3.狼に似た王子様に会いました
アルフと出逢ってから、ミアをとりまく環境は徐々に変わりはじめていた。
もっとも大きな変化は、父ハンスがふたたび王宮へ出仕するようになったことだ。一つ下の弟も父について王宮へと通った。真ん中の弟は領地を守っているから、日中は母フローラと末っ子のヨハンと三人になる。
少し寂しくなった屋敷を、ミアは動きまわった。
メイドたちにまぎれて掃除をしたり、台所で料理の盛りつけを手伝ったり、庭の手入れをしたり。
ハンスたちは家に帰っては話を聞かせてくれる。
どうやらフェンリル祭が復活するかもしれない、という話を聞いたときには、ミアは手を打ってよろこんだ。
アルフに本物のフェンリル祭を見せてやれるかもしれない。
「殿下が興味を持たれてな。いずれ神殿に祀られているフェンリル像を視察にゆかれる予定だ」
「殿下?」
「あぁ、第二王子の、アルフェルド殿下だ」
ミアはうなずいた。
殿下、と親しく呼ぶ相手が誰なのか驚いたが、それなら納得がいく。
第一王子はフェンリル祭を廃止に追いこんだ張本人である。それを諫めた父は国王の不興まで買い、職を奪われた。現在も表向きは別の仕事で王宮に赴いているという。
第二王子が父の味方になっているということは、第一王子との確執が深まっているということでもあるだろう。政情はおおきなうねりを見せそうだ。
しかしそれはそれとして、先ほどの話は聞き逃せない。
「神殿の宝物庫が開くのね?」
「そりゃ、殿下の訪れる日には……お前、くるんじゃないぞ」
はっとした顔でハンスはミアを睨んだ。
ミアは神妙な顔でうつむいた……が、心の中は踊っていた。
宝物庫の鍵がひらく日は、調べればすぐにわかった。神殿側が大々的に告知を打っていたのである。
神殿は王宮の隣にあり、フェンリル祭のたびにフェンリル像を王宮へと運んでいたのであるが、祭りが廃止されたことで訪れる人は徐々に減っていた。
王都の人々に存在を思い出してほしいという意図もあったのだろう。
第二王子の視察のあいだは当然一般人は神殿に入れないため、ミアは時間を遅らせて行った。これなら父親たちと鉢合わせることもないだろうと考えていた――のだが。
フェンリル像を数年ぶりに鑑賞し、真っ白な大理石像のおおきさや毛先の表現、尻尾のはねなど、細かいところまでながめつくしたミアは、アルフに教えてあげようとうきうき気分で歩いていた。
その背中を、誰かが呼んだ、気がした。
「……?」
ふりむいてはみたものの、この人ごみにミアを知る者がいるはずがない。
気のせいかと視線を戻し――。
「わ……っ!?」
背後から突然腕をひかれ、バランスをくずしそうになる。あわてた顔になる侍女に手をのばすが届かない。
ミアの腕をつかんだ男はどんどん歩いていく。そして神殿の一室に入ると、逃げようとするミアをも引きずりこんだ。
(誘拐……!?)
しかしそれにしては場所がおかしい。
どうやら執務室のようだ。勢いよく扉を閉めたはずみに落ちたのだろう書類が床に散らばっている。
そして誘拐犯のはずの男は、つかんでいた腕を離すとはあーっと大きなため息をついた。
「やはりお前か……」
呆れた顔で首をふられても、ミアには見覚えがない。
しかしどうやら誘拐犯ではないようだということはわかった。相手の身なりはミアよりもよほど高級で、そして年齢は明らかに年下だった。
身長こそミアよりわずかに高いが、ボタン付きのジャケットにつつまれた体躯は成長途中といえる線の細さがあり、十代半ばといったところ。男というよりも少年といったほうがただしい。
ぽかんとしたまま反応を返せないミアの前で、少年は手で顔を覆った。
指のあいだから見える眉は険しく寄り、銀の睫毛の向こう側には深い紫の眸がわずかに影を含んでいる。
ミアは顔をあげた。
顔立ちにはまったく見覚えがないが、この色彩は覚えがある。
少年の髪は、睫毛と同じ銀色だ。細い銀糸のような髪はゆるく癖がかかっている。
「アルフ……?」
「!!」
連想した狼の名を、思わず呼んだ。
とたんに少年は表情を変える。
一瞬、驚きがよぎった。それからすぐに、どこからきたのかわからない怒りが紫の目を輝かせた。
「なぜお前がここにいる? 早く出ていけ! お前は家で大人しくしていろ、わかったな?」
それだけ言うと少年は、有無を言わさず連れてきたのとは反対にミアを部屋の外へと押しだした。
目の前で、叫び声のような音を立てて古い扉が閉まる。
思わずよろめいた身体をなんとか立てなおして、ミアもまた怒りに頬を赤くした。
(なにあれ、感じ悪い……!!)
アルフに似ていると一瞬でも思ったのが間違いだった。
アルフは意地が悪いがあんな言い方はしない。だいたいアルフは狼だ。色合いが似ていたからといってなにを馬鹿なことを。
(帰るわよ、言われなくても、もう!!)
唇をとがらせて地面を蹴りつつ、ミアははぐれてしまった侍女をさがした。
***
そのころ、閉まった扉の向こう側では。
アルフェルドが頭を抱えてうずくまっていた。
その頭からは髪と同じ銀色の獣の耳が、マントの下からは獣の尻尾が。
尻尾はぶんぶんとふれて床を叩いている。
「なんでこんなところにいるんだ……」
じんわりと頬を染めて呟いたアルフェルドの姿を見た者は、誰もいない。