第3話 未来からの映像
「妹の名前は、常盤マコト。二十一歳。大学二年生」
カスミの声は、話し始めるにつれて少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「昔から素直で、ちょっと不器用だけど、まっすぐな子でね。友達も多くはないけど、信頼できる子ばかりだったの」
「過去形ですね」
「ええ。最近までは」
カスミは唇を噛み、霊体なのに胸のあたりを押さえるような仕草をした。
「私が死んだあと、マコトはしばらく落ち込んでた。でも……半年くらい経った頃から、
“新しい友達ができた”って言うようになったのよ」
玲はノートに視線を落とし、淡々と書き込んでいく。
「生前に聞いた話、ではないようですね」
「うん。死んでから、家に帰ったときに気づいたの。マコト、よくスマホでその人たちとやり取りしてたから……」
カスミは指を組み、押しつぶすように握った。
「画面は見えないの。でも、会話は、時々ね。
“先生”って呼ばれてる男の人が一人。
ほかは“仲間”とか“みんな”って呼ぶだけで、誰の名前も出さない」
「ふむ。意図的に名前を伏せさせている可能性が高いですね」
「そう思う。
詳しいことを聞こうとしたわけじゃないけど……マコト、電話でその人たちの話になると、
急に声を荒げたり、周りを気にしたりしてた」
玲の指先がノートの上を軽く叩く。
「よくあるパターンですね」
「やっぱり、そうなの?」
「ええ。“心の拠り所”を装って近づいて、徐々に依存させていく。
お金、家族、時間――すべてを少しずつ奪っていくタイプです」
玲は淡々と告げた。
だがその声の奥には、僅かに怒りが混ざっているのをカスミは敏感に感じ取った。
「マコト、私の遺品を全部その人たちのところに持って行こうとしたの」
「遺品?」
「私の服、アクセサリー、パソコン、日記、写真……
なんでも“カスミさんの魂を救う儀式に必要だ”って言われたって」
「わかりやすく、アウトですね」
玲は大きくため息をついた。
「で、あなたはそれを止めようとした?」
「ええ。夜に家へ戻って、マコトのそばで“やめて”って何度も声をかけた。
でも……聞こえないのよね。やっぱり」
カスミは自嘲気味に笑う。
「ドラマみたいに、幽霊が家族に話しかけられるわけじゃないのね」
「幽霊の声が聞こえる人間は少ないですよ。基本的には僕みたいな“視える側”だけです」
「玲くんは、聞こえるし、見えるし、触れられるのよね?」
「ええ。正直、便利とは言いがたいですが」
「チートじゃない」
「本人は困ってるんです」
玲はペンを置き、カスミに向き直った。
「あなたが僕に依頼したのは、“決定的なもの”を視たからですね?」
その問いに、カスミの瞳が震える。
しばらく沈黙した後、小さくうなずいた。
「……ええ。視たの」
「どこで?」
「……未来で」
部屋の空気がわずかに冷たくなったように感じた。
玲は表情を変えず、淡々と続ける。
「未来、ですか」
「私はね、玲くん。気づいたの。“自分は時間を越えて移動できる”って」
カスミは両手を胸の前に持ってきて、霊体越しに自分の心臓を触るような仕草をした。
「最初は、自分の死んだときのことを確かめたかったの。
どこで、どうやって死んだのか。誰がそこにいたのか」
玲の目がわずかに揺れる。
「でも、過去は……どんなに見ても変わらなかった。
叫んでも、触れても、誰一人、私の存在に気づかないまま通り過ぎるの」
小さな声に、悔しさと孤独が滲んでいた。
「だから、次は未来を見に行ったの」
「未来は、どう見えましたか?」
「動いてた」
短い言葉だったが、その重さが部屋の空気を変えた。
「過去と違って、未来はぼんやりしてて、枝分かれしてて……揺れてるの。
流れの中に立つとすり抜けちゃうけど、少し離れた場所から見ると――
“いちばん濃い流れ”があるの」
「メインの時系列、というやつですね」
「名前は知らないけど、きっとそんなもの。
そのいちばん濃い未来でね――」
カスミは目を閉じた。
「マコトが、“先生たち”と一緒に、ビルの屋上から飛び降りてたの」
室内の気温が数度下がったようだった。
「……集団自殺、か」
「本人たちは“解放の儀式”って言ってた。
でも、マコトの顔……すごく怯えてた」
玲は背もたれに静かにもたれ、天井を見た。
――幽霊が視たほど鮮明な未来。
確定ではないが、“強い未来流”である証拠だ。
「未来は、変わるんでしょう?」
カスミの声はかすかに震えている。
「私はほかの未来も見たの。
行かない未来、行く前に誰かに止められる未来、先生が捕まる未来……
いろいろあった。でも――
どれも薄くて、ぼやけてて、すぐに消える」
そして一番濃い未来は、いつも同じ。
ビルの屋上。
夜の街の明かり。
そして――飛び降りる妹。
「だから、怖くなったの。
誰か、“未来を変えられる人”に助けてほしくて……
それで、いろんな場所をさまよってたら――」
カスミは玲を見つめ、ふっと微笑んだ。
「あなたの姿が、すごくよく見えたの。
まるで、人間じゃなくて“光る色の柱”みたいだった」
「……それは僕の方の事情ですね」
玲は淡く目を細める。
霊から見れば、氷室玲は“特別に視える”存在。
霊能力者であり、時に霊にとっての灯台のような役割を持つ。
「一応、確認します」
玲はノートを閉じ、姿勢を正した。
「あなたが見た未来は――いつだ?」
「日付?」
「ええ。ビルの屋上で、あなたの妹さんが飛び降りる“予定日”です」
カスミは目を閉じ、記憶をたぐる。
「……今日から一週間後の、夜十一時」
玲の指が、机の上で静かに止まった。
一週間。
短いようで、長いようで――
「ぎりぎりですね」
「間に合う?」
「間に合わせます」
玲は即答した。
その瞳の奥に、淡い蒼の光が宿る。
「常盤カスミ。あなたの依頼、正式に受けました」
「……ありがとう、玲くん」
「ただし」
玲は右手の指を一本だけ立てた。
「未来は変えられますが、その代償は安くない」
「代償?」
「あなたにも、僕にも、です」
玲は自分の手のひらを見つめる。
――霊の記憶を読みすぎれば、心が削れる。
――未来を覗きすぎれば、寿命さえ縮む。
それでも。
「それでも、あなたはやりますか?」
問う必要もないとわかっていて、あえて問う。
カスミは一瞬も迷わずうなずいた。
「やるわ。マコトを、あんな未来に行かせたくない」
玲の口元に、静かな笑みが浮かぶ。
「でしたら……話は早い」
玲は立ち上がり、棚から地図と数枚の写真を取り出した。
「まずは、あなたの過去から整理しましょう。
未来を変えるには、“現在”と“過去”のつながりを把握する必要がある」
「過去は、変えられないんでしょう?」
「ええ。過去は観測するだけです」
玲は秋の光を反射する窓を一度だけ見た。
「でも――観測された過去は、未来を選ぶ材料になる」
常盤カスミの依頼。
それは、ただの“妹を救う事件”ではない。
氷室玲の未来。
カスミの未来。
そして、まだ名前すらわからない“誰かの未来”。
すべてを巻き込み、動き始めていた。
玲はまだ、その全貌を知らない。
ただひとつだけ確信していた。
――これから先、戻れない場所まで踏み込むことになる。
いつもありがとうございます。また明日更新します。次回、第4話 カスミが死んだ場所
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