第二章 第7話 “影の操者”の痕跡
暴走していた影が散り、
廊下には静寂だけが残っていた。
しかし静けさは、安心とは程遠い。
玲は床に膝をつき、
残された“黒い残滓”を指で軽く触れた。
(これは……人間の記憶。
でも念が濃すぎる。
ただの訪問者の気配じゃない……)
カスミが覗き込む。
「玲くん、どう?」
「浅間遼の霊的残滓です。
彼はここで“記憶に干渉する術”を使いましたね」
「記憶に……干渉……?」
「ええ。家の記憶も、葵さんの罪悪感も……
ひとつに“混ぜた”んです」
カスミが震える。
「そんなこと……できるの?」
「普通はできません」
玲は眉を寄せる。
「遼は……“心の影”を覗く力を持っている」
玲はゆっくりと家を歩きながら、
玄関からリビングへ、そしてキッチンへと視線を巡らせた。
クロベエが先に動く。
> 「若造。匂いはここだ。
アイツ、玄関から入ってすぐに“何かした”な」
玄関の靴箱の横。
ほとんど目立たない場所に、黒いシミがあった。
玲はそのシミに手をかざす。
(……濃い。
これは“念の注入跡”だ。
ここで術を起動した……)
「玲くん、何かわかった?」
「黒い液体のように見えますが、
これは“遼の念が染み付いた痕跡”です。
気づかれないように……この家全体に浸透させた」
カスミ「そんな……! 家そのものを使ったってこと……?」
「ええ。家の記憶を“増幅器”に使われたんです」
クロベエが爪で床を引っかく。
> 「しかもコイツ……自分の念を完全に消しきらずに行きやがった。
自信家か……あるいは他に目的があるかだ」
玲は視線を葵に向けた。
「葵さん。
失礼ですが……あなたの心にも
まだ“何かの影”が残っています」
「え……!? さっきの影は……」
「さっきのは“大人の記憶の集合体”です。
でもあなたの罪悪感の影は、別にあります」
葵の瞳が揺れる。
「……そんな……私の中に……?」
玲は優しく頷いた。
「心の影は、霊ではありません。
しかし霊よりも強く、霊よりも厄介です」
カスミ「葵さん……たぶんね……
『あの時こうしていたら』って思いが……
形になりかけてるんだと思う」
葵「……“こうしていたら”……?」
「ええ。あなたは弟さんを守れなかった過去も、
甥御さんを守れなかった現在も、
同じように背負ってしまっている」
葵は両手をぎゅっと握った。
「私……そんなつもりは……!」
「つもりがなくても、心は感じてしまいます」
玲が続ける。
「そしてその“影”を――
浅間遼が利用したんです」
葵「利用……?」
玲「彼の力は、
“誰かが抱える影を増幅し、形にする”ものです」
カスミ「それって完全に……悪用じゃん……!」
クロベエ> 「ああ。しかもコイツは悪いが……
お前の影、めちゃくちゃ“扱いやすい匂い”してやがる」
葵「……っ!」
玲「黒兵衛、言い方」
「浅間遼が家の記憶に触れたのは一度だけじゃない。
おそらくまだ“仕掛け”があります」
玲「葵さん。
もう一度だけ思い出してほしい」
「え……」
「その“浅間遼”は、
家に来たとき何をしましたか?」
「な、何って……アンケート用紙を……
それから、部屋を見渡して……
あ……そういえば……!」
葵はハッとして口を押さえた。
玲「何か――?」
「彼……玄関マットの隅をそっと触って……
“部屋の空気、よく溜まりますね”って……!」
玲「……玄関マット?」
クロベエ> 「おい若造、それだ。完全に仕込みだ」
玲「……間違いありません」
玲は玄関へ向かい、
マットをゆっくりめくった。
すると――
畳の縁に、
かすかに“文字のようなもの”が刻まれていた。
玄関マットの下から現れた、
畳の縁に刻まれている薄い“線”と“模様”。
それはただの傷ではなく——
「れ、玲くん……これ……!」
カスミが指を震わせる。
「はい。間違いありません。
これは“術式”です」
クロベエも近づき、鼻をひくつかせた。
> 「……ふん。
これ、人間がやるには……ちと手慣れすぎてるな」
そう言いながら、クロベエはしばらく沈黙した。
> 「ただ……妙だな。
この“線の組み方”……どこかで嗅いだことがある。
けど、誰がやったかまではわからん」
「見覚え……あるんですか?」
> 「いや、正確には“似た匂いを嗅いだ”ってだけだ。
江戸の頃かも、もっと昔かも……。
長ぇこと霊やってると、術の“系統”くらいはわかるもんだ」
クロベエはあくまで“匂い”として語るが、
術者の特定には至っていない。
玲は術式を指先でなぞり、
その構造と“念の質”を読み取った。
「……これは、心の影を繋ぐ術です。
そして……この“念”の質……どこかで感じました」
「どこで……?」
「“先生”です」
玲がそう言った瞬間、
カスミの霊体がビクリと震えた。
「っ……!
