Ⅰ.怠惰な王女
糸繰りの娘は確かに彼女を助けようとした。
現代国語の授業中にふと視界に入って俺は改めて思った。
飯島美月は吉崎叶が大嫌いだ。何があっても一人でウジウジしていてナメクジみたいで気持ち悪くて仕方がない。笑った顔なんて見ると吐き気がした。見た目は悪くないのに、なんていうか蛇みたいで嫌悪感が先立つのだ。イジメ、と俺の周りにいるやつらは言うけれど俺自身はその認識は違うと思う。これは人生勉強の一環なんだ。あいつはあんなんじゃいつかもっとえぐい潰され方をする。その前に社会の過酷さってやつを思い知るべきなんだ。
なんて、もちろん本気で思ってるわけじゃない。だって先のことなんて俺もわからないし。俺は俺自身のストレスを解消するために吉崎を苦しめている。あいつもよくバカ面さげて学校に来るよな、ほんと。吉崎に対する嫌がらせはだいたい俺のご機嫌取りのために行われて俺自身が手を下すことはあんまりない。面倒になってきた。というかぶっちゃけどうでもいい。最近は見ているとイライラするから見ないようにしている。あいつを嬲ってもすっきりしないんだ。理由はわかってる。原因があいつにないからだ。
ああ、死にてえ。
中二病の妄想だなんて言わせないだけの理由はあるがどうしても躊躇いから抜け出せない。一時は吉崎になんかしたらすっきりしてたんだが俺はすっかり刺激に慣れてしまったらしかった。慣れたくなかった。すっきりしたい。こんなとき俺じゃないその他大勢はどうするのかな。恋愛? スポーツ? どれもいまさらな気がしてならない。何より俺自身に苦しみから抜け出そうとする意思がないらしい。ああ、早く死にたい。いっそ吉崎が俺を殺してくれねーかな? ……無理か。自分を殺すのでもこんなに難しいんだ。自分じゃない誰かを殺すのなんかもっと難しいに決まってる。
死にたい。死に体。死に隊。死に退。死に怠。死に耐。死に泰。
白いノートの隅に死に隊と書いて自分でちょっと吹いた。そのとき携帯が鳴った。あ、やべ、電源切ってなかった。と、思いきやクラスのやつの携帯が一斉に鳴ってて教師が困り顔で俺たちを見ていた。
「お前らなぁ、せめてばれないようにしろよ」
先生。ばれないようにやったらイジメはありですか?
訊いてみたくなった。先生は口では「なしに決まってるだろ」と言うと思うが内心ではきっと「ばれなかったらな」で済ましたいだろう。本音を言ってしまえば倫理的な問題があるからだ。親に抗議を食らって先生は職を追われる。
この世界は破綻している。真実が多すぎるからだ。もっとニセモノばっかりで本当のことが一握りしかなかったら俺はどれだけ楽に生きれただろう。俺は先生の教えにしたがってばれないように机の影で携帯電話を開く。
『うさぎ小屋の鍵を壊した犯人について、至急情報求む』
件名は「オロチより」。全校生徒が知ってるらしいアドレスからそれが送られてきた。少なくとも俺の友達は全員知っている。ただし送り主は不明。学園最強のナゾの情報屋。過去のばらされたくないことをどこからともなく集めてきて自分の知りたいことと交換に強請っていく最悪にタチの悪いやつ。俺もしっかり脅迫されたことがある。どこから漏れたかなんて全然わからなかった。
しかしうさぎ小屋の鍵を壊した犯人?
