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星降る夜に、君の隣で。  作者: 麻象 塔
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♯6 星に願いを。

佳香さんは少し、戸惑っている様だった。視線の定まらない僕を、不思議そうに覗いている。こんな時間に小学生がうろうろしているんだから当たり前か。うっすらとした月の光が、彼女の細い指先から登るタバコの煙を、ゆらゆらと幻想的に揺する。

 

 僕はただ、立ち上る煙が消えるのを黙って見ている。ふと、さっきまで泣いていた事を思い出した。今僕は、どんな顔をしているんだろう?目は赤くなっていないだろうか?涙の跡は消えているだろうか?途端に顔を合わせるのが恥ずかしくなった。佳香さんは少し笑うと、隣の床をポンポンと軽く叩いた。座れという合図だ。僕は無言で彼女に背を向けながら座る。


 「何かあったの?」

 「佳香さん...僕は、僕はただ...」


 優しい声だった。なんて事の無いその一言に、何故だか僕は安心してしまって、心の柔い部分が、雪崩の様に崩れてしまった。こうなるともう止まらない。僕は泣きながら佳香さんに事の成り行きを話した。要領を得ない言葉にも、うんうんと相槌を打って話を聞いてくれた。僕は心の中のモヤモヤを吐き出す為に、とにかく喋った。


 「そりゃ酷いね、でもお父さんもお母さんも、渉くんを養うのに大変なんだよ。そこは分かってあげな」

 「...っ」


 でも、と言おうとするが、言葉が詰まる。だって、それくらい分かっているから。お父さんもお母さんも、好き好んで毎晩遅くまで仕事をしているわけでは無い。それでも、もう少し僕を見ていて欲しかった。裏切らないで欲しかった。そうしてくれないと、僕は…


 ふぅ、と息を吐くと、佳香さんは静かにタバコの火を消し、僕の目を真っ直ぐと見つめる。さっきまでの優しい表情とは違い、真剣な眼差しに僕は困惑した。出会ってからまだ日は浅いが、こんな顔の佳香さんは初めて見る。


 「いくら家族と言っても、溝は出来るよ。深くならないうちに仲直りしないと、取り返しのつかない事になる。」


 真剣な顔で言い終わると、ニコっと笑って僕の背中を叩いた。気づけばまた、いつもの飄々とした態度に戻っていた。


 「佳香さんこそ、何でこんな時間までここにいるんですか?」


 素朴な疑問だった。そういえば会うのは今日で3回目だ。しかも3日連続で会っている。僕と同じで、行く場所が無いのだろうか?それとも何か理由があるのか?家族は心配していないのだろうか?考えれば考えるほど疑問が湧いて来る。


 「私はいいの。高校生だから。しかも2年」

 「何ですかそれ、全く答えになってないじゃないですか」

 「細かい事は気にしない気にしない」


 そんなのずるい。でも、その一言がやけに可笑しくて、僕はクスリと笑ってしまった。少しだけ、悔しい。

 

 「さ、帰ろ」


 彼女はそう言うと、立ち上がって学校指定のバッグを手に取った。家まで送ってあげるから。と言うと、僕に手を差し出した。


 「こんな時間に外ほっつき歩いてたら、ご両親心配しちゃうよ」


 ごもっともな意見だと思う。だけど僕は、家に帰りたくなかった。どんな顔をして帰ればいいのか分からない。2人に謝れる自信も無い。佳香さんは座ったまま、立ち上がろうとしない僕をキョトンと見つめていた。差し出された手は、宙に固定されたままその役割を待っている。


 僕は俯きながら小さな声で言った。


 「帰りたくない。」

 「渉くん...」


 2人の間に、沈黙が流れる。月明かりの逆光のせいで、窓際に立っている佳香さんの顔が見えない。怒っているのかな、なんて心配していると、先に沈黙を破ったのは佳香さんだった。


 「それじゃあ少し、お喋りでもしますかな」

 「え、いいんですか?」

 「だって帰りたくないんでしょ?なら落ち着くまで一緒にいるよ」


 単純な僕の事だ、きっと顔の綻びは隠しきれていなかっただろう。笑顔で承諾してくれた佳香さんはまた腰を下ろし、僕等2人は取り留めのない会話を始めた。

 好きな子はいるのか。今日は何をしていたのか。学校は楽しいか。キングクリムゾンが来日するらしい。佳香さんが会話の主導権を握ってくれたおかげで、特に変な間が生まれる事はなかった。どれもこれも、取るに足らない会話なはずなのに、僕は楽しくてしょうがなかった。人と話すのが楽しいと思ったのは久しぶりだった。きっとさっきまでの孤独感や、鬱々とした気持ちが強烈なスパイスにでもなっているのだろう。僕はよく分からない納得をする。


 「渉くんさ、学校で仲の良い友達はいるの?」

 「えっと...」


 不意の一言に、僕は固まった。僕に仲の良い友達などいない。けれど、今それをここで言うのは恥ずかしかった。楽しい気分を仰け反らさない為に、僕は話題をそのままパスした。


 「そういう佳香さんはいるんですか?」

 「うーん…」


 この話題は、どちらにとっても地雷だったのかもしれない。そんな事を考えていると、答えを誤魔化すかの様に、佳香さんは歌い始めた。


 「ハレー彗星がーぼーくーらーの前にーまたーそーの姿を現わす日ーまでー」


 とても綺麗な声だった。透き通ったその歌声は、コンクリートの四面に囲まれているせいで、いい具合にエコーがかかった。ただ、誤魔化しにはなっていない。


 「何ですかそれ、ハレー彗星はまだまだ先ですよ。」

 「the pillowsの僕らのハレー彗星って曲。良いバンドだよ。今度CD貸してあげる」


 バンド名は聞いた事があった。気にはなっていたので、素直にご好意に甘える事にした。


 「ありがとうございます。」

 「あっ、今聴いてみる?」


 そう言うと、佳香さんはポケットからスマホを取り出し、片方のイヤホンを僕に預けた。イヤホンをつけると、僕と佳香さんの距離が近くなる。隣同士の僕らは、寄り添い合いながらその曲を聴き始めた。


 顔を上げると、筒抜けの天井からは星が見えた。僕を見て、佳香さんも顔を上げる。僕ら2人は夜空を眺めた。


 綺麗だった。まだ22時くらいだというのに、住宅街から離れ、辺りが田んぼだらけのこの場所は、星がよく見えた。オリオン座流星群がもうすぐやって来るという事は知っていたけれど、それでも充分すぎるほど綺麗だった。


 この星の光が、何億光年も前の光だという事が、嘘の様に思えるくらい近くに感じた。


 「綺麗だね」


 隣でタバコに火を点けながら、彼女は言った。


 「うん」


 僕が肯くのと同時に流れ星が落ちた。


 「家族と仲直りできます様に。」

 「え?」


 佳香さんがポツリと言った。僕の為だろうか?少し照れくさかった。僕も次の流れ星に備えて、心の中で願い事の準備をする。家族と仲直り出来ます様に。クラスの皆んなとの距離が縮まります様に。ちょっと欲張りかな?


 すると、また一つの星が、夜空に綺麗な線を描く。僕は咄嗟に願い事をする。


 その瞬間、今まで見ていた星空とは対照的な、真っ暗闇に吸い込まれるかの様に、僕は意識を失った。

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