第29話 最終決戦前夜 後編
第29話
最終決戦前夜 後編
アナトリーは、コタンコロで多くの敵を倒したという部分を功績とし、ジェル分隊へ二等兵としての配属が決まった。
二等兵とは、最も位が低い階級である。
ワール市では武士団達が、軍議を開いていた。
街で焼け残っていた建物には、“南方の帝国”という亡国の君主であり、現在は後継国の“象徴”直下の正義の軍である事を表す"錦の御旗”を掲げ、自分達が正義である事を示した。
そして武士の誉れ体現する様に、黒を基調とした、雅な簾を垂らしていた。
軍議では、敵の虚を突く“奇襲”に拘った。
正規軍の規模は約60万である事は判明しており、自分達が30万である事を考慮すれば、倍の戦力を擁しているのである。
そんな敵に真っ向から正攻法で攻めても、勝機は薄い。
その為、意表を突く奇襲に拘ったのである。
彼等は今回の戦争を、細心の注意を払って計算し、入念に準備してきた。
取って置きの秘策を残し、彼等はカイ市解放に向けて、最後の準備に取り掛かった。
そうして4ヶ月が経った侵攻の前夜、彼等は正規軍を挑発し、その先鋒をワール市前に誘き寄せる事に成功した。
彼等を、城郭都市として改築したワール市に誘導し、そこに食い付かせる事が目的であった。
ワール市には壁が出来上がり、砦が壁の外に築かれていた。
これは、アレク市から持ってきた物である。
物々しい要塞の姿をしたワール市。
これを攻略しようと進軍し、目の当たりにさした正規軍。
驚愕と絶望が、その顔に表れていた。
そんな兵士達を見つめ微笑むのは、騎馬部隊隊長のタケダであった。
タケダ「のこのことやって来よったわ。
自ら死にに来るとは、哀れな者達よ。
彼等の鎮魂の碑を立て、しっかりと供養してやろう。
…うん?。
あの指揮官の男、見た事がある…。
あれは…チロット市での戦いで、北からの入り口を守っていた男か?。」
その時正規軍を率いていたのは、ラインホルト中佐。
この男はヤナ連隊で、ラインホルト大隊を率いていた。
彼は今回の戦いで、ワール市侵攻の、先鋒部隊の隊長をしていた。
彼の攻め方を、タケダは熟知していた。
一度対戦し、その特徴を体験したからだ。
ラインホルトの攻め方というのは、正攻法そのものであった。
危険を犯さず、じっくりと時間を掛けて、着実に敵を撃破していく。
その戦い方には、着実に勝利を得られる代わりに、多くの犠牲を強いる。
しかし数という能力で勝る勢力は、下手に犠牲を少なくしようと奇襲をして敗れるより、真っ向からぶつかり、何よりも得るべき勝利を得るのである。
奇襲というものは、数という能力で劣る勢力が、相手の予想しない攻撃をし、敵を最終的には撃破していくというものだ。
しかし希に数で勝る勢力が、どうせ正攻法で攻めてくるだろうと予想させ、結果的に敵を欺き少ない犠牲で、勝利を得る奇襲もあるのだ。
武士団はそれを危惧していた。
自分達の奇襲が功を奏さず、敵に前線のワール市を取られる事は、戦争の続行を断念せざるを得なくなる程の、死活問題となるからであった。
彼等が行おうとしていた奇襲、それはインフラ整備の際に培った、地下道設立の技術を用いたものであった。
戦闘が開始する迄4ヶ月間も掛かったのは、地下道の設立工事に時間が掛かったからである。
また何故そんな高度な、侵攻経路の建築能力があるのに、わざわざ犠牲を強いてでとワール市迄来たのか。
それは、ワール市からカイ市迄はほぼ直径であり、道に誤りがない様にである。
また直径に進むだけであれば、青山地区内からでも出来た様に思えるが、それも不可能なのである。
ロパチン山脈付近の地層は、ホルンフェルスと呼ばれる接触変成岩で出来ているのだが、厄介なのはその中でもかなり固い、結晶質石灰岩、俗に言う“大理石”で出来ているのだ。
それ故に、青山地区から地下を進む事が出来なかったのだ。
戦う前から青山地区の外に穴を掘って、武士達を予め待機させていてから、進軍させる事も不可能であった。
理由は単純明快、そんな事をすれば目立つ為である。
デモを扇動して目をつけられている状況で、アレク市付近以外で派手な事は出来なかったのだ。
そもそも、武士団がテロの後にカイ市付近に居れば、青山での戦闘自体を避けられただろう。
しかし、30万という人間とズヴェーリ、そして凶器となりうる“刀”を運ぶのは、州自治体に目をつけられていなくても難しい事であった。
そうして、青山地区の外に出る為に、必要であった戦い。
武士団と正規軍の両勢力が衝突した、チロット市攻防戦。
これは、街の中に居たアレク市の市民により、ヤナ連隊の密かな駐屯が密告されたのだ。
その為に、武士団は素早い移動を始めたられたのだが、威力偵察を目的としたタケダの攻撃で、正規軍が少数精鋭である事が分かった。
それ故に犠牲を控えようと、彼を囮にしている間に、カク率いる本隊は北上を開始したのだった。
アナトリーは、アレク市からグローム市に電車で向かう途中、その本隊を見たのだった。
