27.刺客
(シェリルが……乗っ取られた?)
確たる証拠はないままに、ミアはそう直感した。
シェリルの瞳はミアを見ているようで見ていない。眼球には果てしなく昏い光が浮かぶだけ。そして先ほどの声。かしずき、視線をさげていたこれまでとは違い、ミアをねめつけるように見下すシェリルは、しゃべり方も、発声すらも変わっていた。
ナイフをかざし、シェリルは笑う。
「さぁ、今度こそ死んでちょうだい」
「――……!!」
あのときと同じだ。
ヘンリックに刃をむけられたとき。
(きっと、シェリルをあやつっているのは――だとしたら――)
咄嗟に、両手を組んだ。
(女神様、祈りを捧げます。お力を――!)
体内に魔力を循環させ、《治癒魔法》を発動させる。フェンリルにとってだけでなく、人間にも微弱ながら治癒能力を向上させる効果がある。ヘンリックと対峙したときにはそこまで気がまわらなかったけれども、狙われていると知ってから考えていた対策だった。
魔力に満たされた身体がぼんやりと輝く。シェリルが顔をしかめた。
精いっぱいできることをする。
なりふりかまってはいられない。逃げようとスカートをたくしあげるミアに、シェリルの外見をした誰かは笑った。
「ふん、こざかしい。――ッ!?」
「ミア様!!」
ミアを呼ぶ叫びとともに、その笑いは、背後からのびてきた手によってさえぎられた。
ナイフを握る右手を両手でつかまれたシェリルが重心をくずす。ミアからも死角になっていた物陰から走り寄り、しがみつくように腕をとったのは、部屋でまっているはずのブリーナだった。
「邪魔をするでない!」
「きゃあっ」
腕を大きくふるったシェリルがブリーナを突き飛ばす。その拍子にかすった刃がドレスを切り裂いた。身体ごと倒れ、地面に横たわるブリーナを指さし、シェリルは何事か呟く。
びく、とブリーナの身体が揺れた。目が見ひらかれる。
「ブリーナ!!」
シェリルの指先からあふれでた暗黒色の魔力がブリーナの身体に絡みついていた。ミアの研究していた癒しや加護の魔法とは違う、闇魔法と呼ばれるもの。
「お前もだ、ミア・エルメール」
ナイフをもつ右手がミアにむけられた。避ける間もなく魔力はミアを取り囲み、たくわえた魔力を奪っていく。
治癒の力が消えつつあるのを感じ、ミアは悔しさに唇を噛んだ。
身体が動かない。
ナイフをかかげたシェリルがゆっくりと近づいてくる。ブリーナが唇を戦慄かせたが、それは声にはならなかった。
「……ブリーナに手出しはしないでちょうだい」
「自分の命は諦めたか」
首をふることもできずにミアは立ちつくした。
諦めてはいない、きっとアルフェルドがなにか策を打っているはずだと思う。けれどそれがなんなのかわからない以上、覚悟は決めなくてはならないだろう。
ふりあげられるナイフをまっすぐに見つめた。
前回はアルフェルドが助けてくれた。
けれど、銀光の月の下、今夜のナイフは刃をきらめかせて打ちおろされる。
どすり。
身体に衝撃が走る。
全力で叩きつけられた物体の食いこむ衝撃。
ミアは目を見ひらいた。
くるはずの痛みが訪れない。
「なんだと……?」
シェリルもまた訝しげに呟く。
ミアは己の胸元を見た。ドレスは破れ、ナイフが深々と突き刺さっている……そのナイフを中心に、魔力がふきこぼれるようにあふれていた。ミアのものではない。銀色の魔力。
よく知った気配――なじみのある、猛々しく、それでいてやさしいところもある。
「アルフェルド様……?」
「ぐ……!!」
その名を呼んだのと、シェリルがナイフをとり落としたのは同時。
「あああああああああ!!!」
突然うずくまり叫び声をあげるシェリル。己の頭を抱えこむように身を丸める姿はあきらかに苦しみを表していて。
「シェリル! しっかりして! ブリーナ、手伝って!」
身の内にたくわえていた癒しの魔力をシェリルにそそぎこむ。
同時に、シェリルの身体から黒い靄のようなものが立ちのぼる。ざわざわと肌を刺すような感覚――それにはおぼえがあった。ベッドに隠されていた魔法陣。
ミアの命を狙う、または少なくとも健康を害するためのものだと、思っていた。
けれどももしかするとあれは、シェリルの心に闇をもたらすためのものだったのかもしれない。
(いまは考えている暇はないわ!)
歯の根のあわぬシェリルを励ましながら、ミアは魔力を分け与えつづけた。