N.眠れる森の魔女
七人の仙女に幸福を約束された人間に一人の魔女は不吉な予言をする。
「あなたは冷めない眠りに落ちる」
しかし彼はそれを鼻で笑った。
「あなたは八谷に頼むのに何を差し出したんですか?」
ぼくは吉崎さんに尋ねた。ぼくと最上さんと三条さんの推測をぼくはもう話している。ただぼくの結論は彼らとほんの少しだけ違う。最上さんと三条さんは八谷さんが誰かの秘密と引き換えに飯島さんの秘密を使って転校させようとしたんだと思っていたけど、いじめられている吉崎さんに他人の秘密が用意できるとは思えなかった。
吉崎さんは「し、知らない……」と言うけど目が弱々しい。ぼくらの推測はだいたいあってるみたいだ。吉崎さんが差し出したものもぼくには察しがついていた。お金か、体だ。高校生の身分で充分なお金を用意するには親の財布から盗むことくらいしかできないだろう。気の弱そうな彼女にはきっとできない。彼女はきっと八谷と寝たのだ。
「ああ、それから飯島さんは自殺しようとしたそうですよ」
彼女の肩がビクンと大きく跳ねたがぼくはもう彼女に興味がなかった。飯島美月が吉崎叶に恨まれたのはほとんど自業自得だし、飯島美月が自殺しようとしたのは八谷竜平のせいだが彼女はそれでも責任を感じるかもしれない。それはそれでおもしろい。
うさぎ小屋から三年の教室を目指す。地理がまだいま一つ把握し切れていなかったし、彼女が何組かをぼくは知らないので校舎内をしらみ潰しに探した。三年の教室を三つほど覗いたところでぼくは宇喜田さんを見つけることができた。
「宇喜多さん。ちょっといいですか。生徒会の、急用なんですが」
嘘だ。けど授業をしている教師にはそんなことはわからない。ぼくが生徒会の人間ではないことにも気づかない。社会の機能なんていうのはその程度のものだ。宇喜多さんはぼくを見て、次に授業をしている教師を見て、立ち上がった。
「先生」
「いいよ、行ってきなさい」
物分りのいい人で助かる。校舎に誰もいない状況というのは授業中以外には少ないのでぼくはこの機会を逃したくない。教室を出てぼくよりも先を歩いていた宇喜田さんの背中に「屋上に行きましょう」と言う。
階段を登る。屋上の鍵が壊れていることは最上さんに聞いていた。軋む扉を開けると土埃で汚れた灰色のコンクリートが広がる。隅にコケが生えている。汚いなとぼくは思う。宇喜多さんは「ここでいい?」と言い、頷いた。
「それで、何?」
ぼくは言った。
「うさぎを殺したのはあなたですよね」
なんのこと? と彼女は肯定した。
ぼくは二つ目の疑問を口に出す。
「吉崎さんに自分が飼っているうさぎを殺すなんてことはできないでしょう。いや、殺すまではできても偽装工作を冷静にミスなくはできない。八谷竜平への吉崎さんの依頼は飯島美月を学校に来れないようにしてくれ。それ以外に彼女は何もしていない」
「根拠は?」
「確信ではありませんがね。クラスで話し相手のいない、毎朝六時半に学校にやってきてうさぎの世話をする彼女がうさぎを殺すとは思えないんですよ」
宇喜多さんは「そうかもしれないわね」肯定する。
「それから、オロチは本当に八谷なんですか?」
「そうじゃないの?」
「ぼくにはそうは思えないんです。彼のようなあきらかに自分と大きくことなる人間に大切な秘密を打ち明けるでしょうか? 八谷が本当に飯島の秘密を知っていたかもぼくは怪しいと思っている。ぼくの知っている彼はそこまで非道な人間じゃない」
「ふぅん。それで、あなたはそれを知ってどうするの?」
宇喜多さんはぼくがオロチを誰だと思っているのか訊かなかった。
「別に。どうもしません。ぼくには何もないんです。誰かを取り込んで生きている。いまぼくが取り込んでる人格が考察魔とか言われていた昔の友人のものなので、それに習ってみただけですよ」
「変わった生き方をしてるのね。あ、せっかくだしあたしを取り込んでみる?」
「流石に無理ですね。ぼくにはそんなに上手に嘘はつけませんから」
「そう。あたしはもう戻っていいの?」
「どうぞ、お手数かけさせました」
ぼくは頭を下げた。言い忘れていたことに気づいて背中に声を掛けた。
