5 短時間で高収入
その後、さくらは料理を思う存分堪能出来た。なぜかというと目の前に座っている島田がよく席を外したのだ。十五分に一回くらいの頻度だが、電話がかかって来ていた。どうやら仕事のようだった。トイレに立った時に、傍にあったソファで島田が何か熱心に話し込んでいるのを耳にしたのだ。
『――それと霞ビルの契約どうなってる? まだ連絡ない? あ、そう。じゃあ、原稿手配しておいて。え? 無理? 気張れよ、残業代付けておくから』
その後何か説得している気配がある。あまり聞き耳を立てるのも悪くて、さくらは足早に前を通り過ぎた。
(随分忙しい会社なんだな――)
そんなことを考えながらトイレから出たところで、島田と鉢合わせる。彼はソファで携帯を弄っている。今度はメールだろうか。
場所が場所だけになんだか気まずくて「戻らないんですか?」と苦笑いをすると、島田はため息をつく。
「ミサちゃんに絡まれてさ、逃げ出して来た」
「え?」
島田が言うには、席を外しているうちに地味に席移動が行われていて、いつの間にかミサちゃんが前に居たらしい。
目の前の料理にばかり気を取られてあまり気にしていなかったが、ミサちゃんは水野だけでは飽き足らず、島田にも、恐るべきことに田中にも食指を伸ばしていたそうだ。
「俺、ああいう子苦手で」
「そうなんですか? あの子、かなり可愛いのに」
男は皆、ああいうタイプが大好きだと思っていたさくらは驚いた。
「まあね、確かに可愛いけど……まず嘘は駄目だよな」
ああ、とさくらは合点する。
「さっきの光合成のことですか」
「それもある」
意味ありげにそう言いながら島田が手に持った携帯に目を落とす。とたん顔がすっと真面目になる。どうやらメールの着信だ。店に入った時からずっと携帯を握っている気がして、思わず尋ねた。
「お仕事忙しいんですか?」
「うん。今さっきやっと大きな契約がとれたところ。これから忙しくなるかな」
「大きな契約って――若いのにすごいんですね」
「ま、君よりは老けてるけどね」
にっと笑う彼の笑顔はさっきより少し翳っている。それを見て、さくらは確信する。島田は今日、ここに来たくて来たわけではないと。この人は女の子より仕事が好きなのだ。さくらが男よりも研究が好きなように。
「こんなところ、来てていいんですか?」
一瞬目を見開いた島田は、周りを確認したあと小さな声で言った。
「あー、実はちょっと断りきれなくって。田中には世話になってるし。あと、あいつの会社も得意先だから接待のつもり」
「接待……ってなんだかお偉いさんみたいですね」
くすりと笑うと、島田も「そうだな」と笑った。
「じゃあ、俺からも質問していい? さくらちゃんはなんでここに来たの? 俺とおなじく興味なさそうにしてるのに」
気安い呼び方にドキリとし、鋭い質問にぎくりとした。
「えーと……私、昨日無職になっちゃって、今日はお腹いっぱい食べて帰るつもりでして……スミマセン、おごってもらえるって聞いちゃって」
正直に打ち明けると、島田はぷっと吹き出した。
「いや、それはいいんだけどさ。……ああ、なるほどね、それで食べてばっかり……」
「……分かりました?」
気を付けてたつもりなのに――とさくらはぎょっとする。
「目の前だからね。――それより、無職って?」
「バイトです。昨日でクビになっちゃったんです。卒業まで半年だし、短時間で高収入のところってそんなにないから」
「短時間で高収入って、なんかいかがわしいよね」
確かにそうだと、さくらは少々焦って否定する。
「あぁ、えっと、違うんです。高収入って言っても、時給九百円なんですけど。……新しく探しても七百円くらいが多くて。一日三時間働くとして六百円の差は大きいです。学食だと二食分だし、自炊だったら下手したら二日くらい食べられるかも」
焦ってつい要らないことまで言ってしまった。
(今の……初対面の人にする話ではなかった気が……)
そう思ったけれどもう遅い。島田は再び吹き出していた。
「キミ、さっきから思ってたけど、かなり面白い子だよね。合コンで葉緑体について熱弁する女の子とかはじめて見たし、一食いくらとかもはじめて聞いた」
どうやら、あまりの話しやすさ――というより質問の巧みさに口のチャックが壊れている。島田はツボに入ったのかケラケラと笑っている。
「仕送りとかないの?」
島田は笑いながら尋ね、さくらは羞恥に頬を染めながら首を振った。ここまで話したら隠すことは何も無い。
「私、奨学金とバイト代で生活してるんです」
「苦学生なんだ。そりゃ大変だ。――でも九百円って相場よりちょっと高いよね。何の仕事してたの」
「えーと……」
さくらはふと壁を見て、そこにあったマークを指差す。まさかこれを話題にしようとは。
「こういうの、デザインしてました。一応技術職だから給料高かったんだと思います」
「…………へぇ」
女性の横顔をモチーフにしたサインだった。JIS規格の良く見る『スカートを履いた女の子』を象ったサインとは違う、店の雰囲気にマッチしたお洒落なデザインだ。さくらが株式会社山田で作りたかったのはこういうものだった。
昨日の事を思い出しかけて、胸がぎゅっと痛くなる。
と、そのとき、
「さくら何してるの? 戻って来ないから迎えに来たよ」
藤沢が田中を引きつれてこちらに向かって来ていた。可哀相な田中は耳を引っ張られている。何があったかは先ほどの島田の話から容易に想像できた。
「え、ああ、ちょっと」
「おじゃまだったー?」
ニヤニヤとした藤沢の言葉に飛び跳ねそうになる。思わず島田をちらりと見るが、彼は先ほどのサインをじっと見つめたままだ。
「んなことないよ。あ、料理まだ残ってる?」
ほっとしつつすぐに話題をそらすと、藤沢はあっさり乗った。
「まだたくさんあるよー。さっきカルボナーラが届いてた。ホカホカだよ。ミサちゃんは水野サンに絞って頑張ってるみたいだから今のうちかも」
「わかった。すぐに戻る。藤沢は?」
「ちょっと絞った後に戻るから、気にしないで」
田中が助けを求める目でこちらを見るが、ミサちゃんにデレデレした彼が悪い。見ないふりをしてさくらは身を翻した。