36.番の儀式(前編)
アルフェルドの立太子はフェンリル祭の折に同時に行われることが決まった。
祭りの再開に加え、よからぬ噂のあった王妃一派の失脚に、国の民たちは新たな風が吹くのを感じた。
妃として名の挙がっているミアが子爵令嬢であるというのも、民たちからすればよほど親しみやすい相手だと思われたらしい。ミア自身エルメール家にいたころは使用人たちにまじってあまり貴族らしからぬ生活を送っていたから、その印象は正しいと言える。
実家のエルメール家がフェンリル祭復活の立役者であることが知れると、ミアの市井人気はさらに高まった。
「休暇をいただいて領地に帰りましたら、誰もかれもミア様のことをお話ししておりましたわ」
ブリーナが嬉しそうに言うのをミアはくすぐったい気持ちで聞いた。
ただ、今後のことを現実的に考えれば、嬉しがってばかりもいられなかった。
「よかったな」
「……非常にプレッシャーなのですが」
ともに戦うと誓ったし、宣言どおりミアはレズリーとともに妃教育に励んでいる。そのかたわら、フェンリル祭の式典の準備にも関わっているのだ。戻ってきたブリーナに「きちんと寝てください」と心配される日々だった。
だから、アルフェルドの前ではこのくらいの弱音は許されるだろう。
「気負う必要はない。というより、気負ってもなにも変わらぬ」
「……アルフェルド様も?」
ミアは隣に座る王子の顔をちらりとながめた。
ミアより六つも年下でありながら、複雑な環境がそうは思わせぬ貫禄を彼に負わせた。アルフェルドにとってみれば、王太子となり、さらには王となることくらい、たいしたことではなさそうに見える。
けれどさすがにそんなことはなかったようだ。
「俺まで浮足だっていては、ミアもさらにあわてるだろう」
ため息をついたアルフェルドがミアの髪をくしゃりと撫でた。
互いの想いを打ち明けてからというもの、アルフェルドの態度はかなり親密さをあらわすものになった。恥ずかしいからやめてほしいと言うわけにもいかず、気づけばこうして距離を詰められている。
「いくらフェンリルの血だなんだと言っても、国を治める能力は別だからな。いまの国王を見ていれば不安にもなる」
「大丈夫ですよ、アルフェルド様なら……」
ミアの髪をくるくると指先で遊びはじめたアルフェルドの行動を指摘しようかしまいか悩みながら、結局ミアは励ましの言葉だけを口にした。
アルフェルドは強い牙をもつが、牙をふるう前にはきちんと考えている。ヘンリックから兵を差しむけられたときも、先日の盗賊たち相手にも、強大な力を誇りはしたが、無益な被害はだしていない。
――ミアが絡んだときにだけ、怒りに我を忘れることがあるけれども。
でもマリエッタのときには理性的に行動していた。それがミアの受けた傷を肩代わりする契約魔法こみでだったというのがまた難しいところだが……やはりミアが絡むとアルフェルドは過激化する。
(つまり私がおちついて行動していれば、アルフェルド様もおちついて……あれ、結局私に戻ってきた!?)
内心で驚いているミアに、アルフェルドはくすりと笑った。
「なら――《番》よ。早いところ、正式な儀式をすませてほしいんだがな」
「そ、それは……」
「フェンリル祭までに契約を結ばねば、せっかくの式が見劣りのするものになってしまうぞ」
うぅ、とミアは口ごもった。励まそうとしていたのに、いつのまにか話題はミアを責めるものになっている。
これもこれで、先日来の課題なのである。
アルフェルドと番の儀式をせねばならない。ただ、その儀式というのがミアにとっては多大なる心の準備を必要とするものだった。
「俺が跪いて永遠の愛と忠誠を誓うだけだ」
「そこが問題なんですよ! アルフェルド様に膝をつかせるなんて!」
「狼の姿でもいいが」
ミアは頭の中で想像をめぐらせてみた。巨大な銀狼がミアにかしずく……それもそれで、畏れ多い。しかし王子の姿をしたアルフェルドを跪かせるのも、罪深い。
フェンリルは聖獣だ。聖獣と契約を結ぶ際には、人間のほうが主人になるらしい。
というのも、そもそも聖獣と人間では聖獣が格上であることは明白で、わざわざ契約を結んで人間の主人になることはない。
心から惚れこんだ相手に、自分の高貴な身分の一部をゆずる。それが契約の意味であるらしい。
「……早いところ心を決めてくれ」
「はい……」
肩をすくめるアルフェルドに、ミアは渋々とうなずいた。