2.狼になつかれました
またくる、と告げた言葉どおり、銀狼はときおり屋敷へと姿を見せるようになった。
数か月に一度の頻度でもうちとけるのに時間はかからなかった。
というより、狼の側からなれなれしいほどに絡んでくるのである。
野生ではないのかもしれないとミアはにらんでいた。
味をしめてしまったようで治癒魔法をかけろかけろとうるさい。かけてやると毛なみがふっくらするので、まぁ修行も兼ねてだとミアはため息をつきつつ言うことを聞いてやった。
毛なみを整えたら、今度はなでろなでろの連呼だ。
初対面のしおらしさはとうになく、ふてぶてしさはまさに狼の王、と苦笑しつつ厭味の一つも言いたくなるくらいだった。
狼はアルフという名らしい。
響きがかわいらしいと笑ったら拗ねた。狼心は難しい。
討伐の件は大丈夫なのかと尋ねてもはぐらかすくせに、アルフはミアのことを知りたがった。
ミアの家はエルメール子爵家といい、父親ハンスは宮殿での祭祀をとりまとめる役職についていたこと。
現国王が〝フェンリル祭〟を廃止した際に諫言を呈し、不興を買って役職を奪われたこと。
けれどいずれ復活する日まで伝統を絶やしてはならぬと、自分や従兄が聖魔法の習得に励んでいること……などを、ミアはアルフが訪れるたびに語ってやった。
ミアの扱う聖魔法は、ほかのものとは少し違っている。
精霊ではなく女神の加護を祈り、人間にも効くがフェンリルにはよりおおきな効果をもたらすとされている魔法だ。死にかけていた銀狼を立ちあがって走りだせるまでに回復させたのだからその伝承は正しかったのだろう。
「まさか本当にフェンリルと出逢って、この魔法を使う日がくるなんて……」
「感謝するぞ。それがなかったら俺は死んでいたからな」
そう言われればミアは黙るほかなかった。魔法を習得しておいてよかったという安堵よりも、フェンリルを殺そうとしたこの国の未来を憂いてしまうからだ。
アルフはあごを反らしてのびをしているけれど、あまりのんきにできる話ではない。
あのときアルフは状況を指して〝討伐〟と言った。矢を使い、フェンリルに傷を負わせるほどならば一人ではなく集団で、それも戦闘訓練を受けた兵士。
フェンリル祭を廃し、聖獣を殺そうとしたこの国には、いったい何が起きているのだろう。
しかしそれを尋ねても、アルフは鼻先を空に向けてふきゅー……とため息ともつかぬ音を鳴らすだけ。
理由はあるが、言いたくないらしい。
「くだらんことだ。しかし言えば危険が増す。いずれ時期がくれば話そう。……それよりも、ほかにも気になっていることがあるのではないか?」
「それは……」
アルフのいう未来の番とはなんなのか。ずっと心にひっかかっている疑問。
二十歳の節目に浮いた話の一つもなく、もはや結婚適齢期をとうにすぎたからこそつつましく独り身をつらぬく決心をした自分をからかっているのかと、怒りたい気持ちもある。けれども聞いてはいけない予感がするのだ。
なにか、とりかえしのつかないことが起きてしまいそうな……。
頬を染めて首をふるミアに、アルフは口元を歪めた。にやり、という表現が似合いそうだ。
それもまたミアの選択を笑っているようで、懸念が募る。
アルフはあくびをして後足で耳のうしろをひっかいた。
「ならいい。そうだな、フェンリル祭のことでも話してくれ」
「知らないのですか?」
本人なのに、と言いかけて、しかし祭りに当のフェンリルが現れればパニックになるだろうと想像がついて口をつぐんだ。
数年前が最後となってしまったフェンリル祭を、記憶をよみがえらせながらミアは語る。
「フェンリルはこの国の建国に関わったという神話があるのです。フェンリル祭では、〝使いの狼〟を模した格好で人々が練り歩き、王宮までフェンリルを迎えます。もちろんフェンリルは本物ではなく彫像です。王都の中央通りのすべての樹々に銀の飾りをつけて、それぞれのお店が屋台を出して……」
話を聞きながらアルフはミアの膝に頭をのせるのが常だった。相づちが少なくなってきたなと思っているといつのまにか眠りこんでいる。子守歌がわりなのだろう。
太い首を投げだしてアルフは腹を見せている。魔法のおかげで艶を増した銀毛を、役得だとミアは撫でまわした。すぴすぴと気持ちよさそうに鼻が鳴る。
何度か会ううちに冬は終わりを告げ、春を迎えようとしていた。