第三章 第11話 『選ばなかった未来の声』*
その夜、高瀬恒一は眠れなかった。
布団に横になっても、
目を閉じるたびに、別の自分が浮かぶ。
海外へ行った自分。
行かなかった自分。
転職した自分。
しなかった自分。
どれもが、
彼に向かって同じ言葉を投げてくる。
――お前は、間違えた
――なぜ、こちらを選ばなかった
――お前の人生は、ここで終わっていたはずだ
「……うるさい……」
だが、その声は、
自分の頭の中からではなかった。
――午前二時。
高瀬は、はっきりと目を覚ました。
部屋の空気が、
わずかに重い。
「……誰か……いる……?」
返事はない。
だが――
確かに、気配がある。
壁際。
クローゼットの前。
そこに立っていたのは――
自分によく似た“何か”だった。
年齢は、少し上。
目つきは、険しい。
「……誰だ……」
それは、
静かに口を開いた。
「俺は――
お前が、選ばなかった未来だ」
その瞬間。
事務所の電話が鳴った。
玲は、
嫌な予感とともに受話器を取る。
「……はい」
「助けてください……
家に……
“自分”がいるんです……」
高瀬の声だった。
「動かないでください」
玲は即座に言った。
「今から向かいます」
高瀬の部屋に入った瞬間、
カスミが、息をのむ。
「……重い……」
クロベエの尾が、逆立つ。
「こいつは……
霊じゃねぇ」
玲は、審眼を開いた。
そこにいるのは、
幽霊でも、生霊でもない。
(……“可能性の残骸”)
「お前は、
安全な方を選び続けた」
“それ”は、
高瀬に向かって言う。
「だから、
俺は存在できなかった」
「……違う……」
高瀬は、震えながら首を振る。
「俺は……
逃げたわけじゃない……」
「だが、
選ばなかった」
その言葉が、
刃のように突き刺さる。
「これは、
“後悔の霊”ではありません」
玲は、
はっきりと言った。
「選択によって切り捨てられた未来が、
自立しようとしている状態です」
「そんな……」
「本来なら、
消えていくものです」
玲の視線が、
脇へ向く。
「……誰かが、
“留めている”」
カスミが、
低い声で言う。
「……あの人だ」
直接、姿はない。
だが、
“選ばなかった未来”の輪郭に、
微かな補強が感じられる。
「桐生は、
選択を止める存在です」
玲は続ける。
「止められた未来は、
行き場を失い、
こうして残る」
玲は、高瀬に向き直る。
「あなたにしか、
できないことがあります」
「……俺に?」
「はい」
玲は、静かに言った。
「選ばなかった未来を、
否定しないこと」
“それ”が、
わずかに揺らぐ。
「間違いだった、
とは言わない」
「でも……
今の自分も、
嘘じゃない」
高瀬は、
震える声で言葉を紡ぐ。
「……どちらも、
俺だ」
“それ”の輪郭が、
少しずつ薄くなる。
怒りは消え、
代わりに、
疲れた表情が残る。
「……そうか……」
“それ”は、
初めて、目を伏せた。
「……選ばれなかっただけで、
間違いじゃなかったのか……」
次の瞬間。
“それ”は、
音もなく、高瀬の影へ溶け込んだ。
部屋の空気が、
一気に軽くなる。
高瀬は、
その場に座り込んだ。
「……まだ……
怖いです」
「それでいい」
玲は、静かに言った。
「選択とは、
常に不安を伴います」
事務所に戻る途中。
カスミが、
小さく呟く。
「……桐生……
未来を止めて、
何がしたいんだろう……」
「……分かりません」
玲は、夜の街を見つめた。
「ですが、
彼は――」
一拍置いて、続ける。
「“選ばなかった未来”が、
人を壊すと信じている」
それは、
救いでもあり、
呪いでもあった。
未来は、
選ぶことでしか、
進めない。
だが――
選ばなかった未来を、
受け入れられない限り、
人は立ち止まる。
いつもありがとうございます。また更新します。次回、第三章 第12話 選ぶことの代償
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