表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

02 上げて落とされる。



 俺が恋したのは、自称病んでいるコミュ症の女性。

 初めて会った時とは大違いで、笑顔さえ見せない。

 俺のことを覚えていないせいで、怪しい人として警戒してしまっている。

 もう少し警戒を緩んでもらって、親しくなれば、恋をした瞬間のように笑い合えるはずだ。


「私はもっと蓮野さんとお話したいのですが……どうしても」

「嫌ですね」


 またもや、一蹴。

 物凄く面倒そうに眉間にシワを寄せて、携帯電話で時間を確認した。

「遅刻しそうなので」と俺に背を向ける。焦って蓮野さんの手を掴むと。

 パラパラッと、なにかが落ちた。

 弾んで転がるのは、ラピスラズリーの石。彼女の大切なブレスレットが壊れてしまったのだ。そう気付いた瞬間、青ざめてしまった。

 天使だと思っていた彼女が、俺をギロリと睨み上げる。


「す、すみませんっ」

「……チッ」


 声を上げることはせず、蓮野さんは舌打ちをした。全然天使じゃない。天使って顔じゃない。

 彼女はしゃがむと、ブレスレットの残骸を拾い始めた。俺も慌てて拾い集める。


「もういいです。消えてください」


 冷えきった声を投げられた。頭が上げられない。本当に申し訳なく思っている。


「本当にすみません。大切にしているブレスレットを……あ、あの、新しいものを買います。つけていないと、不安になってしまうと言っていましたよね」


 なくして取り乱していた蓮野さんは、見付かった時にコロッと笑顔になった。綻んだ笑みに、恋をしたというのに。

 なんとか償いたいが、怒らせてしまったなら、これさえも断られてしまうかもしれない。

 恐る恐る蓮野さんの顔を見てみれば、きょとんとしていた。


「……仕事終わりにでも、どうですか?」

「……」


 難しそうに顔をしかめて、手の中のブレスレットの残骸を見つめる。


「……六時に、仕事が終わります」


 ポツリ、と許可が出た。


「六時ですか。では余裕を持って、六時半であのデパートの前で待ち合わせでいいですか?」


 舞い上がる気持ちをグッと抑えて、約束をしっかり整える。

 コクン、と彼女は頷いた。拾い終わったブレスレットをポケットにしまうと、スタスタと行ってしまう。

 俺は心の中でガッツポーズをした。ブレスレットを壊してしまったのは、申し訳なく思うが、会う約束が出来たのは不幸中の幸いだ。

 俺への好感度は最悪まで落ちただろう。それをなんとか挽回しなくては。

 いつものように出社。いつものように挨拶を交わし、いつものように仕事を始めた。

 ずっと夜を気にしてしまい、集中力が欠いてしまったが、俺の定時は八時。六時に退社できるように、必要な仕事を片付けようと急いだ。

「今日はもう上がります」と丁寧に挨拶をしてから、エレベーターに乗り込む。

 鏡を見ながら髪を手で整えた。少しボリュームある黒く短い髪。アーモンド型の黒い瞳。睫毛が長いとよく過去の恋人に触られたが、あまり好きじゃない。

 襟とネクタイを整えてたから、黒と灰色のストライプ柄のマフラーを巻く。

 余裕を持って、六時二十五分には着くだろう。

 駅のデパートを回っていけば、彼女が気に入るブレスレットを見つかればいいが。見つからなければ車を出して、探しに行こう。

 約束したデパートの入り口に、蓮野さんはもういた。

 眼鏡をかけて、携帯電話をいじっている。ゲームでもしているのか。

 少々、ドキドキしてしまった。白いマフラーと瑠璃色のトレンチコート。コートは短めで、エレガントなAラインだ。黒のスキニーとブーティ。

 眼鏡さえ外していれば、きっとナンパされているところだろう。あの眼鏡だと、話しかけづらい雰囲気を感じてしまう。

 俺は約束の相手だから、話しかけられる。


「蓮野さん。待たせてしまいましたか?」

「……」


 にこっと笑いかけると、チラリと目を向けるだけですぐに返事をもらえなかった。

 ゲーム中らしい。嫌なドキドキを感じつつ、数秒ほど立って待てば、携帯電話はしまわれた。


「早く済ませましょう」


 素っ気なく告げると、蓮野さんは先に中に入っていく。

 まだ怒っている……当然か。

 若者向けのデパートだから、学校帰りの学生が目立つ。それを横切り、蓮野さんは先にエスカレーターに乗る。俺も続いた。


「……普段から、眼鏡をかけているのですか?」


 彼女の警戒をとくきっかけを見付けようと、会話をしてみる。


「……はい」


 物凄く不機嫌な声で、返事された。

