第三章 第7話 なくした鍵と、置き去りの想い
その日の依頼は、拍子抜けするほど地味だった。
「……鍵を、なくしまして」
事務所の椅子に座った初老の男性は、
帽子を両手で握りしめながら、申し訳なさそうに言った。
「家の鍵です。
昨日までは確かにあったんですが……」
「警察には?」
「届けました。
でも……どうにも、気になって」
男性は、少しだけ声を落とす。
「……鍵そのものじゃないんです。
“見つからない理由”が、わからなくて」
カスミが、こっそり玲に耳打ちする。
「これって……霊の仕業かな?」
「今のところ、その気配はありません」
クロベエも、鼻をひくつかせる。
「少なくとも、
厄介な匂いはしねぇな」
男性の周囲に、
悪意も、強い未練もない。
ただ――
ほんのりとした“懐かしさ”の気配。
「いつ、どこでなくしましたか?」
玲の問いに、男性は首をひねる。
「それが……
はっきりしないんです」
昨日は、病院へ行き、
その帰りに公園で少し休んだ。
ベンチに座り、
鳩を眺め、
しばらくぼんやりしていた。
「そのあと……
家に帰ろうとして、
鍵がないことに気づきました」
「公園ですね」
「ええ」
夕方の公園は、穏やかだった。
子どもたちの声。
犬の散歩。
ベンチに座る老人。
カスミは、くるりと一回転する。
「……なんか、平和すぎて逆に落ち着かない」
「こういう場所ほど、
見落としが多いものです」
玲は、ゆっくりとベンチの周囲を見る。
「あ……」
男性が、小さく声を上げた。
ベンチの下。
影になった場所に、
小さな鍵束が落ちている。
「……あった……!」
だが――
玲は、すぐには拾わなかった。
「ここにあったなら……
どうして昨日、気づかなかったんでしょう」
玲の言葉に、男性は黙り込む。
「……実は」
男性は、少し照れたように言った。
「このベンチ、
妻とよく座っていた場所でして」
十年前に亡くなった妻。
病院の帰り、
ここで一息つくのが習慣だった。
「昨日も……
無意識に、ここに来てしまったんです」
カスミは、ベンチのそばに立ち、
そっと微笑んだ。
「……なるほどね」
クロベエも、小さくうなずく。
「未練ってほどじゃねぇ。
ただの“思い出”だ」
「ええ」
玲は、鍵を拾い上げ、
男性に差し出した。
「鍵は、
“ここに置いていきたい気持ち”と一緒に、
落ちていたんでしょう」
「……そう、ですか」
男性は鍵を受け取り、
胸元で握りしめた。
「……なんだか、
見送ってもらった気がします」
「それで、十分です」
玲は、穏やかに言った。
事務所へ戻る途中、
カスミが大きく伸びをする。
「ふー……
たまには、こういうのもいいね」
「ええ」
玲も、少しだけ表情を緩めた。
「未来も、予言も、
関係ない事件です」
クロベエが、尻尾を揺らす。
「だがな、若造。
こういう“何も起きない話”が、
一番、人を救うこともある」
「同感です」
事務所に戻ると、
夕陽が床を橙色に染めていた。
電話は鳴らない。
不穏な気配もない。
ただ、
“誰かが少しだけ前に進めた”
そんな静かな一日だった。
だが――
玲は、ふと窓の外を見た。
(……こういう日常が、
いつまで続くか……)
考えるのをやめ、
湯を沸かす。
今日は、
それで十分だった。
いつもありがとうございます。
次回、第三章 第8話 残された違和感
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