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第3話

 カンダタダンジョン第三階層。そこは、常に不快な湿気が肌にまとわりつく、迷宮状の鍾乳洞だ。


 一般的にはDランク以下の駆け出し冒険者たちの主戦場とされているが、それは決して安全を意味しない。

 この階層にはEランクからCランクまで、多様な生態系が混在している。ここが狩場として機能しているのは、単に拠点からの補給路が確保されているという、運営上の都合に過ぎない。


 つまり、大通りを外れて細い分岐路に踏み込めば、それだけ死の危険は跳ね上がる。主要な交通路から逸れればそれるほど、そこは未開の地、手付かずの自然の悪意が眠っているかもしれない。


 ゴクリ、と。

 無意識に喉が鳴った。


 俺は迷路のような分岐の一つへ足を踏み入れた。上下左右の感覚すら狂わせるような、泥濘ぬかるみの闇。そこに震える手でランプの光をかざし——。


 そして、呼吸を忘れた。


「…………っ!」


 そこにいた。

 全身を硬質の剛毛で覆われた、大型犬ほどもある巨大な蜘蛛。

 それが、一匹や二匹ではない。壁から天井まで、視界に入る全てを黒く塗りつぶすように、百、いや数百という単位でびっしりと張り付いていたのだ。


 俺の探索者ランクはC。対してジャイアントスパイダーはD。

 一対一なら負ける相手ではない。だが、この規模の群れとなれば話は別だ。


 数の暴力は、個の天賦を凌駕する。それは自然界が定める絶対の真理。

 特効兵装も持たない俺のような探索者が、この数の群れを同時に相手にするなど、ただの自殺志願者でしかない。


 全身の筋肉が、鉄のように強張る。

 動くな。声を出すな。


 奴らの視覚は退化しており、光には疎い。

 だがその分、脚の毛で感知する空気の振動には異常なまでに敏感だ。


 音を立てず、波を立てず、一歩ずつ。慎重に、来た道を引き返してパーティーに報告する。それが、生存への唯一の最適解——。


「おい、いつまでかかってんだよ。ダンジョンマスターちゃんよぉ?」


 背後から、無神経な、あまりにも無神経な高宮の声が洞窟内に反響した。


 ああもうボケナス! 黙ってろよ!


 心臓が跳ね上がった。

 俺は振り返り、必死の形相で首を横に振った。両手両足を大きく広げ、音を立てないようにバタバタと振って見せる。「蜘蛛がいる、静かにしろ」という、俺なりの渾身のボディーランゲージだ。


「は? ……何それ、キモいんだけど。特に顔」


 ダメだ、一ミリも伝わってない。

 それどころか、高宮は苛立ちを露わにしながら、ズカズカとこちらへ近づいてくる。

 俺は蜘蛛のポーズを維持したまま、必死に音を出さない口パクで『と・ま・れ!』と訴え続けたが、


「なんだよ、喘息か? ったく、これだから軟弱は……」


 止まらない。

 喘息じゃねえよ! ピンピンしてるわ!

 少しは察しろ! なんでこれで副リーダー務まってんだよ!


 おまけに高宮は、どうやらやたらと生活音がデカいタイプの男のようだった。

 人類史上初めて月面に降り立ったアームストロング船長もかくやという、渾身の踏み込みによって音を響かせながら、彼は俺の隣に並んだ。


 もはや声を出して止める勇気もなく、俺が必死に掌を突き出して彼を制止しようとした、その時。


「あのさぁ。偵察もろくに出来ねえなら、もう死んじまえ——」


 説教を垂れようと顔を上げた高宮の視界に、壁一面を埋め尽くす黒い悪夢が飛び込んできた。


「ギィ、ギィィエエエエエエエエエエエエ!!」


「だ・か・ら! さっきから止まれって言っただろこの大馬鹿野郎ォォォォォ!!」


 刹那。何百という赤い複眼が、一斉に怪しく発光した。

 シャッ、シャッ、と、死を告げる鋏角はさみの研磨音が洞窟の四方に反響する。


 壁から、天井から、真っ黒な津波が剥がれ落ちて押し寄せてくる。


 俺たちは、どちらからともなく転げるように走り出した。

 絶体絶命のピンチだ。

次回、高宮さんの裏切り。1000字くらい。

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