第4話 カスミが死んだ場所
夕方の光が、雑居ビルの窓を淡く染めていた。
「……じゃあ、行きましょうか」
玲が立ち上がり、机の上の鍵を手に取った。
「どこへ?」
「あなたの死んだ場所です」
カスミの霊体がかすかに揺れる。
「……来ると思ってたけど、やっぱり行くのね」
「未来を変えるには、過去の“線”を押さえる必要があります。
未来は流動していても、過去は固定されていますから」
「変えられないのよね?」
「ええ。何度観測しても変わりません」
玲は淡々と言ったが、カスミの胸の奥に刺さるものは鋭かった。
「……でも、見なきゃいけないのね」
「あなたがいいなら、ですが」
玲の言葉に、カスミはほんの少し考え――
やがて静かにうなずいた。
「いいわ。知らずにいるほうが、ずっと怖いもの」
「わかりました」
事務所を出て、ビルの階段を降りる。
夕暮れの空気は冷たく、街灯に火が灯り始めていた。
カスミは足元に影がないまま、玲の少し後ろをゆっくりと漂う。
「ねえ、玲くん」
「はい」
「私、死んだ場所……どんな感じだった?」
「あなたは自分で見てないんですか」
「……うまく見られなかったの。怖くて、途中で目をそらしちゃって」
幽霊である彼女の声が、わずかに震えていた。
「大丈夫です。僕がいますから」
玲の声は淡々としていたが、その裏にある“支えよう”という微かな意思をカスミは感じ取っていた。
――電車に乗り、数駅。
どこにでもある静かな住宅街の一角。
玲は立ち止まり、淡い街灯の下で言った。
「ここです」
カスミがゆっくりと前に出る。
霊体がわずかに震えた。
「……ここ……」
普通の小さな交差点。
コンビニの光が冷たく照り返している。
だがカスミには、そんな日常が恐ろしく遠く感じられた。
「ここで……?」
「ええ。交通事故ですね。軽自動車に跳ねられた。
即死ではなかったようですが……」
「やっぱり、そうなのね……」
カスミは目を閉じ、霊体の胸を押さえる。
玲は交差点をゆっくり見渡し、目を細めた。
「……まだ残ってますね。“色”が」
「色……?」
「あなたの最後の感情が、ここに残ってます。
それから、あなたを跳ねた運転手の“色”も」
「運転手……」
「罪悪感よりも……恐怖が強かったようです。
“自分が捕まること”の恐怖。
あなたを助けたいという気持ちは――薄い」
カスミは表情をゆがめた。
「そんな……」
「さらにもうひとつ。
あなたの近くに、“別の念の色”がある」
「え……?」
玲はゆっくり道路脇へ向かう。
街灯の下、何もない空間の一点で立ち止まった。
「そこに、誰か“立っていた”痕跡があります。
事故の瞬間を見ていた人物です」
「見てた? 誰が?」
「……わかりません。念が濃すぎて、形が崩れている」
玲はしばらく黙り、霊視を集中させた。
「でも、ひとつだけはっきりしている。
これはただの交通事故じゃない」
「まさか……」
「あなたを殺した“影”がいた可能性があります」
カスミは息を飲んだ。
肺はもうないのに、癖のように呼吸が乱れる。
「どうして……私、誰かに狙われる理由なんて……」
「理由があるんでしょう。
あなたが知らないだけで」
玲の声は冷静だが、その瞳の奥で微かな光が揺れていた。
「それに……運転手の車、ブレーキ痕がほとんど残っていません。
つまり“避けていない”可能性がある」
「……嘘……」
交差点に沈む夜の空気の中、カスミは震える声で言った。
「じゃあ……私は、殺されたの?」
「可能性はあります」
玲はカスミの方へ振り返る。
「ただ、過去は変えられない。
だからこそ、観測して“真実を見つける”しかないんです」
「真実……」
「未来を変えるには、まずあなたの死に関わる“線”を把握する必要がある。
なぜあなたが死に、なぜ妹さんが狙われているのか」
玲は真っ直ぐカスミの霊体を見る。
「あなたの死の裏には、何かが隠れている。
それを暴かない限り、マコトさんの未来も救えない」
カスミは、震えながらも静かにうなずいた。
「……わかったわ。
逃げても何も変わらないものね」
「ええ。あなたが視た未来を変えたいなら、ここからが本番です」
二人の影――カスミの影はなかったが――
街灯の下で並んで伸びていた。
その長い影は、これから二人が歩き出す未来の道のように見えた。
――常盤カスミの死は、ただの事故ではない。
それが、氷室玲が掴んだ“最初の真実”だった。
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