あの……恐ろしい気配の人……!」
「断定はできません。
しかし……浅間遼は、一般人の範囲を越えています。
“先生”とは何らかの繋がりがあると考えても不自然ではない」
葵は青ざめる。
「そ、そんな……
あの人……ただのアンケートの人じゃ……!」
クロベエが尻尾をピンと立てた。
> 「まぁ、誰の弟子だろうが何者だろうが……
この術式はまだ未完成だ。
完全に起動する前に壊せば問題ない」
玲は頷く。
「ええ。ただし……」
> 「ただし?」
「浅間遼は、おそらくまた来ます。
この家を“完成形”にするために」
クロベエは目を細めた。
> 「ふん……つまりアイツ、まだ仕事が残ってるってわけか」
玲が葵へ向き直る。
「葵さん。
家の影はひとまず抑えましたが……
あなたの心の中には、まだ“第二の影”が残っています」
「に、二つも……?」
「はい。
一つは弟さんをかばえなかった頃の罪悪感。
もう一つは、甥御さんの事故に対する後悔。
浅間遼はその両方に触れています」
葵は震えながら胸に手を当てる。
「そんな……私……!」
カスミが優しい声で寄り添う。
「葵さん……大丈夫だよ。
影は“あなたが悪い”って言ってるんじゃない。
あなたがずっと……ひとりで抱えちゃったから」
突然、カスミが両腕を抱きしめた。
「……っ!」
「カスミさん?」
「い、今……未来が揺れた……!」
玲「どんな未来です?」
「家中が……“別の時代”に変わる……
廊下も……部屋も……全部……!
この家そのものが、影の過去と混ざる未来……!」
クロベエは鼻を鳴らした。
> 「ありえるな。
この術式……家を“媒体”にして使うタイプだ。
若造、お前も感じてるだろ」
玲「……はい。
このままだと――
家全体が“過去の時代”に呑まれます」
葵は震えた。
「そ……そんなことが……!」
「ええ。
浅間遼が再び来れば、確実に術式は完成します」
「葵さん。
私たちはこれから家の中に残された“遼の残滓”を探します。
術式を無効化するために」
「お、お願いします……!」
クロベエが鋭い目で家の奥を見つめた。
> 「若造。この家の“別の時代”の匂い、濃くなってるぜ」
「時間がねぇ。急ぐぞ」
玲「ええ。
影の連鎖が完成する前に、止めなければなりません」
そして玲は静かに告げた。
「浅間遼は――
“心の影を操る能力者”です。
この事件、ただの怪異では終わりません」
廊下の奥で、何かがわずかに揺れた。
まるで“別の時代”の誰かが、
そこに“立っている”かのように――。
いつもありがとうございます。また明日更新します。次回、第二章 第8話 揺らぎ始めた家
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