「ああ、一つ忘れていました。八谷の依頼を断ることもできたはずのあなたがうさぎを殺した理由ですが、八谷につけられたあだ名の『うさぎ』と同じものが学校の中にいることに耐えられなかったんですよね」
宇喜多さんは振り返らなかった。彼女の背中が見えなくなる。彼女の姿が消えてしばらくしてぼくは階段を下って一階に降りた。校舎の外れにあるガラスの割れた教室に入ろうとしたら最上さんがぼくを止めた。
「君を含めた私達はこの場に居なかった、いいかい?」
ぼくは頷いて中を覗いていいか尋ねた。最上さんは「いいよ」と言い、ぼくは割れたガラスの向こうを見る。飯島美月さんが八谷の首を絞めていてそれを三条智美が冷たい目で見下ろしていた。もうとっくに息は止まっているようだった。唇は紫に鬱血していて四肢はピクリとも動かない。目は大きく見開かれたままだった。田島灯哉が部屋の隅で膝を折っていた。その目はどこも見ていない。ぼくは視線を外して最上さんに会釈し、自分の教室に戻った。チャイムはまだ鳴っていなかった。教師から少しばかりの説教を食らう。席に着く。転校から五日目で早速サボり。教師の目はあきらかにぼくを敵視していた。ぼくは笑みを返すがそれが更に気に障ったらしかった。やはり宇喜多さんの真似はできそうにない。
最上さんと三条さん、それから飯島美月のことを誰かに言うつもりはなかった。もちろん宇喜多さんのこともだ。
飯島美月だけには八谷を殺すことはできない。八谷はスポーツの分野でも優秀だ。よほど不意をついたなら別だが飯島美月は正面から首を絞めている。多分三条智美か最上速人が手を貸したのだろう。
ぼくは彼らのやったことを正しいとは思わない。
だからぼくは一人称を「俺」に変えた。ちょっとした嫌がらせを思いついたのだ。彼の仕草や癖を思い出す。付き合いは短くない。取り込める量はそこそこあるはずだった。
しばらくして教師達が他の教師に呼ばれ、慌てて出て行った。数学の授業が自習になる。最上速人は自分達が居た証拠を完璧に隠蔽しているだろう。流石に飯島美月のことを隠蔽はできないと思うが時間さえあればやってしまう気がする。宇喜多さんが騙す天才、三条さんが作る天才、田島さんが関わらないことの天才で最上さんは隠す天才だ。八谷は彼自身が言うに凡人だった。出来ることを普通にできるだけの人間だと自分を自嘲し、五十音のメンバーを羨んでいたが俺はそれは違うと思う。八谷は見抜く天才だった。だから宇喜多の嘘が一人だけわかったのだ。自分自身がどうすればいいかも直ぐに見抜くことができたからあらゆることの上達がすさまじく早かった。ちなみに俺には宇喜多さんの嘘はわからない。ただこれは嘘だろうなと推測しているに過ぎない。ふと俺はなんなのだろうと思う。八谷が死んだいまでは確かめようがない。五十音、五重音。八谷が集めた五人はきっとなんらかのジャンルで名前を残す気がする。俺を除いて。
まともな事情説明もないままで俺以外のクラスメイト達は家に帰された。
「サボっていた時間はどこに居た?」
訊かれて俺は屋上に居たと答えた。鍵が壊れていることも話す。近いうちに新しい鍵がつくはずだ。飯島美月のことを先生は訊かなかった。生徒に余計なことは話すべきではないと思っているようだ。なので俺も三条智美と最上速人のことは余計なことと見做して話さないことにする。結局警察が来る前に俺は解放された。少し残っていると飯島美月が連れていかれるのが見えて彼女は俺に向けてきれいに笑いかけた。俺も笑みを返す。手を振ろうかと思ったが結局辞めた。そのとき丁度終業のチャイムが鳴った。だれもかれも騙したまま物語が終わる。
八谷竜平の死は何人かの生徒に悲しまれ、また一部の生徒に喜ばれたらしい。葬式の日に宇喜多佳代子が泣いていたが俺にはそれがなぜかそれだけは嘘だとわかった。「楽しいか?」俺が尋ねると彼女は「ええ、とっても」と小声で言い目頭をハンカチで拭いた。ハンカチで俺以外には見えないように隠された口元は笑っていた。やはり彼女の性格は取り込めそうにない。あれができれば何かと便利そうだなと思って何度か試したのだが。
それから一週間ほどしてもう一度集まった五人の五十音のメンバーの前で、俺は少し顔を歪めて言った。
「よ、早かったな」
驚いた目で最上さんと三条さんが俺を見る。
まっ、気にするなよ。ちょっとした罰ゲームさ。