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26.満月の夜

 小さな身体を懸命にのばして窓のへりに前足をかけると、クロエはぶんぶんと尻尾をふった。見つめる先にあるものに視線をむけ、ミアは目を細める。

 雲一つない、満天の星空。

 その真ん中に、星々すら霞むほどの煌々とした輝きを放つ、月。

 

 今夜は満月だ。

 けれども普段とはどこか違っていた。

 あたたかな金色の光を投げかけるはずの月面は、青ざめた銀に染まり、それはどこかアルフェルドを思わせた。

 

 コンコン、とノックの音。

 あわててふりむけば、ひらいた扉に身をもたせかけ、いま考えていた人物――アルフェルドが立っていた。その背後にはブリーナが頭をさげている。

 

「アルフェルド様」

「今夜一晩、クロエを借りたい」

 

 簡潔な要件。クロエはどうだろうかとうかがうと、とくに異存はないようでアルフェルドにされるがまま、すんなりと腕の中におさまった。

 ふわふわとした毛なみのクロエを真顔でかかえているアルフェルドのギャップがおかしくてくすりと笑いを漏らしてしまう。フェンリル同士、話しあいたいことでもあるのだろうか。

 アルフェルドは口元をゆるめるミアをながめ呆れたような顔になったものの、思いなおしたらしくなにも言わなかった。

 

「では。明日の朝食の際には連れていこう」

「はい、おやすみなさいませ、アルフェルド様、クロエ」

「おやすみ、ミア」

「キャンッ」

 

 挨拶をかわすと、アルフェルドは部屋に入らずそのまま立ち去ってしまった。うしろ姿にブリーナがまた深々と頭をさげる。

 いつもの彼らしくないといえば彼らしくないが、昼間にも会ったばかりであるためミアは気にしなかった。

 あの膝枕のお昼寝はアルフェルドの時間がとれるかぎりほとんど毎日のように続いている。慣れとは怖いもので最初に感じていた気恥ずかしさは徐々に薄れ、アルフェルドがそばにいるのが当たり前のような気さえするようになってきた。

 

「お夜食はいかがなさいますか?」

「そうね、いただこうかしら」

 

 ブリーナは夜食の用意されたワゴンをひきよせると扉を閉める。パテやテリーヌといった軽食にパンがついている。

 本当にお腹がすいたわけではなく、今夜は一人で眠らなければならないと気づいたらほんの少し心寂しくなってしまったのだ。

 宮殿にきてからというもの、眠るときにはいつもアルフかクロエが寄り添ってくれた。

 

(そういえば、ベッドに仕込まれた呪符はいいのかしら……)

 

 ちょっとした体調不良を引き起こす程度の魔法陣は、普段はフェンリルたちにより無効化されている。見つけたことを悟られないほうがいいだろうということで放置となっているが、あの嫌がらせのような呪符も気になるところではあった。

 子爵邸でヘンリックに襲われたのは記憶に新しい。ミアの身柄は宮殿の中でも安全とは言い難いはずだ。

 呆れた顔つきのアルフェルドが脳裏をよぎる。

 

(アルフェルド様がクロエを連れていったということは、懸念がなくなった……? または――)

 

 思いあたるもう一つの可能性を思考にのぼせる前に、ふたたびノックの音がする。

 

「どうぞ」

 

 応じれば、顔をのぞかせたのはシェリルだった。

 

「ミア様、アルフェルド様よりお言葉を仰せつかっております。クロエ様について話したいことがあるゆえ、お越しいただきたいと」

「わかりました、すぐに参ります」

 

 手にもっていたフォークを置き、口元を拭うとミアは立ちあがった。鏡をのぞきこむ。お化粧はよいだろう。ブリーナをうかがうと難しい顔をしていたが……なにも言わないで、とミアは内心で祈った。

 シェリルは相かわらず、仕事に関係のない感情は表さないのだというように静かに待っている。部屋にはブリーナが食器を片付ける音だけが響いた。

 

「では、行ってくるわね」

「こちらです」

 

 すぐ戻るともなにも言えずにミアは自室をでた。

 先ほどミアの脳裏に閃いた可能性。それが正しいのだとしたら。

 

 シェリルは片手を前に差しだし、ミアに背中全体をむける失礼のないよう気を配りながら廊下を歩んでいく。

 ドキドキと鼓動が鳴った。

 

「お足元にお気をつけて」

 

 建物から外へとのびる回廊の終わりに、シェリルが段差を指さす。

 ミアはなにも気づいていないふりをしてうなずいた。そんなわけがないことはシェリルにもわかっているだろう。

 注意深く目をこらさなければ段差がわからないほどの暗闇の中、それ以外の供もつけずに二人は中庭へとでた。

 月が輝いている。

 

 これでいいはずなのだ、おそらく。

 アルフェルドの狙いどおり。

 

(そうでなければ――きっととてもとても怒られてしまうわね)

 

 昼下がり、アルフェルドと二人きりですごしている中庭の片隅。夜になれば鬱蒼とした気配をただよわせる木陰に、シェリルはミアを案内した。

 アルフェルドの姿はない。

 

 見あげれば、周囲の建物は不自然なまでに明かりを消されていた。まだ眠るほどの時刻ではないだろうに、ほとんどの窓にはカーテンがひかれ、その背後も暗闇であるようだった。

 その中に一つだけ、ぼんやりと光のこぼれる窓がある。

 

「シェリル……もし、困っていることがあるなら、助けになりたいの」

 

 視線をシェリルに移し、ミアは言った。

 葉影に遮られた月光はシェリルの表情をほとんど照らしてはくれない。

 けれど、寄せられた眉とひき結ばれた唇だけはわかった。

 

「やはり気づかれていたのですね」

「いいえ、さっきようやくわかったのよ。でもアルフェルド様は気づいていたんだと思うわ。だとしたら私は囮」

 

 そしてまんまと誘いだされたシェリルを、アルフェルドはどのように処断するだろうか。

 それがミアの唯一の気がかりだった。

 

「だから……アルフェルド様が気づかないうちに、部屋に戻りましょう。それからゆっくりと話を聞かせてちょうだい」

「……!」

 

 シェリルは大きく目を見ひらいた。まさかそんなことを言われるとは思わなかったと表情が語っている。

 たしかにミアがしていることは滑稽かもしれない。囮のくせに、自分への悪意をなかったことにしたいなんて。でも、ヘンリックへの怒りを見せつけたアルフェルドを知っているからこその説得だ。

 シェリルの瞳が揺れる。許される可能性を推し測っているようにミアには感じとれた。

 

 不意に――カーテンのひらかれた窓で、ゆらりと蝋燭の炎が揺らめいた。

 二人を見下ろす人影があることに、ミアは気づかなかった。

 

 シェリルの瞳から光が消える。

 表情を失い、うつむいた唇から声がこぼれた。若い侍女のものとは思えない、絹のようになめらかな、それでいてどこか毒を含んだ声。

 

「残念ね――すべては、もう遅い」

 

 シェリルの手に握られていたのは、銀色の月を鈍く反射するナイフだった。

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