16.恋とはどんなものかしら
午後はまたレズリーと妃教育。
アルフはしばらく様子を見ていたが、やがてふいと外へ出ていってしまった。さすがに四六時中いっしょというわけにはいかないらしい。
詰めこみすぎて煙の出そうな頭をかかえ、ミアはブリーナに言われたとおり机にかじりつく勢いでレズリーの教えに従った。
夕刻、妃教育を終えたときにはミアはへとへとだった。
レズリーはもとのやさしい笑顔を浮かべてお疲れ様でしたといたわってくれたが、最後の一言がミアをふたたび硬直させた。
「では、お教えしたことを実践してみてくださいませね。人前でこなせるようにならなければ、身についたとは言えませんから」
やさしく見えて鬼教師である――父よりも従兄よりもずっと厳しい。
またもや着替え、その後アルフェルドの自室で夕食。
ミアの立ちふるまいに、ブリーナはなにも言わなかった。内心でどう思われているのだろうかと不安になるのは、やはり自分に自信がないせいなのだろう。
訓練を重ねるうちに身体に染みこみ、自信となるのだとレズリーは請け負ってくれた。だからあまり気負いすぎなくてもよいのだ。頭ではわかっているのだが。
給仕が終わり、アルフェルドと二人きりになるとついホッとため息をついてしまう。
本来はもっとも畏まるべき身分の相手だが、正体を知らぬあいだに気兼ねない態度で接していたせいで、いまとなっては気が抜ける相手だ。
「妃教育は順調のようだな」
ミアの様子にアルフェルドが笑う。
その言葉に含みを感じてミアは頬をふくらませた。たった一日で順調なわけがない。疲れ果てたミアの努力だけは認めてくれるという意味だ。
国のためならやるだろうとアルフェルドは言った。
もちろんだ。
弱小貴族の令嬢とはいえ、国を思う気持ちは高位貴族にも負けていない。
「ご覧くださいませ、アルフェルド殿下」
目の前の少年がたまに小憎らしいところのあった銀狼に重なって見えて。
すました顔で、優雅な手つきでカトラリーを扱う。
前菜を口へ運び、どうでしょうかと裁定をあおぐように視線をやれば、アルフェルドは素直な笑みを見せた。
――正直、想定外なほどの。
「レズリーは俺の教師でもあったからな」
「……」
そう語る表情があまりにもやさしくて、アルフェルドの内心も察せられてしまって、ミアは黙りこんだ。
レズリーがアルフェルドに対して罪悪感を持っていたように、アルフェルドもまたレズリーの罪悪感に対して思うところがあったのだろう。
今回の妃教育で、アルフェルドは彼女の罪悪感を払拭したかったのだ。
妃を任せるほどの信頼を残しているのだと教えたかったに違いない。
紫の双眸は過去を思いだすようになつかしげに細められた。
それはエルメール家の庭を訪れた銀狼がミアの語る国の様子を聞きながら見せた表情に似ていた。
「アルフ……」
思わず、敬称すらつけぬ、いつもの名を呼びかける。
アルフェルドの目が見開かれた。
次の瞬間。
――ぴこん。
銀髪に生えたのは、狼の耳。
見れば、椅子の向こうで銀の尻尾がゆらゆらと揺れている。
そういえば昼食の際にはさらけだしていた耳と尻尾だが、いまはそうではなかった。
ミアの気を散らさないために片付けられていたのだとようやく気づく。
「も、申し訳ありません……?」
「まぁ、よい。これもまた番の証だ」
ぴこぴこぱたぱたと存在を主張する獣の耳と尻尾。
ミアがアルフェルドに魔力を与え、番の関係をつくってしまったから、だから勝手に出てくるのだとアルフェルドは言う。
ミアを手放す気はないと言ったアルフェルドを思いだすと、胸が騒ぐ。
けれどこれが恋なのかはわからない。
わからないまま、鼓動はどきんどきんと打ちはじめる。
ふたたび料理にむきあい、なんとか作法を実践したものの。
結果は満足な出来とはいいがたかった。
***
夜になるとアルフェルドが狼の姿でやってくる。ブリーナは眉を寄せて表情をとりつくろおうともしない。そんな彼女をシェリルがたしなめる。
「おやすみなさいませ」
侍女たちが下がって、明かりのついたランプは壁際の一つだけになった。
やわらかな光がアルフの銀の毛なみを照らしている。
どことなく抵抗を感じて、ミアは銀の狼から少し距離をとった。
広いベッドはそれでも十分なスペースがある。
アルフが細く目をあけた。
けれど狼はなにも言わず、黙って目を閉じただけだった。