25.二人の時間
一人きりの昼食をすませてしばらくすると、宣言どおりアルフェルドがやってきた。
会食に出席していただけあってアルフェルドは礼服だ。濃紺の詰襟服に金糸銀糸の刺繍をきらめかせ、うやうやしく手をさしのべてくる。思わずため息をついてながめていたくなったミアだったが、ハッと気づいて腰を落とすとアルフェルドの手をとった。手袋越しに伝わるのは普段とは違う感触だ。
二人で廊下を歩きだす――と、すぐにアルフェルドが忍び笑いを漏らした。
「見惚れていただろう?」
「っ、……は、はい」
否定するわけにもいかずに素直に認める。
「なるほど、こういうのが好みなのだな」
したり顔でうなずくのはやめてほしい、とミアは心の中でわかりやすすぎた態度を悔いた。
たしかに、見惚れた。流れるような銀髪と濃紺の礼服が対照的で、アルフェルドの美しさを惹きたてていたし、ずっと大人びて見えた。
まさかこれもミアに意識をさせるための計略の一つなのだろうか……。
そんなことを考え、あまりの推測に自分で恥ずかしくなる。おまけに一番恥ずかしいことといえば、その推測はたぶん当たっているだろうという点だ。
じわじわと頬が熱をもつのを止められずに、ミアはうつむいた。
アルフェルドはミアを中庭へ連れだし、目当ての場所へ案内した。
あらかじめ指示をだして整えさせておいたという木陰は緑の匂いに満ちた清々しい一角で、小さな花が群生して可憐な蕾を揺らす。その中央に敷布が重ねられ、くつろげるようになっていた。
一瞬よぎった違和感に立ち止まりかける。
レズリーと学んだ『お茶会』を始めとし、屋外のもてなしはいつもテーブルと椅子を用意した。もちろん子爵家にいたときはピクニックのようなこともしたし、その際には地面に敷く布だけをもっていったこともあった。
しかしアルフェルドの望みは、そのどちらとも違う気がする。
「察しがいいな」
目を細めるアルフェルドは機嫌がよさそうで、それもまたミアの不安に拍車をかけた。
「――お手をどうぞ? 妃よ」
そう言われ、自分がエスコートの手を離してしまっていたことに気づく。
あらためて手を重ねると、逃がさないというかのように握られた。
そのまま敷布へと連れられ、アルフェルドが腰を下ろすのにならってミアもスカートを潰さぬように座る。
腕をのばして微妙に距離を置きつつ座ったのだが、アルフェルドは咎めなかった。
そのことにほっと内心で息をついたところで。
アルフェルドは、姿勢を崩したかと思いきや、ミアの膝に頭をのせた。
「……!?!?」
咄嗟のことに驚きの声をあげることもできず、硬直するミア。
目を見開いたミアの表情を、下からのぞきこんだアルフェルドが笑っている。
「以前はよくこうしてすごしただろう」
子爵家の庭で会っていたときのことを指しているのだとはすぐに気づいたが、そうですねと同意できるわけがない。
だってあのころのアルフェルドは狼の姿をしていて、人間の王子だなんてミアは知らなかった。
「番だと言い置いたのにあんなに無防備な態度をとられるなんてな、俺は気が気ではなかったよ」
「そんな……」
意味を聞きたいけれども尋ねることは憚られた。そんな内心を見抜いていながらなにも言わなかったのはアルフェルドのほうだというのに。
抗議しようと口をひらきかければ、すぐに演技とわかる悲しげな声に遮られた。
「まさか俺をもてあそんだのか? 本気でもないのに?」
「違います!」
「なら狼でも人間でもなにも変わらないはずだろう」
「……」
詭弁を弄されている――というのはわかるのだが、それにどう反論すればよいのかがミアにはわからなかった。
結果、膝にかかるアルフェルドの重みを許容することになる。
「撫でてくれ」
「な――」
「狼の俺は実家に帰したと言ったのはミアだからな」
「き、聞いたのですか!?」
「部下の報告は当然聞く。……狼の姿で触れあえなくなったのだから、人の姿でこうするしかないだろう」
ふあ、とアルフェルドがあくびを漏らした。撫でることも昼寝をさせてやることも、たしかに子爵邸では応じていたが……。
「ミアから受けとった魔力が枯れれば、俺は刺客に命を奪われるやもしれんぞ」
まだ迷っているミアに、アルフェルドは意地の悪い仮定を投げかけてくる。
そう言われてはこれ以上抵抗することはできなかった。
腹を撫でるわけにはいかないから、銀の髪に指先を通す。当然ながら狼の毛なみよりもずっと細くてやわらかい。けれども艶やかさや触れたときの煌めきは同じだった。
心の中で女神への祈りをささげ、魔力を手のひらに満たす。
そっと髪を撫でれば、アルフェルドは目を閉じてうっとりとした表情を浮かべた。その仕草はアルフを彷彿とさせる。
アルフであったときの行動に徹することに決めたらしいアルフェルドは、そのまま心地よさそうな寝息をたてはじめた。
鋭い色を放つこともある紫の瞳は見えなくなり、視界に映るのは歳相応に幼さを残す少年の寝顔。
(……アルフェルド様のほうこそ、無防備すぎるのではないかしら)
寝てしまえば、急に獣の耳や尻尾が生えてきて驚かされることはないと信じたい。
右手はしっかりと握られたまま、左手は何度も髪をすき、形のよい頭の輪郭をなぞる。
人払いをしたとはいっても、はたから見られればどう思われるかそわそわと落ち着かない。これでは――なんというか、恋愛に溺れた恋人同士のよう。
ミアはため息をついた。
――まさかその懸念どおり、二人を見つめる視線があるとは気づかずに。