第二章 第8話 揺らぎ始めた家
靴箱の下の術式が露わになり、
浅間遼が残した“痕跡”が明らかになった。
だがそれは、
ただの鍵穴にすぎなかった。
家全体が――
“過去の時代”を呼び起こし始める。
リビングに戻った瞬間、
空気が、わずかに変わった。
「……玲くん?」
「わかりますか?」
「う、うん……空気が……古い……」
カスミが胸元を押さえて震える。
葵も身を縮めている。
「さ……寒い……?
エアコン……切ってませんよね……?」
「ええ。温度ではありません」
玲は壁に手を当てた。
「“時間の層”がずれてきています」
クロベエは、壁をひと嗅ぎした。
> 「……おい。
昭和の匂いと、平成初期の匂い……
それに……もうひとつ……江戸の匂いが混ざってきてるな」
「三時代……!?」
> 「ああ。“家”が思い出してやがる。
過去の姿に戻ろうとしてるんだ」
クロベエの言葉に、葵の顔が引きつった。
「な、なんでそんな……!」
「浅間遼の術です」
玲は断言した。
「彼は“人の心の影”だけでなく、
“場所の記憶”まで刺激できるようですね」
「場所の……?」
「ええ。家は長く人が住めば住むほど……
“記憶の層”が蓄積します。
普通は動かないはずですが――」
> 「外から殴られりゃ、そりゃ起きちまう」
クロベエが付け加えた。
「――っ!」
突然、葵が息をのんだ。
リビングの白い壁紙が、
音もなく剥がれていく。
ではなく――
色が変わっていた。
白
↓
黄ばみ
↓
くすんだ木目
↓
古い土壁のような色
「うそ……
壁が……時代を……!」
「時代の記憶が混線しています」
玲は静かに言う。
「まだ物理的に変わっているわけではありませんが……
“目に見える”ところまでは来ています」
カスミがその壁に触れようとした瞬間、
「――っ!!」
手を引っ込め、肩を抱えて震えだした。
「ど、どうしたんですか!?」
「玲くん……未来が……また揺れた……!」
「どんな?」
「この家……“完全に別の時代”になっちゃう……
廊下も……台所も……!
なんか、誰かがそこに立ってる未来……!」
クロベエが低く唸る。
> 「家が完全に時代を取り戻したら……
元の時間に戻れなくなるぞ」
葵「そ、そんな……!!」
玲「いえ。まだ戻れます。
ですが、時間はありません」
玲は家の構造を頭に思い浮かべた。
(浅間遼が残した術式が一つとは限らない……
この家を“媒体”にしたのなら、
複数の“鍵”を仕込んでいるはず)
「クロベエ。
家の中に、他に強い匂いの場所は?」
> 「あるぜ。
二階の奥……“子供部屋だった場所”だ」
「子供部屋……?」
葵「そこ……私と弟が使っていた部屋です……!」
玲(弟さんとの記憶……
罪悪感の源……
そこに仕掛けた可能性が高い)
「急ぎましょう」
階段に差しかかると――
きしり、と音がした。
階段の段板が、
新しい板から古い色へと“逆行”していく。
「っ……!?」
葵「ど……どうなってるのこれ……!?」
玲「階段が“昭和後期”に戻っています。
次は……もっと古い時代が来る」
カスミ「これ……浅間遼の仕掛け……?」
「ええ。
この家全体を“影の舞台”に変えるつもりなのでしょう」
> 「若造、急がねぇと……
江戸まで戻っちまうぞ?」
「それは困ります」
玲は短く息を吐き、
変わりゆく階段を一段ずつ登った。
二階の廊下は完全に様変わりしていた。
平成の白壁が、
昭和の木造に変わり、
さらに古い時代の建具と混ざり合っている。
まるで――
“三つの時代が同時に存在している” ようだった。
そして、子供部屋の扉の前。
扉には見覚えのない 紙片 が貼られていた。
それは、墨のような色で描かれた曲線。
玲「……これも、遼の術式ですね」
カスミ「え……あれって呪符……?」
クロベエ> 「いや、呪符ってほどじゃねぇな。
“影の鍵”ってやつだ。
一度貼られたら、勝手に記憶を吸い寄せる」
葵「記憶を……吸い寄せる……?」
玲「ええ。
あなたの“弟さんの影”と“父親の影”を……
ここに集めようとしている」
「行きます。開けますよ」
玲が扉に触れた瞬間、
ゴウン……
扉が重く鳴り、
内側から冷たい風が吹き出した。
「れ、玲くん……!
これ……ただの部屋じゃない……!」
カスミの声が震える。
玲は扉をゆっくり押し開けた。
そこは——
葵が覚えている“昔の子供部屋”そのものだった。
古い机。
木箱のおもちゃ。
昭和レトロの布団。
しかし同時に、
平成の学習机も存在し、
さらに別の時代の畳も混在している。
「……これ……私の……昔の部屋……!」
「ええ。あなたの記憶がそのまま反映されています」
クロベエが尾をゆらりと揺らす。
> 「若造……
これ、“影の巣窟”ってやつだな」
玲「ええ。完全に“中心”です」
玲たちが中へ踏み込んだ瞬間、
バタン!!
扉が勝手に閉まった。
葵「きゃっ……!」
カスミ「これは……閉じ込められてる……!?
玲くん……!」
玲「大丈夫です。落ち着いてください。
まだ術は完成していません」
だがその時。
部屋の奥から――
コツ……コツ……
子供の足音がした。
続いて――
ドスッ、ドスッ……
(大人の足音)
そして最後に――
ザ……ザ……
(誰かが“すり足で歩く音”)
玲は息をのみ、
声の主を見据えた。
「来ましたね……
“影の中心”が」
いつもありがとうございます。また明日更新します。次回、第二章 第9話 影の中心
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