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リケジョの取扱説明書  作者: 碧檎
三.清明のころ
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46 今週最初の笑顔

 差し出された角形2号の封筒の下部には『島田美装』と書かれている。握りつぶしたい気分で島田は応接スペースのソファで寛ぐ客――相沢恵美を睨んだ。

「これ急ぎでもないし、郵送で構わないだろ。いつもそうしているはずなのにどうなってる?」

「近くまで来ましたので、ついでです。郵送代が浮くでしょう?」

「……人件費を無駄にするなと上司に言っておいてくれ」

 前回の合同説明会の後に調べてみたが、相沢の上司は叔母だった。

 いつの間にやら配属が変わっていたらしい。一度だけでなく二度までも送り込むとは。叔母の本気を感じ取って島田はげんなりしつつ立ち上がる。

 だが相沢はぐずぐずとソファに留まっている。

 パーティションで囲まれたスペースから出ながら、帰らないのか? 目で問うと、相沢はちらりと時計を見た後、上目遣いで見上げてきた。

「今って、ちょうどお昼休みですよね? せっかくですし、ランチでもどうです?」

 島田は舌打ちしたいのを必死で堪えて言う。

「あいにく先約があるから」

 今日はさくらが弁当を持って来ていない。

 この業界では、新年度に向けての注文が殺到するため、一月から三月が一番忙しい。比較的暇な今は、経費削減のため新人さくらにはなるべく残業をさせない事にしている。そのため帰りが別々で平日デートもできない。夕食を二時間も三時間も待たせるのが悪いからだ。

 それに相変わらず財布の紐が固いさくらが、毎日外食は無駄遣いですと言い張るので、流れでデートは週末だけになっている。それならば手料理を食べさせて欲しい――と心の中では願うものの、どう言っても下心が透けて見えそうで、未だ切り出せないでいる。

 だがゴールデンウィークに引っ越してから数日、さくらの元気がない。電話で尋ねてもなんでもないと打ち明けてくれそうにない。気になった島田は週末まで待てず、久々に外でランチをしないかと昨日電話で誘ったばかりだった。

 デスクで待っているさくらがこちらを気にしているのが分かった。相沢は彼女の目にどう見えているだろうと思うと胃がしくりと痛んだ。

 と、上原が玄関先で「島田さんー。先にメシ行きますよー?」と例のごとく空気を読まずに声をあげる。普段は彼と昼食を食べているが、今日は適当に撒こうと思っていた。突然の来客に手間取っていたから忘れていたのだ。

(あ、馬鹿ウエハラ! 特に予定がない事がばれるだろーが!)

 島田が焦るとすかさず相沢は顔を輝かせる。

「もしかして、先約ってそれですか? じゃあ、私もご一緒してもいいですか?」

 と相沢が提案するが、冗談じゃない。

 うんざりする島田の後ろで、上原がさらにとんでもない提案をさくらに持ちかけた。

「あれ? 片桐、お前、今日弁当じゃねえんだ? じゃあ、メシ一緒に行くか?」

(――おい!)

 思わず目を剥いて振り返ると、さくらが困惑顔で島田に視線を向ける。どうしようかと悩む島田の隣で、相沢がふうん、と何か勘づいたかのような声をあげた。嫌な予感がして見下ろすと、彼女はもの言いたげに島田を見つめ返す。

「もしかして、彼女がそうですか?」

 にこやかに小声で囁かれ、島田は背が泡立った。笑顔の奥で、腹に何か溜めている。姉が二人もいる島田には分かる。女がこういう顔をする時は碌な事が無いのだ。

 この相沢とさくらと上原と自分。四人で食事をしている図を思い浮かべて、

(……だめだ)

 島田はあっさり心が折れそうになり、白旗を揚げた。

 ひとまず島田美装の上司の顔でさっさと相沢を追い出そう。そして今日は仕事を早く終わらせて、さくらを夕食に誘おうと決心しながら。

「ちょっとまだ打ち合わせが終わってないから、後で行く。二人で食事行って来て」

 ごめん、と目で訴えると、さくらは「分かりました」と素直に、しかし寂しげに頷いた。



「けいちゃん、バッカねぇ」

 相沢をなんとか追い出した後、奥の席で黙って弁当を食べていた姉がぽつりと呟いた。

「顔に出すぎるのよ。彼女、絶対さくらちゃんに目を付けたわよぉ。恋敵ライバルとしてかどうかは知らないけどー」

「分かってんなら援護しろよ。悪趣味だな」

 文句を言うと、姉はやれやれとため息をつく。

「援護も何も、ねぇ。さっさと父さんと母さんに紹介してしまえばいいだけじゃない。そうすれば周りも静かになる。彼女もう大学卒業したんだし、何も問題ないでしょ。時間もないのに、なんでもたもたしてるわけ?」

「……俺には俺の考えがある」

 それに、問題はある。と島田は心の中で呟く。何もかもまだ早い。準備が整っていないのだ。

「それにねぇ、さくらちゃんの方だって、ああいうの見せられれば不安になるっていうか――」

 しばらく続きそうな姉の説教に辟易すると、島田は「メシ食って来るから」と言い捨てて玄関に向かう。

 時計を見るとすでに十二時四十五分。追いつくのは無理かもしれないけれど、食後に少し話を聞くくらいなら出来るかもしれない。

 だが、オフィスを出てすぐにそのささやかな望みは打ち砕かれる。

 さくらと上原が並んで戻ってきていたのだ。

「おかえり」

 落胆を隠してそう言うと上原が満足そうに腹を撫でる。

「いい機会なんで、寿司食ってきましたー。去年から延ばし延ばしになってた礼、したかったんで」

「せっかくなので、ごちそうになりました」

「細いくせにめちゃくちゃ食うんですよ、こいつ。食後にソフトクリームまで食べやがった。回る寿司にして良かった」

「だって、上原さんがたらふく食えって言うからじゃないですか! もう夜ご飯も入らないですよ」

 さくらも満足そうに笑う。それが今週に入って初めて見る無理のない笑顔だと気が付くと、腹の底からわけの分からない怒りが沸き上がる。

「……そうか、よかったな」

 思わず硬い声が出ると、さくらの顔から笑みが消える。怯えたような顔に慌てて笑顔を取り繕ったが、その後彼女の表情はずっと曇ったままだった。

 

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