02 上げて落とされる。
俺が恋したのは、自称病んでいるコミュ症の女性。
初めて会った時とは大違いで、笑顔さえ見せない。
俺のことを覚えていないせいで、怪しい人として警戒してしまっている。
もう少し警戒を緩んでもらって、親しくなれば、恋をした瞬間のように笑い合えるはずだ。
「私はもっと蓮野さんとお話したいのですが……どうしても」
「嫌ですね」
またもや、一蹴。
物凄く面倒そうに眉間にシワを寄せて、携帯電話で時間を確認した。
「遅刻しそうなので」と俺に背を向ける。焦って蓮野さんの手を掴むと。
パラパラッと、なにかが落ちた。
弾んで転がるのは、ラピスラズリーの石。彼女の大切なブレスレットが壊れてしまったのだ。そう気付いた瞬間、青ざめてしまった。
天使だと思っていた彼女が、俺をギロリと睨み上げる。
「す、すみませんっ」
「……チッ」
声を上げることはせず、蓮野さんは舌打ちをした。全然天使じゃない。天使って顔じゃない。
彼女はしゃがむと、ブレスレットの残骸を拾い始めた。俺も慌てて拾い集める。
「もういいです。消えてください」
冷えきった声を投げられた。頭が上げられない。本当に申し訳なく思っている。
「本当にすみません。大切にしているブレスレットを……あ、あの、新しいものを買います。つけていないと、不安になってしまうと言っていましたよね」
なくして取り乱していた蓮野さんは、見付かった時にコロッと笑顔になった。綻んだ笑みに、恋をしたというのに。
なんとか償いたいが、怒らせてしまったなら、これさえも断られてしまうかもしれない。
恐る恐る蓮野さんの顔を見てみれば、きょとんとしていた。
「……仕事終わりにでも、どうですか?」
「……」
難しそうに顔をしかめて、手の中のブレスレットの残骸を見つめる。
「……六時に、仕事が終わります」
ポツリ、と許可が出た。
「六時ですか。では余裕を持って、六時半であのデパートの前で待ち合わせでいいですか?」
舞い上がる気持ちをグッと抑えて、約束をしっかり整える。
コクン、と彼女は頷いた。拾い終わったブレスレットをポケットにしまうと、スタスタと行ってしまう。
俺は心の中でガッツポーズをした。ブレスレットを壊してしまったのは、申し訳なく思うが、会う約束が出来たのは不幸中の幸いだ。
俺への好感度は最悪まで落ちただろう。それをなんとか挽回しなくては。
いつものように出社。いつものように挨拶を交わし、いつものように仕事を始めた。
ずっと夜を気にしてしまい、集中力が欠いてしまったが、俺の定時は八時。六時に退社できるように、必要な仕事を片付けようと急いだ。
「今日はもう上がります」と丁寧に挨拶をしてから、エレベーターに乗り込む。
鏡を見ながら髪を手で整えた。少しボリュームある黒く短い髪。アーモンド型の黒い瞳。睫毛が長いとよく過去の恋人に触られたが、あまり好きじゃない。
襟とネクタイを整えてたから、黒と灰色のストライプ柄のマフラーを巻く。
余裕を持って、六時二十五分には着くだろう。
駅のデパートを回っていけば、彼女が気に入るブレスレットを見つかればいいが。見つからなければ車を出して、探しに行こう。
約束したデパートの入り口に、蓮野さんはもういた。
眼鏡をかけて、携帯電話をいじっている。ゲームでもしているのか。
少々、ドキドキしてしまった。白いマフラーと瑠璃色のトレンチコート。コートは短めで、エレガントなAラインだ。黒のスキニーとブーティ。
眼鏡さえ外していれば、きっとナンパされているところだろう。あの眼鏡だと、話しかけづらい雰囲気を感じてしまう。
俺は約束の相手だから、話しかけられる。
「蓮野さん。待たせてしまいましたか?」
「……」
にこっと笑いかけると、チラリと目を向けるだけですぐに返事をもらえなかった。
ゲーム中らしい。嫌なドキドキを感じつつ、数秒ほど立って待てば、携帯電話はしまわれた。
「早く済ませましょう」
素っ気なく告げると、蓮野さんは先に中に入っていく。
まだ怒っている……当然か。
若者向けのデパートだから、学校帰りの学生が目立つ。それを横切り、蓮野さんは先にエスカレーターに乗る。俺も続いた。
「……普段から、眼鏡をかけているのですか?」
彼女の警戒をとくきっかけを見付けようと、会話をしてみる。
「……はい」
物凄く不機嫌な声で、返事された。
