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リケジョの取扱説明書  作者: 碧檎
三.清明のころ
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42 合同就職説明会

 合同説明会も春になると雰囲気が変わる。ふわふわしていた学生も本腰を入れて職を探し始めるのだ。中には可哀相なくらいに張りつめた様子の学生もいて、見る度に島田は去年のさくらを思い出した。

 笑顔がどんどん消えていくのだ。秋には少し痩せた。冬になる頃には見ていられないほど表情が曇っていた。必死になればなるほど空回りしていくのが分かって、こちらまで気分が晴れなかった。助けてやりたかった。前みたいに笑えるように。

 出会ってからの事を色々思い出しながらブースに向かうと、

「あー、島田さん、お久しぶりですー! 相沢あいざわ恵美えみです。覚えていらっしゃいます? 今日はよろしくお願いします!」

 と、島田美装の女子社員が声をかけて来た。派手な顔立ちに、見たことがあると記憶を探る。島田と同期入社した女だ。短大卒の一般職で、島田より二つ年下だったはず。

 ダークスーツを着た人事部の中年社員の中で、一人だけ薄い桃色のスーツを着て、派手な化粧をしている。髪まで巻いていて、この堅苦しい場にそぐわない。

 思わず顔をしかめる。そして親戚のある種の企みを即座に嗅ぎ取って回れ右をしたくなった。

(そう来たか)

 年末の突然の父の入院・・以来、家族、親戚の意識ががらりと変わった。それまでは島田の事はのんびり育てていく方針だったのだろうが、そうも言っていられなくなった。

 会長であり、未だ現役の祖父は八十と歳だが、父がいるから皆まだ余裕を感じていた。しかし彼が病床に倒れ、空いた穴を埋めるべく三代目への期待が一気に膨らんだのだ。

 従業員三百人。彼らの生活を背負うという重圧にただでさえ息が詰まるというのに、鬱陶しいおまけがついて来た。

(戻る準備の一環か?)

 見合いを断り続けたせいか、とうとう強硬手段に出られた。

 身近な女とさっさと身を固めろというのだろう。

 相沢は確か叔母のお気に入りの一人だった。叔母は社内から良さそうな女子を選んでは島田に押し付けるのが趣味なのだ。

(それにしてもこれはないだろ)

 相沢はファッション誌からそのまま抜け出して来たような、とても分かりやすい美人だ。島田がもし高校生くらいだったらのぼせ上がったと思う。こういう子を差し向けるという事は、彼を子供扱いをするのは姉だけではないようだった。

 ため息をつく島田に追い討ちをかけるように媚びた笑顔が向けられる。


 島田がSHIMADAに移る前にはこんな女が周囲に沢山居た。例の伴侶探しの噂がどこからか漏れていたため、独身の彼はターゲットになってしまったのだ。

 寄って来る女は大抵が島田ではなく、『島田美装の跡取り息子』に恋をしていた。付き合った女性が悉くそうだった。そして勝手に作り上げた理想像と彼自身との差異に幻滅して離れていった。

 デートに行っても、彼女たちは彼が好きな豚骨ラーメンもカツ丼も認めない。小型車もジーンズもスニーカーもどことなく気に入らない顔をしていた。

 ブランド物で固めた小綺麗な恰好をして、高級車に乗り、雑誌で紹介された洒落た店でフレンチやイタリアンを食べ、高級ホテルに泊まる。その後高い贈り物を当然のようにねだる――そんな理想のデートコースを作り上げた女たちは、島田が少しでも外すと勝手にがっかりする。

 そもそもいくら島田美装が儲かっていたとしても、会社の金は会社の金であって、島田の金ではない。一部の親族が羽振りがいいのは彼らが仕事で実績を上げているからだ。島田はまだ働きはじめたばかりの普通のサラリーマンで、給料は彼女たちとそう変わらないと言っても納得しない。愛情を疑ったあげく、終いには騙されたと被害者の顔をするのだ。

 島田はそんな女たちのせいで女性不信になりかけた。自分を見てくれない女たちに幻滅して、原因である肩書きさえ憎みそうになった。


 だから――島田がさくらに惹かれるのはある意味、必然だった。

 女性には疲れていたのに合コンに行ったのは、姉の「待ちの姿勢が駄目なのよ。会社にいないなら余所から連れて来たら?」という助言と、偶然重なった田中の熱心な誘いのためだ。自分に似ている子がいるという話に興味を持った。

 背伸びをしない子という第一印象だった。着飾れば美人ともて囃される素材を持ってるのに、学生という身の丈にあった地味な恰好をしていたからだ。島田が自分の給料で無理なく買えるスーツを着ているのとなんだか似ていた(そして服の選び方も似ていて笑った)。

 あ、この子気が合うかもと直感した。そして話してみると勘は外れていなかった。

 彼女は彼が副社長と知っても態度を変えなかったし、SHIMADA(会社)が小さくてもやはり変わらなかった。肩書きは肩書き、彼は彼と区別が出来る女性は島田の人生の中では珍しく、新鮮だった。彼が少し寂しく思うくらいに、どんな些細なことでも寄りかからず自分の足で立とうとした。

 彼女ならば、彼の境遇を知っても、金と同時に背負う重責を理解してくれるだろう。

 きっと流されず、浮き足立たず、自分らしさを失わないまま、彼の隣に立ってくれる。そうあって欲しいと島田は願っている。

(あーあ、早くSIMADAに戻りたい。さくらちゃんに会いたい。癒されたい)

 自分のこだわりを詰め込んだ小さなオフィスを島田は愛していた。もちろんそこにいる社員もだ。なんだかんだで面倒見のいい上司、仕事のよくできる部下。居心地の良さを思い出す度に、自分の居場所は島田美装ではないと強く感じる。

 ここにいると、島田美装の御曹司という着ぐるみを無理矢理着せられる。忘れかけていた苦々しい気持ちを味わうことになる。


「積もる話もありますし、今日、これ終わってからお茶しませんか?」

 島田の内心に気づく事も無く、相沢は上目遣いで島田を見上げて誘った。女がする表情で一番嫌いなものだ。吐き気を堪えて見ていると、瞬く間に真っ直ぐな視線が恋しくなる。何にも媚びない素朴な目が。

 マスカラのたっぷり塗られた睫毛と濃いアイラインに心底うんざりしながら、誘いを断る。昔ならば仕事に関われば多少付き合ったが、今はそんな気にならなかった。

「いや、忙しいから。終わったらすぐに社に戻る」

「じゃあ、お仕事終わった後にでも、打ち上げを兼ねて飲みにいきませんか? いいお店知ってますよ」

 不機嫌さは隠していないのに、相沢はまったく空気を読まない。何の打ち上げだと島田は鼻で笑いたかった。

「先約があるんで」

 投げやりに答えると、やっと彼女は疎まれていると気づいたらしい。

「もしかして、彼女ですか?」

「答える必要ないと思うけど」

 島田の答えを是ととったのか、相沢は不可解そうに首を傾げた。

「えー、でも……社員・・じゃないのにいいんですか?」

 思わずぎくりとして、反射的に答える。

「君には関係ない」

「…………」

 黙り込んだ相沢を見て島田は声が尖り過ぎた事に気が付く。人事部の人間も島田をちらちらと気にしている。気まずい沈黙が流れかけたとき、ちょうど学生が数名ブースを覗き込む。時計を見ると十四時――説明会の開始時間を過ぎていて、皆、一斉に背筋を伸ばす。ようやく今日の仕事を思い出したのだった。

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