12.アルフェルドの過去(後編)
ミア・エルメールと名乗った女は、フェンリル祭の執行官の血筋であった。
ミアはこの国が好きだと言う。なくなってしまった祭りの伝統すら継いで守ろうとする性格だ、その言葉に嘘はない。
ならばアルフェルドがすることは決まっている。
ミアの住まう国を、あの兄に黙って渡すことはできない。聖獣として真に目覚めたいま、アルフェルドは一個大隊にも匹敵する力を手に入れた。
輝く銀毛は剣も矢も通さず、鋭い牙は鎧を貫く。
王妃のさしむけた兵を蹴ちらしたあと、アルフェルドは王宮へ戻り、父王へと迫った。
ころげおちるように椅子から立ちあがった王は涙を流さんばかりの勢いだった。情けない命乞いの言葉が出る前に、アルフェルドは口をひらく。
「王政の改革と、兄ヘンリックの再教育を。このままでは国が滅びます」
巨獣から低いうなりとともに吐きだされる予言めいた忠告に国王は青ざめてうなずくしかできなかった。
もとが中庸な王だ。悪気があったわけではなく、ただ信念がなかっただけ。
「国がよい方向へ進むのなら、わたしはしずかに伏していましょう」
アルフェルドの望みはミアとの暮らしだけ。それを成し遂げるのに、王が誰であるかは関係ない。ただ王の資格さえそなえていれば。
父王は必死に頭を上下させる。それからもつれる舌がようやく言葉をつむいだ。
「わ、わかった……」
けれども、震える声でなされた約束は、予想どおり果たされなかった。
ヘンリックの態度が目に見えて悪化した。
アルフェルドがいくら避けようとしても追いまわし、姿を見つければ自ら暴力をふるう。ヘンリック付きの従者は見て見ぬふりをした。アルフェルド付きの従者など当然いないから、誰も止める者はない。
「俺の再教育だと!? 馬鹿にしおって!! なぜ貴様の指図を受けねばならぬ!! 獣の血が混じった汚らわしい貴様の!!」
殴られ、蹴られて皮膚の色が変わろうとも、アルフェルドは苦痛の声をあげなかった。ただひそかに、この程度ではもう傷が残ることもないのだと思った。
身も心も、強さを増した。
それを与えてくれたのはミアだ。
第一王子と第二王子の対立を、秘しておくこともできた。それをしなかったのはヘンリックのほうだ。人目もはばからずアルフェルドを悪し様に罵り、手をあげる。
それだけあからさまなふるまいを黙認する王宮内の腐敗具合にもため息が出る。誰もが王妃の顔色を窺っていた。国王であるはずの父までも。
とはいえ、過激に過ぎると反動というものは必ずくる。
表立っては声をあげないものの、反王妃・反ヘンリック派は次第に増えていった。彼らは強い権力を持たず、王妃から邪険にされた下位貴族たち。当然ミアの父親ハンスもいた。
「ミアを妻としたい」
そう打ち明ければ、ハンスは卒倒しそうな勢いであったが――己の娘が使う回復魔法を思いだしたようで、うなずいた。
しばらく頭をかかえて「あの子はまったく……」などとうめいていたものの、狼が番を見つけてしまった以上どうしようもないこともわかっているようであった。
父親に許可をとったのだから、あとは本人に告げればもう誰にはばかることもない。
毒を盛られた、とアルフェルドは告げた。
王宮の中に犯人がいる――と。
そして神託が降りた。『悪しき者、国にあり』――と。
翌日、ヘンリックの部屋から毒薬が見つかった。アルフェルドを射殺そうとした際に使われたのと同じもの。
ヘンリックの恐慌はすさまじかった。
なぜなら、その毒薬を部屋に置いたのは、ほかならぬ王妃以外にありえなかったから。蜥蜴が尻尾を切るように、王妃は実の息子を切り捨てた。フェンリルの血を継げなかった息子など、彼女にとってはもう価値がなかった。
アルフェルドは暴言を喚き散らすヘンリックを捕らえ、幽閉した。
敵は勝手に瓦解した――あとはヘンリックから王妃の関与を吐かせればいいと考えていたのは、冷徹に見えるアルフェルドの幼さだったかもしれない。または早くに母を亡くし、いまさら縋る相手もいないせいか。
ヘンリックが逃げたと聞いたとき、アルフェルドは己の失態を理解した。
奴の向かった先はミアのもとだ。番を殺せば、アルフェルドの力は失われる。それどころか番を失ったふかい悲しみに発狂するかもしれない。
一度絶望の底に突き落としたヘンリックを、王妃はそう言って奮い立たせた。
ヘンリックは捕らえたが、王妃はこれからもミアを狙う。
ならば、自分の手元において始終見張っているのが一番いい。
アルフェルドはそんな結論を下した。
過去編は終わりです。次からまた王宮の暮らしに戻ります。
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