第三章 第1話 予言ノートの少女
その依頼は、電話を切る直前の一言が妙に引っかかった。
『……未来の話をすると、
家族が……壊れるんです……』
氷室玲は、受話器を置いたあとも、しばらく机の上を見つめていた。
「……“未来の話をすると”、ですか」
カスミが宙に浮いたまま、首をかしげる。
「未来の話なんて、普通はするでしょ?
進学とか、就職とか、旅行とか」
「ええ。
ですが“壊れる”という言い方は不自然です」
クロベエが、机の上に跳び乗った。
「未来の話が原因で壊れるってのはな、
たいてい“未来が当たる”場合だ」
「当たる?」
「外れる未来は、誰も本気にしねぇ。
だが――
当たり続ける未来は、人を縛る」
玲は静かにうなずいた。
「行きましょう。
場所は?」
「私立の中高一貫校……
女子校だって」
応接室に通された玲とカスミは、
一組の親子と向かい合っていた。
母親は三十代後半。
目の下に濃い隈を作り、落ち着かない様子で手を組んでいる。
その隣に座る少女は、
中学生くらいだろうか。
無表情で、
膝の上に一冊のノートを抱えていた。
「……この子が?」
「はい……娘の、真帆です」
母親が絞り出すように言う。
「このノートに書いたことが……
本当に起きるんです」
少女――真帆は、玲をちらりと見ただけで、
すぐに視線を落とした。
玲は、穏やかな声で尋ねる。
「いつ頃からですか」
「半年前くらい……
最初は、些細なことでした」
母親の話によれば――
クラスメイトが転校する
担任が入院する
雨の日に傘を忘れる生徒がいる
そういった“偶然”が、
真帆のノート通りに起き始めた。
「最初は、みんな冗談だと思ってました」
母親は唇を噛む。
「でも……
交通事故の日付や、
テストで倒れる生徒の名前まで……」
真帆のノートは、
次第に“予言帳”と呼ばれるようになった。
「それで……」
玲は続きを促す。
「クラスのみんなが……
娘の言葉を……
信じるようになってしまって……」
母親は、視線を落とす。
「誰も、自分で決めなくなったんです」
「決めない……?」
「真帆が“失敗する”って書いたことは、
最初からやらない。
“うまくいく”って書いたことだけを選ぶ」
カスミが、小さく息をのむ。
「それって……」
「未来が、
娘のノートに支配されていく」
母親の声は震えていた。
「気づいたときには、
家族の会話まで……
全部、未来の確認になっていました」
――来年はどうなる?
――この選択は正解?
――失敗するって書いてない?
「……それで、家が壊れた?」
玲の問いに、母親はゆっくりとうなずいた。
「夫は……
“書かれていない未来”を怖がるようになりました」
その間、真帆は一言も発さなかった。
玲は、少女の膝の上のノートに目を向ける。
「見せてもらっても?」
真帆は一瞬だけ躊躇い、
小さく首を振った。
「……だめ」
その声は、驚くほど静かだった。
「書くと……
起きちゃうから」
玲の目が、わずかに細まる。
「あなたは、
“書いたから起きた”と思っていますか?」
真帆は、しばらく黙り込んだあと、
ぽつりと言った。
「……わからない」
その言葉は、
未来を操る自信の声ではなかった。
ただ、
怯えている子供の声だった。
玲は、真帆の周囲を静かに観察する。
(……予知能力の色じゃない)
未来を視る者には、
独特の“濁り”が出る。
だが真帆の色は――
(誘導されている……
誰かに、“未来が当たると信じさせられている”)
クロベエが、小さく鼻を鳴らす。
「若造。
こいつ、自分で未来を見てねぇ」
「ええ」
玲は頷いた。
「彼女は“未来を信じさせる役”です」
玲は、母親に向き直る。
「ひとつ、確認させてください」
「は、はい……」
「このノートのことを、
最初に“特別だ”と言ったのは、誰ですか?」
母親の顔が、はっと強張る。
「……クラスメイトの……
お兄さん、です」
「お兄さん?」
「大学生だって……
“未来は決まっている”って……
そう言って……」
玲は、ゆっくりと息を吐いた。
(……また、同じ匂いだ)
未来を固定しようとする思想。
当たる未来だけを信じさせる構造。
それは、
“先生”とも、
“遼”とも、
よく似ていた。
玲は、静かに言った。
「この事件、引き受けます」
真帆が、初めて顔を上げた。
「……ほんとに?」
「ええ」
玲の声は、揺るがなかった。
「未来は、
ノートに書かれるものではありません」
カスミが、そっと微笑む。
「一緒に、
“書かれてない未来”を取り戻そう」
少女は、
ノートを強く抱きしめたまま、
小さくうなずいた。
いつもありがとうございます。また明日更新します。次回、第三章 第2話 当たる未来の作り方
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