4 光合成と葉緑体
さくらが口を噤んだため、とりあえず名前の由来についてはそこで話が終わった。隣で藤沢が意味ありげにニヤニヤしているが後で釘を刺しておこうと思う。
飲み物が届いたところで、一通り皆で簡単な自己紹介をする。
まずミサちゃんのフルネームは青山美砂というらしい。さすが女子大一の就職率の英文学科だけあって、損保会社の総合職に就職が決まったということ。あとは卒論を残すのみで、卒論のテーマは不思議の国のアリスだそうだ。キラキラとした別世界に純粋に感動しながらさくらは黙って紹介を聞いた。
ミサちゃんの目の前の男は水野拓巳といって、輸入品を扱う総合商社に勤めているそう。金持ちそうだというさくらの予測はどうやら外れていなかった。
田中と藤沢の紹介は幹事ということで簡単に済まされ、さくらの番になるが、生物化学科であることと、卒論のテーマをかいつまんで話しただけだ。というかミドリンの話になるとどうしても熱くなりかけて、途中で藤沢に止められたのだった。
最後になった島田は名前を名乗った後、「実家の仕事を継いでます」とだけ言った。
ミサちゃんが「お店か何かやってるんですかー?」と藤沢田中の壁越しに質問を投げるけれど、「そんな感じ」と頷くだけでそれ以上は話さなかった。
田中の音頭で乾杯をする。この場合何に乾杯なんだろうと疑問に思いながらも、さくらはビールを一口飲む。元々あまり好きではないのだが、夏に飲む最初の一杯だけは美味しいと思う。
「さっきの卒業研究の話だけど、ミドリムシで何を研究してるわけ?」
ふと島田が問い、興味を持たれたことに驚いて、さくらは目を見開いた。
「えーと、研究室全体で光合成の研究をしてるんです。で、私は、ミドリムシの中にある葉緑体を取り出すのをテーマにしてるんです」
「取り出す研究?」
さくらは頭をひねる。どう話せば分かりやすいかを組み立てて、ゆっくりと説明した。
「ええと、葉緑体の活性って季節ごとに変わるんです。でもそうなると実験結果に大きな誤差が生まれて困るんで、年中同じ環境で、しかもいつでも大量に栽培出来るミドリムシを使おうとしてるんですよ。その方法を確立するっていうのが狙いで――ね、藤沢?」
話を振ると彼女も仕方なさそうに頷く。
藤沢と広瀬はほうれん草を使った研究をしている。ほうれん草の活性が一番高いのは冬で、その時期のものがずっと手に入れば最高なのだが、冬まで待っていたら卒業研究など進まないのだ。
「すみません、島田サン。さくらって、研究のことになるとついつい熱が入っちゃって」
藤沢が密かにフォローを入れ、さくらはようやく熱心に語ってしまったことに気づいて後悔した。
(しまった、また引かれてしまう……)
これまでに何度もドン引きした友人を見て来た。今度もきっとそうだろう、そう思っていたが、
「いいや? 面白かったけど。つまり補助的な研究ってわけね?」
島田は不思議そうに首を傾げる。驚いてさくらは尋ねた。
「話、分かりました? ええと、経済学部って文系じゃなかったですか?」
「経済学部は理系に一番近いんだ。文系出のヤツも多いけど、理系も三割くらい居る。俺、高校の時は理系だったんだ」
島田はくすりと笑う。
「っていうか、活性がなんなのかはさすがによく分かんないけど、光合成、葉緑体くらい誰でも知ってるだろ?」
「えーあたし知らなーい」
奥の席でミサちゃんが頬を膨らませて不満そうに主張する。どうも話の中心にさくらが居るのが気に食わないといった様子だ。
(いやいや、光化学反応とかカルビン回路とかマニアックなこと言ってるわけじゃないんだから)
さくらの大学の英文学科は結構な難関だ。まずセンター試験の勉強をしていたら知らないはずは無い。それどころか光合成は中学校の理科で習うことだ。苦笑いしてぬるいビールを飲みほした。
「うそつけ」
どこからか声が聞こえた気がして、顔を上げるが、目の前には島田のニコニコとした笑顔があった。
空耳? そう思っているところに最初の料理がやって来て、さくらの意識は瞬く間に逸れた。
※一応実際にある研究内容です。マニアックですみません。