 自分でコミュ症だと言っていたし、会話が苦手なのかもしれない。なら、俺のことから知ってもらおう。


「俺は父も祖父も目が悪くなってしまったので、気を付けろと言われて育ちました」

「……」

「……目、いいんですよ」


 微かに「へー」という相槌をされたが、それだけだ。

 彼女は迷わずアクセサリーが、売っている店に入った。買う店は決めていたみたいだ。


「あのブレスレットは、ここで買ったのですか?」

「いいえ」

「……。値段は気にせず、好きなものを選んでください」

「はい」


 速攻で終わらせたいらしい。まずい、挽回するチャンスが奪われる。

 なんとか、なんとか、せねば。

 遅れて気付いたが、パワーストーンの店だ。どうやら、ラピスラズリーがいいらしい。


「パワーストーンがお好きなんですか?」

「……はい」


 会話を続けるつもりはないらしく、一言で終わらされた。


「……ラピスラズリーは、綺麗ですよね」

「……ですね」

「……」


 なにか。なにか続く会話はないのか。

 汗がダラダラと落ちそうな中、必死に考えた。


「やっぱり、風間さんだ!」


 思考が遮られたかと思えば、このデパートの代表だ。

 茶色のチェックという派手なネクタイをつけた彼とは、風間ブランドの文具の仕事で何度も会っている。おっとりした印象を抱く歳上だ。


「今日はどうしたのですか?」

「ご無沙汰しています。今日はプライベートで利用させていただいています。お気になさらず」


 握手をして、接待は無用だと柔らかく伝えておく。そばにいる蓮野さんに視線を向けて、察してくれたらしい。頭を深々と下げて、離れてくれた。


「……デパート関連のお仕事ですか?」

「いえ。文具ブランドの会社です。ほら、風車マークのついた文具を使ったことありませんか?」


 蓮野さんから訊ねてくれて、安心する。仕事に関して話すタイミングを、探していたところだった。

 御曹司と明かすのは吉と出るか、凶と出るか、わからなかったからだ。


「ああ! あの文具ですか!」

「!」


 目を見開いて、蓮野さんは食い付いた。俺まで驚いてしまうが、これで好感度が上がったのかと喜んだ。


「お好きですか?」

「はい。ペンも色鉛筆も持ってますよ」

「そ、そうなんですか?」


 蓮野さんがやっと笑顔になる。グッ、と胸が締め付けられた。

 天使のように優しげで愛らしい笑み。

 なんだ。素面でも笑えるじゃないか。親しくなれば、初めのように和やかに話せるはずだ。


「カザマの日記が好きなんです」

「あ、日記を書いているのですか?」

「はい」

「それは嬉しいです。やはりブログなどがありますから、なかなか売り上げが伸びないですが、愛用してくださる方もいるのです」

「そうですね」


 愛用者のためにも、日記もバリエーションを増やすなどの努力をしている。

 何故だろう。使っていると知り、今までで一番嬉しさを感じた。恋のせいか。


「どんなことを書いているのですか?」

「書き留めたいことだけです。その日、嬉しかったことや楽しかったこと。覚えておきたいことをなるべく」


 蓮野さんが笑顔だからだろうか。

 つられて、笑みになってしまう。


「あなたのことは書きません!」


 ……ん?

 俺は笑みを作ったまま、固まった。蓮野さんがにこにこしたまま言い放った言葉の意味を、理解するのに時間がかかってしまう。

 つまり俺のことは忘れ去ると!?

 天国から地獄に落とされた!? 天使の罠か!? 上げて落とされた!


「これにします」


 絶句している間に、ついに蓮野さんが選び終えた。

 一連ブレスレットは、やはりラピスラズリー。前よりも大きめのラピスラズリーの石が並び、翼のチャームもついている。彼女のイメージにぴったりなものだ。

 値段は五千円もいかない。もっと高価なものを贈りたいところだが、彼女が選んだのなら、余計なことは言わない。

 プレゼントとして包んでもらおうとしたが、蓮野さんが断ってしまう。

 すぐにつけたいのだろう、と気付く。

 普段つけていたものをなくしてしまう不安は、俺にもわかる。お気に入りを壊されてしまい、余計機嫌が悪かったんだ。

 値札はとってもらったあと、その場で彼女の左手首につけさせてもらう。

 蓮野さんは落ち着きなさそうに、くるくる回したあと、肩を竦めた。愛用のようにはしっくりこないのは仕方ないので、苦笑を溢すしかない。

 ペコリ、と頭を下げたかと思えば「じゃあ」と背を向けた。

 俺はポカンと立ち尽くしてしまう。え、これで終わりか?