タケダが敗北して逃げ延びて来た後、本隊から一部を切り離し、コタンコロでの時間稼ぎを行ったのだった。
それは死を以て武士団全体に貢献し、最後の勝利を得ようとする、誉れある死であった。
それを、高名な武士の血族が治めていた薩摩出身の、士族の男に行わせたのだった。
主君たる棟梁ダオに命を捧げる事が、武士の誉れであったのだった。
それこそが武士の本懐であり、仕える美学であった。
しかし、全軍でコタンコロ攻めを行わなかった所に、その美学に対する裏切りがあった。
ダオは自身の目的達成の為ならば、他人がどうなっても良く、手段を選ばない人間であった。
彼に取って、士族を重用する事は、武士団の大部分を占める“北方系”から反感を買ってしまうという大きな不安要素であったのだ。
結局は、血筋なのかと言われてしまうからだった。
その為いくら忠臣であり、有能な猛将であれど、薩摩の士族を軍勢を率いる武士たる、武将に据え置く事は避けたかったのだ。
しかし血の気が多く脳筋とも謗られる薩摩の武士であった彼は、当然人事に反対していた。
その為彼の配下と謀反という裏切りを起こされる前に、本隊を逃がす大事な役割であるとして、忠義を裏切り殺したのであった。
彼には、400年前に“南方の帝国”内で起きた内乱で、薩摩の殿様であるシマズを逃がす為に行われた、“捨て奸”の再現だと説明した。
そして同時に、命を擲ってカクという殿様を助ける“英雄”と評したのだ。
そうして彼は、死ぬ為に戦場に赴いたのだった。
ワール市で両勢力は睨み合っていた。
その時、タケダの側に居たコウサカは、刀に映る自分を見つめていた。
自分の手の中にあるのは、多く人や魑魅を殺した刀である。
彼には兵器として利用している魑魅は居ない。
ただあるのは、武士の魂とも言える刀だけであった。
“南方の帝国”では、土地が狭くまた山や川が多かった為、小柄な魑魅ばかりであった。
それ故、他の地域では弓矢や剣でズヴェーリと戦う事を辞め、彼等を調教し兵器にする事で戦争をしている時代でも、“帝国”内部では魑魅が弱く、それと人が戦う“武士道”と、その武器である“刀”が発展していったのだった。
魑魅に立ち向かう、死をも恐れない強靭な精神力と、一人では敗れる事になる為集団で戦う事を通して、“南方系”の特徴である、連携する能力を身に付けていった。
甲冑を脱ぎ、楽な格好をして街の中、川の側で話し込む人が居た。
サナダ「また刀を見詰めて、どうしたコウサカ。」
コウサカ「どうしたもこうしたもない。
殿を守ろうと、俺は必死になって人を斬った。
今こうして青山を抜け、最終決戦となるカイ市攻略を試みている。
この現状は、前には想像の世界でしかなかった絵空事だったよ。」
サナダ「そうだな、我々が殿の、知と武の両眼となり活躍し、更にその殿がカク殿に尽くしている事で、ここまで来る事が出来たんだ。」
コウサカ「殿も俺だけに尽くしてくれれば良いのに…。
奥方様とばかり毎夜毎夜…蝶々喃々(ちょうちょうなんなん)…。」
サナダ「何だ、なんか言ったか?。」
コウサカ「いいやいや!、あの~だから!。
俺達も殿の為に、頑張って来たなぁなんてな!。
ていうか、サナダ。
お前、なんでそんな良い刀を持ってる癖に、参謀なんだ?。」
サナダ「謀に秀でているからさ。」
コウサカ「千子村正…。
敵を呪う、妖刀。
刀から放たれる覇気が恐ろしいな…。」
サナダ「…おう。
まぁ名刀なのは確かだな。」
コウサカ「しかし信じられん。
そんなに大柄で名刀を拵えておきながら、お前が参謀であるのかが。」
サナダ「身長や刀は関係ない。
俺は参謀、謀で敵を斬るのだ!。
…まぁチロットで俺の策は活躍しなかったが、この砦や地下道を造る案が採用されて、俺も少しは面目を保てているかな。」
コウサカ「だけど、こういう勝利が近づいた時が、一番危ないんだ。
勝っている時こそ気を引き締めなくてはダメだ。今回の策が上手くいけば、我々は大勝できる。
大勝しそうな時こそ、敗北の兆しが見えてくるものだ。
勝てそうという油断、それこそが敗北を一番引き寄せてしまう。」
サナダ「そうだな。
少数で大勢を奇襲する時、大勢は大丈夫だろうと油断している。
だからこそ、奇襲は成功する。」
コウサカ「奇襲に成功して、勝利を目前にして油断すれば、必ず足元を掬われて因果応報を受ける…。」
刀を鞘に戻し、2人はタケダの元へ向かった。
いつ攻撃を受けてもおかしくない機運である今、2人は心の準備をする他なかった。
夜になり武士達は、女性や娯楽といったものを排除して、刀やズヴェーリと向かい合い、もうすぐ死ぬかもしれない我が身を案じた。
しかし、彼等に迷いはなかった。
そこにあるのは、ただ邪念を捨てた、清らかな心だけであった。
29話 終
本作品を通して説明されてきた“南方の帝国”の特徴。
それらを通して、既にお分かりの方もいらっしゃるかも知れませんが、“南方の帝国”のモデルは日本です。