自分でコミュ症だと言っていたし、会話が苦手なのかもしれない。なら、俺のことから知ってもらおう。
「俺は父も祖父も目が悪くなってしまったので、気を付けろと言われて育ちました」
「……」
「……目、いいんですよ」
微かに「へー」という相槌をされたが、それだけだ。
彼女は迷わずアクセサリーが、売っている店に入った。買う店は決めていたみたいだ。
「あのブレスレットは、ここで買ったのですか?」
「いいえ」
「……。値段は気にせず、好きなものを選んでください」
「はい」
速攻で終わらせたいらしい。まずい、挽回するチャンスが奪われる。
なんとか、なんとか、せねば。
遅れて気付いたが、パワーストーンの店だ。どうやら、ラピスラズリーがいいらしい。
「パワーストーンがお好きなんですか?」
「……はい」
会話を続けるつもりはないらしく、一言で終わらされた。
「……ラピスラズリーは、綺麗ですよね」
「……ですね」
「……」
なにか。なにか続く会話はないのか。
汗がダラダラと落ちそうな中、必死に考えた。
「やっぱり、風間さんだ!」
思考が遮られたかと思えば、このデパートの代表だ。
茶色のチェックという派手なネクタイをつけた彼とは、風間ブランドの文具の仕事で何度も会っている。おっとりした印象を抱く歳上だ。
「今日はどうしたのですか?」
「ご無沙汰しています。今日はプライベートで利用させていただいています。お気になさらず」
握手をして、接待は無用だと柔らかく伝えておく。そばにいる蓮野さんに視線を向けて、察してくれたらしい。頭を深々と下げて、離れてくれた。
「……デパート関連のお仕事ですか?」
「いえ。文具ブランドの会社です。ほら、風車マークのついた文具を使ったことありませんか?」
蓮野さんから訊ねてくれて、安心する。仕事に関して話すタイミングを、探していたところだった。
御曹司と明かすのは吉と出るか、凶と出るか、わからなかったからだ。
「ああ! あの文具ですか!」
「!」
目を見開いて、蓮野さんは食い付いた。俺まで驚いてしまうが、これで好感度が上がったのかと喜んだ。
「お好きですか?」
「はい。ペンも色鉛筆も持ってますよ」
「そ、そうなんですか?」
蓮野さんがやっと笑顔になる。グッ、と胸が締め付けられた。
天使のように優しげで愛らしい笑み。
なんだ。素面でも笑えるじゃないか。親しくなれば、初めのように和やかに話せるはずだ。
「カザマの日記が好きなんです」
「あ、日記を書いているのですか?」
「はい」
「それは嬉しいです。やはりブログなどがありますから、なかなか売り上げが伸びないですが、愛用してくださる方もいるのです」
「そうですね」
愛用者のためにも、日記もバリエーションを増やすなどの努力をしている。
何故だろう。使っていると知り、今までで一番嬉しさを感じた。恋のせいか。
「どんなことを書いているのですか?」
「書き留めたいことだけです。その日、嬉しかったことや楽しかったこと。覚えておきたいことをなるべく」
蓮野さんが笑顔だからだろうか。
つられて、笑みになってしまう。
「あなたのことは書きません!」
……ん?
俺は笑みを作ったまま、固まった。蓮野さんがにこにこしたまま言い放った言葉の意味を、理解するのに時間がかかってしまう。
つまり俺のことは忘れ去ると!?
天国から地獄に落とされた!? 天使の罠か!? 上げて落とされた!
「これにします」
絶句している間に、ついに蓮野さんが選び終えた。
一連ブレスレットは、やはりラピスラズリー。前よりも大きめのラピスラズリーの石が並び、翼のチャームもついている。彼女のイメージにぴったりなものだ。
値段は五千円もいかない。もっと高価なものを贈りたいところだが、彼女が選んだのなら、余計なことは言わない。
プレゼントとして包んでもらおうとしたが、蓮野さんが断ってしまう。
すぐにつけたいのだろう、と気付く。
普段つけていたものをなくしてしまう不安は、俺にもわかる。お気に入りを壊されてしまい、余計機嫌が悪かったんだ。
値札はとってもらったあと、その場で彼女の左手首につけさせてもらう。
蓮野さんは落ち着きなさそうに、くるくる回したあと、肩を竦めた。愛用のようにはしっくりこないのは仕方ないので、苦笑を溢すしかない。
ペコリ、と頭を下げたかと思えば「じゃあ」と背を向けた。
俺はポカンと立ち尽くしてしまう。え、これで終わりか?