 我に返り、彼女を追いかけた。


「あのっ」

「まだなにか用ですか?」


 エスカレーターで追い付くと、冷たい反応。俺を見上げる蓮野さんに、笑みはもうない。


「お礼ですか? あなたが壊したので、礼を言うべきかどうか……」

「はい。お礼ではなくて、ですね」


 お礼が聞きたいわけではないのだ。弁償にお礼は不要。そんなことではなく。


「これで……終わりなのですか?」

「はい」


 蓮野さんの返答は、躊躇なかった。

 なんとか笑みを作ったが、引きつってしまう。


「……俺に……私に、これっぽっちも魅力を感じないのですか?」


 なにがいけないのか、理解が出来ない。今まで拒絶されたことなかった。しかも、こっぴどく。

 愛想よく接し、笑い合えたにも関わらず、何故ここまで拒まれるのか。

 彼女にとって、微塵も魅力を感じない男なのだろうか。


「いいえ?」


 返ってきたのは、否定。


「素敵な男の人だと思います」


 眼鏡の隙間から、真っ直ぐに俺を見上げた蓮野さんの瞳に囚われた。

 ドクン、と胸が高鳴り熱くなる。


「……かざま……さん、でしたっけ」

「……風間恭弥です」


 瞬時に熱が冷める。初めて呼ばれたが、自信なさげだった。名前すら覚えてもらえてなかった。

 またもや、上げて落とされた。


「風間さんは、社長の息子さんってことですよね?」

「そ、そうだが?」


 身構える。もしかしたら「あなたの価値は、財力だけです」とか言うんじゃないだろうか。

 これ以上突き落とされたら、涙が出るかもしれない。


「いわゆる御曹司。大卒で、顔もよく、ルックスもいい」


 蓮野さんは、俺の顔から足元まで見てきた。褒められて嬉しいが、続きがあるとわかっている。


「だからこそ、お断りなんです」


 褒められて、フラれた。


「私は高卒ですし、病んでますし、コミュ症ですし、あなたに釣り合いません。こんな複雑な女を相手するなんて、時間の無駄です。手を煩わせない美人で教養のある人を交際相手に選んでください」


 なにも言えなくなる。返す言葉が、すぐに出てこなかった。

 蓮野さんは、スタスタと先にデパートをあとにする。俺もあとに続き、ペデストリアンデッキに出る。

 賑やかな明かりで眩んでいるせいで、空に星は見えず真っ暗だ。気温が更に下がって、息を吐くと白い。寒いと思いながら、蓮野さんを引き留める言葉を探した。


「……時間の無駄だなんて、自分を過小評価をしていますね」

「病んでますから」


 眼鏡が曇ってしまったらしく、外した彼女は素っ気なく言う。


「……俺は惹かれてます、蓮野さん。釣り合うかどうかを考えるのでなく、先ずは親しくなりませんか?」


 またみっともなく、俺は食い下がってしまった。

 こんなにも拒まれているのに、何故俺は彼女から離れないのだろうか。

 彼女の言う通り、複雑で面倒そうだとはなんとなく予想がつく。でも名残惜しくて、離れられなかった。

 蓮野さんは、デパートの明かりが届かない隅で足を止めて振り返る。


「落ちない人を躍起になって落としたがるのは、ゲームをクリアしたい欲求と同じです。もしも私があなたに落ちたとしても、あなたは途端に冷めるでしょう」


 ぶわっ、と強めの冷たい風が吹いた。蓮野さんの白いマフラーは、背中の方ではためく。ちょうど、小さな白い翼に見えた。

 けれども、蓮野さんが影に立っているせいで、堕ちてしまった天使に思えてしまう。


「そうなると予想がつくのに、あなたに落ちるわけないでしょう?」


 その気は更々ないのだと告げる天使は、病んでしまっている。

 何故、彼女がそんな考えを持ってしまったのか。知りたい気持ちが湧いてしまうのは、どうしてだろう。

 恐らく、俺は。


「それでも……俺は、君に恋をしている」


 落ちてしまっている天使だと知っても、まだ俺は惹かれているのだから。


「冷めたりしない。だから、俺にチャンスをくれ」


 互いを知り合うチャンスを、好きになってもらうチャンスを。

 熱を胸の奥で感じながらも、俺は蓮野さんを見つめた。


「頭を冷やすチャンスをあげます」


 返ってきたのは、またもや冷たい言葉だった。


「もっと冷静に考えて、冷やしてください。さようなら」


 冷え冷えした蓮野さんは、脇にあった階段を下りて行ってしまう。

 年下に冷静に考え直せと言われて、またフラれた。

 三月の寒空の下で、俺はただ引きつりつつ立ち尽くしてしまう。

 俺の元には落ちそうにもない天使に、恋をしてしまった。

 これは、冷めるのか?




20160201

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