奇妙なことを知りたがるもんだな。依頼したのは吉崎だろうか? だいたいあいつに何かしたやつは俺に報告にくるのだが、うさぎ小屋の鍵を壊したやつは俺に報告に来ていない。うさぎがいなくなって困るやつなんて吉崎しかいないから絶対報告に来ると思っていた。そいつなんて言おうか考えてたのに意外だった。俺は「知らない」とだけ返信するしかなかった。多分俺は一番疑われている容疑者だろうから無視するわけにはいかない。ナゾの情報屋の制裁を食らったら学校で生きていけそうにないほど俺の秘密は根が深く、辛い。
終業のチャイムが鳴って先生は何人かの名前を呼んだ。その中に俺の名前も入っていた。携帯電話の電源は切っとけよ。先生は笑って言う。はぁーい、と俺たちは間の抜けた返事をした。
昼休みになると恵や陽子が寄ってくる。俺たちは弁当を開いて何気ない話をする。この時が多分俺がいま一番幸せを感じる瞬間だ。
「ねえ藤原に彼女できたってほんとかなあ」
「うそ、誰がそんなこと言ってんの?」
「わかんない。私は坂下から聞いた」
「えぇ…… いーいーはなんか知ってる?」
「ごめん、藤原って誰?」
恵と陽子は一瞬ポカンとした顔をした。
「いーいーほんと男の子に興味ないよね」
そういう訳ではないんだけどな。
「いーいーの好みのタイプってどんなやつなのさ?」
「んーと、あんま考えたことないや。好きになった人がタイプかな」
「はあ。いーいーってなんか余裕だよねぇ」
だから、そうでもない訳でもないんだけどな。
苦笑して俺は陽子の顔を見た。生徒指導の先生に説教を食らわない程度に茶色に染めた髪、小さい唇、二重、……きれいだ。
俺が見ていることに陽子が気づく目前に弁当に視線を戻した。卵焼きを口に含むと少し甘かった。砂糖入り。
携帯電話がもう一度鳴った。今度はマナーモードにしている。また情報屋からだが、周りをみても他のやつは受け取っていないようだ。今回のメールは俺だけに宛てたものらしい。本文を見ていると「俺の秘密」が書いてあった。血が引いていくのがわかる。
「何? どうした?」
恵が言う。俺は首を振って「なんでもない」って答える。くそ。知らないって言ってるだろ。
「ちょっとトイレ言ってくるよ」
俺は席を立った陽子と恵は心配そうに俺を見ていた。トイレの個室に入ってメールを打つ。
『知ってたら言うけどほんとに知らないんだ』
信じてくれなかったらと思うと恐かったが他にやりようがなかった。メールを送信して少し待つが返事は返ってこない。個室を出て鏡を見たが顔色は戻っていなかった。誰ともすれ違わなかったのが幸いだ。どうすればいいんだろ……?
とりあえず残りの授業はサボることを決める。先生に当てられて平然と答える自信がない。俺は階段を上って屋上に出た。鍵はかなり前に壊した。壊れていることに見回りの警備員も先生も生徒も誰も気づいていない。俺と同じだ。壊れていることに誰も気づいてくれない。親も先生も生徒も。もっとも俺が気づかれたくないから隠しているんだけど。仰向けになって屋上から眺める空はムカつくほど青くてあざやかだった。
ガチャ、とドアノブが回って俺は飛び起きた。ここのこと、知ってるやつがいたのかよ?!
「あれ、先客?」
さらさらの黒髪、丸くて大きい瞳、病的に白い肌。
どこかで見た事があったが思い出せない。
「飯島 美月」
だが相手は俺の名前を言い当てた。
「知ってるのか?」
「同じクラス」
そう言われて思い当たった。
「三条智美か?」
相手が頷く。俺のクラスに二人いる不登校児の一人だ。そういえばちゃんと見たことがあるのは始業式の時だけかもしれない。
「こんなところで何やってんだ?」
「お互い様」
「俺はサボりだよ」
「それだけ?」
「ああ」
「嘘」
「なんでだ?」
「メールはきた?」
ドキリとした。
「は? なんのことだ」
とぼけてみる。
「オロチからのメール」
俺は掴みかかりそうになるのを堪える。
「なんか知ってるのか?」
「別に。あなたの顔色が普通じゃないからかまをかけてみただけ」
嘘だ。と思ったがこいつならありえない話でもない気がした。三条智美は夏休みの課題に小説を書いてきて担任が勝手にそれをなんかの賞に送ったらそれがそのまま通って賞を取った。中身は推理小説。探偵物でバリバリの切れ者が出てくる種類。
「……オロチに脅されてる」
「どういう内容で?」
俺はうさぎ小屋の鍵のことを言う。
「あなたが疑いを持たれてるのはどうして?」
なんて答えようか迷ったが正直に話すことにした。
陽子や恵に話してもきっと役に立たないだろう。彼女達も多分俺が何か知っていると思っているから、オロチに話さないのは誰かを庇っていると思い込む。オロチと同じように。
俺にいま頼れるのはこいつぐらいなのだ。
「私がオロチでもあなたが関わっていると思うでしょうね」
冷たい声が返ってきて俺は三条を睨んだ。
「あなたは秘密をばらされたくない?」
頷く。
「その秘密はとても大事?」
もう一度頷いた。知っていたら正直友達を売ってもいいくらいに俺は俺の秘密が大事だ。
「でも犯人はわからない」
「……なんとかできないかな」
「私からオロチに話してみる。でも期待しないでね」
予想外の回答に俺は驚いた。
「オロチを知ってるのか」
三条が唇に人差し指を当てる。
「彼のことは誰にも言っちゃいけない。約束だから」
さっきのはとぼけただけかよ。
「彼からもう一度メールがきたら『文殊が無実を保証する』って返信して。文殊の漢字は文章の文に殊勝の殊。間違えたらダメ」
三条は少しだけ笑みを見せて言った。




