もちろん白紙に戻したいと願っているわけではない。アルフェルドとともにいたい。国に貢献したいとも思う。そうでなければオスカーとともにフェンリルや魔法についての研究などするわけがなかった。
ただ、それと、自分とアルフェルドの関係を契約で縛るのとはまた別だ。
いくらアルフェルドが望んでくれていると言っても、そのことをアルフェルドとミア――あとはウィリアムとクロエくらいしか知らないとしても、相手は王太子という地位のある人物。
近ごろのミアは暇さえあれば難しい顔をして無言で窓の外を眺めている。
ブリーナは黙ってカモミールを淹れた。安眠効果のあるという薬草が少しでも主人の心を癒やすことを願いながら。
おちついた香りが部屋の中にひろがっていく。
「ミア様とアルフェルド様は、とてもお似合いですよ。なにも心配なさることはありません」
さしでがましいかと思いながらも素直な気持ちを口にする。
城にきたばかりのミアは右も左もわからず、こんな人が妃となるのかと失望したものだったが、マリエッタに対峙した際に見せた芯の強さに考えを改めた。
カップに手をのばそうとしていたミアは顔をあげてブリーナを見た。
はにかみの笑みが浮かぶ。
「ありがとう」
「では、おやすみなさいませ」
照れくさそうなミアの笑顔がなんとなくまぶしくて、ブリーナはそそくさと頭をさげた。なにをいまさらと詰ることもせず、初期のブリーナの態度を咎めることもない。
――と。
茶器を片付け、扉をひらいたブリーナの足下を、銀のなにかがするりとよぎっていった。
尖った耳に刷毛のような尾。銀の毛なみの下にはしなやかな動きをする体躯が隠れている。
アルフだ。
ブリーナももうアルフがミアが実家から連れてきた犬ではないことはわかっていた。
「アルッ、あ、えっと……」
ミアにとっても突然の来訪だったのだろう。驚きの声をあげる主人に、しかし気づかないふりをして、ブリーナはもう一度頭をさげた。
「では、おやすみなさいませ」
音を立てずに扉が閉まる。
明日、主人の顔が晴れていればいい、とブリーナは思った。