第6話 部屋の中の影
ドアを開けた瞬間、室内の空気が重く沈んで感じられた。
薄暗いワンルーム。
カーテンは閉め切られ、部屋の中央には誰かの気配。
玲は一歩踏み込む。
カスミはその横に浮かび、息を呑んだ。
(……いる)
カスミがいたころのマコトの部屋ではない。
部屋の空気が、まるで別の家のように淀んでいた。
そして――
「……マコト」
カスミの声が震える。
ベッドの端に座る細い影。
肩を落とし、ぼんやりと床を見つめている女性――常盤マコト。
その傍らに、もう一つの人影が立っていた。
「君、誰?」
低く、乾いた声。
長身の男が、玲を睨んでいた。
黒いパーカーに、日に焼けた皮膚。
目の奥には、妙に“光沢のある闇”が揺れている。
玲は一瞬で悟った。
(……これが、“先生の仲間”か)
玲は審眼を開き、男の“色”を見る。
――黒紫。
ねっとりと地面に広がり、煙のように漂う。
人間の念ではありえない濃度。
(やはり……普通の人間ではない)
「ここは住人の私的スペースです。勝手に入られると困るんですが」
玲は丁寧な口調を崩さず言った。
「……あ? なんだお前、警察か?」
「いえ。ただの相談員です。
常盤マコトさんと、お話があります」
その一言に、男の表情がわずかに動いた。
“何かに反応した”ように見えた。
「マコトは今、話せる状態じゃねえよ」
「それはあなたが決めることではありません」
玲がそう言い切った瞬間、男の念が“ざわり”と揺れた。
玲はゆっくりマコトに近づく。
マコトはうつむいたまま、声にならない声を漏らした。
「……おねえ、ちゃん……?」
空気が止まった。
カスミが顔を上げ、玲を見る。
「玲くん……今、聞こえた?」
「ええ。あなたの名前を……無意識に呼んでいます」
マコトの目から涙が落ちた。
「……やめて……もう……やめて……
私……姉さん……助け……ないと……」
その言葉に、カスミは心臓を握られたような痛みを覚えた。
「どういうこと……? どうしてそんなに苦しそうなの……」
しかし、玲はすぐ気づく。
(……これは洗脳の典型例だ)
念の揺れ方、言葉の断片、恐怖と依存の混ざった表情。
(だが、普通の洗脳ではここまで念が歪まない)
男が玲の前に立ちはだかった。
「おい、相談員だか何だか知らねえが――
あんまりマコトを混乱させんな。
“先生”の治療の邪魔だ」
「治療……?」
玲はじっと男の目を見た。
「あなたたちは、“治療”などしていない」
「は?」
「あなたたちは“未来を固定”しようとしている。
彼女の自由を奪って」
その瞬間、男の念の色が一気に荒れた。
黒紫が部屋の中で煙のように広がり、玲に向かって波のように襲いかかる。
「……っ!」
玲は一歩下がり、眉をしかめた。
(なんだ……この重さ……まるで“呪詛”だ)
普通の念ではない。
これは――人間と怨念が混ざったような異質な気配。
「玲くん!」
カスミが叫ぶ。
玲は片手を上げ、壁に貼られた古い護符に触れた。
護符が淡く光り、男の念の“波”をはじくように霧散させた。
「お前……なんでそれを使える……?」
「あなたのような存在に対処するためですよ」
玲は冷静に言った。
「さて。マコトさん。
家族と連絡を――」
その瞬間。
男が怒声を上げ、玲の胸ぐらを掴もうと手を伸ばしてきた。
しかし――その手は玲に触れる前に止まる。
「やめてッ!!」
カスミの霊体が強く輝き、部屋の空気が震えた。
怒りと恐怖の混ざった霊圧が広がり、
部屋中の物が微かに震える。
男は一瞬だけ、怯んだように動きを止めた。
「……なんだ……今の気配……?」
玲は即座にカスミへ駆け寄る。
「カスミ! 感情を抑えてください!
今は能力を暴走させてはいけない!」
「無理よ! だって……だって……
マコトが……苦しんでるんだもの!!」
カスミの霊体が激しく揺れ、部屋の照明が明滅した。
未来視の余波が暴走している。
(まずい……このままでは……)
男が玲を睨みつけようとしたそのとき――
急に、目を見開いた。
「……は? なんだ……これ……」
カスミの暴走した霊圧が、男に“断片的な未来”を見せてしまったのだ。
男は後ずさりし、口元を震わせた。
「……あれは……なんだよ……
なんで……俺が……落ちて……」
その表情は“恐怖”だった。
「お前……何をした……!」
「こちらの台詞です」
玲は冷たく言った。
「恐らく、あなた自身の未来の一部でしょう。
あなたが選んだ“先生”という道の、行き着く先です」
「黙れ……ッ!」
男はドアへ向かい、乱暴に駆けだした。
背中から“黒紫の念”が散り、部屋中に不吉な残滓を撒き散らしながら。
ドアが閉まる音が響き、静寂が戻った。
玲はマコトの前にしゃがみ、静かに声をかけた。
「常盤マコトさん。大丈夫ですか」
マコトの唇が震え、涙がぽろぽろ落ちる。
「……私……
どうしたら……いいの……
姉さんが……呼んでるみたいで……」
カスミは今にも泣きそうな顔でマコトに手を伸ばす。
――だが、触れない。
「マコト……ごめん……ごめんね……」
「大丈夫です」
玲が静かに言う。
「あなたは、一人ではありません」
玲はマコトに名刺を差し出す。
彼女は震える手でそれを受け取った。
「このままでは危険です。
“儀式の日”が、早まっています」
「……え」
「あなたの姉を救うためと言われているのですね。
しかし、それは嘘です」
玲はドアの方を見やった。
黒紫の残留念が、まだゆらりと漂っている。
「あなたを利用しているだけです」
カスミは涙をぬぐうように目を閉じた。
「玲くん……マコトは……」
「大丈夫です。必ず助けます」
玲の瞳の奥に、蒼い光が揺れた。
――だが、心の奥で別の疑念が芽生えていた。
(“先生”という存在……
あの念の濃さ……人間じゃない……)
玲は静かに息を吐いた。
「カスミ。
ここからが、本当の戦いです」
カスミは震える声でうなずいた。
「……お願い、玲くん。
マコトを……助けて」
玲は、彼女をまっすぐ見つめた。
「任せてください。
あなたの未来も、妹さんの未来も――僕が必ず変えてみせます」
いつもありがとうございます。また明日更新します。次回、第7話 未来を読む影
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