我に返り、彼女を追いかけた。
「あのっ」
「まだなにか用ですか?」
エスカレーターで追い付くと、冷たい反応。俺を見上げる蓮野さんに、笑みはもうない。
「お礼ですか? あなたが壊したので、礼を言うべきかどうか……」
「はい。お礼ではなくて、ですね」
お礼が聞きたいわけではないのだ。弁償にお礼は不要。そんなことではなく。
「これで……終わりなのですか?」
「はい」
蓮野さんの返答は、躊躇なかった。
なんとか笑みを作ったが、引きつってしまう。
「……俺に……私に、これっぽっちも魅力を感じないのですか?」
なにがいけないのか、理解が出来ない。今まで拒絶されたことなかった。しかも、こっぴどく。
愛想よく接し、笑い合えたにも関わらず、何故ここまで拒まれるのか。
彼女にとって、微塵も魅力を感じない男なのだろうか。
「いいえ?」
返ってきたのは、否定。
「素敵な男の人だと思います」
眼鏡の隙間から、真っ直ぐに俺を見上げた蓮野さんの瞳に囚われた。
ドクン、と胸が高鳴り熱くなる。
「……かざま……さん、でしたっけ」
「……風間恭弥です」
瞬時に熱が冷める。初めて呼ばれたが、自信なさげだった。名前すら覚えてもらえてなかった。
またもや、上げて落とされた。
「風間さんは、社長の息子さんってことですよね?」
「そ、そうだが?」
身構える。もしかしたら「あなたの価値は、財力だけです」とか言うんじゃないだろうか。
これ以上突き落とされたら、涙が出るかもしれない。
「いわゆる御曹司。大卒で、顔もよく、ルックスもいい」
蓮野さんは、俺の顔から足元まで見てきた。褒められて嬉しいが、続きがあるとわかっている。
「だからこそ、お断りなんです」
褒められて、フラれた。
「私は高卒ですし、病んでますし、コミュ症ですし、あなたに釣り合いません。こんな複雑な女を相手するなんて、時間の無駄です。手を煩わせない美人で教養のある人を交際相手に選んでください」
なにも言えなくなる。返す言葉が、すぐに出てこなかった。
蓮野さんは、スタスタと先にデパートをあとにする。俺もあとに続き、ペデストリアンデッキに出る。
賑やかな明かりで眩んでいるせいで、空に星は見えず真っ暗だ。気温が更に下がって、息を吐くと白い。寒いと思いながら、蓮野さんを引き留める言葉を探した。
「……時間の無駄だなんて、自分を過小評価をしていますね」
「病んでますから」
眼鏡が曇ってしまったらしく、外した彼女は素っ気なく言う。
「……俺は惹かれてます、蓮野さん。釣り合うかどうかを考えるのでなく、先ずは親しくなりませんか?」
またみっともなく、俺は食い下がってしまった。
こんなにも拒まれているのに、何故俺は彼女から離れないのだろうか。
彼女の言う通り、複雑で面倒そうだとはなんとなく予想がつく。でも名残惜しくて、離れられなかった。
蓮野さんは、デパートの明かりが届かない隅で足を止めて振り返る。
「落ちない人を躍起になって落としたがるのは、ゲームをクリアしたい欲求と同じです。もしも私があなたに落ちたとしても、あなたは途端に冷めるでしょう」
ぶわっ、と強めの冷たい風が吹いた。蓮野さんの白いマフラーは、背中の方ではためく。ちょうど、小さな白い翼に見えた。
けれども、蓮野さんが影に立っているせいで、堕ちてしまった天使に思えてしまう。
「そうなると予想がつくのに、あなたに落ちるわけないでしょう?」
その気は更々ないのだと告げる天使は、病んでしまっている。
何故、彼女がそんな考えを持ってしまったのか。知りたい気持ちが湧いてしまうのは、どうしてだろう。
恐らく、俺は。
「それでも……俺は、君に恋をしている」
落ちてしまっている天使だと知っても、まだ俺は惹かれているのだから。
「冷めたりしない。だから、俺にチャンスをくれ」
互いを知り合うチャンスを、好きになってもらうチャンスを。
熱を胸の奥で感じながらも、俺は蓮野さんを見つめた。
「頭を冷やすチャンスをあげます」
返ってきたのは、またもや冷たい言葉だった。
「もっと冷静に考えて、冷やしてください。さようなら」
冷え冷えした蓮野さんは、脇にあった階段を下りて行ってしまう。
年下に冷静に考え直せと言われて、またフラれた。
三月の寒空の下で、俺はただ引きつりつつ立ち尽くしてしまう。
俺の元には落ちそうにもない天使に、恋をしてしまった。
これは、冷めるのか?
20160201