第二章 第5話 廊下を歩く大人の影
足音は、ゆっくりと確実に近づいてくる。
タン……
タン……
タン……
重たい。
しかし、生身の人間の体重とは違う。
影そのものが床を打つような――不自然な音。
玲はすぐに姿勢を低くし、審眼を強めた。
(……波長がバラバラだ。
まるで“複数の記憶”が引きずられて歩いているような……)
「れ、玲くん……!」
カスミが玲の肩に隠れるように寄った。
クロベエは逆に、影の進行方向へ堂々と歩み出る。
> 「よぉ、出てこい。ビビらせる意味なんざねぇだろ」
薄暗い廊下の向こう――
ゆっくりと“それ”が姿を見せた。
最初は黒いもや。
次に胴体の輪郭。
そして腕、足――
しかし、顔だけが見えない。
まるで“白紙”のように塗りつぶされている。
「な、なにこれ……人なの……?」
「いいえ。人ではありません」
玲は静かに答えた。
「“人の記憶”の集合体です。
家に積み重なった大人たちの残像が、一度に動いている」
カスミは目を丸くした。
「そんなこと……できるの……?」
「できる理由があるんですよ。
“刺激された”んです。この家の記憶が」
玲の視線が影へ向く。
影はゆっくり手を上げ、壁に触れ――
その瞬間、壁の模様が“昭和の木目”に変わった。
「うそ……部屋が……!」
カスミが驚愕する。
暗い木目の壁。
古いタンス。
テレビもない。
畳だけが敷かれた部屋。
それは――
「昔のこの家の姿……?」
「ええ。影が“絵本のページ”みたいに記憶をめくっています」
玲は静かに言った。
(しかし……
どうして大人の記憶ばかりが寄せ集められている?
本来なら子供の残像のほうが強いはずなのに……)
玲の思考を遮るように、影が動いた。
影の手が――
葵の方へ伸びる。
「っ……!」
葵は恐怖で動けない。
「玲くん!!」
即座にカスミが葵の前へ飛び出すが――
影の腕は霊体のはずのカスミを すり抜け た。
「え……? 通り抜けた……!?」
玲は低く言った。
「この影は“人”ではない。
あなたを捕まえられません」
「よ、よかった……!」
しかし。
「“心”は捕まえます」
玲の言葉の意味を悟る前に――
葵の涙がぽろりと落ちた。
「……私……知ってるんです……あの影……」
「え?」
葵は震えながら続けた。
「甥じゃありません……
でも……でも……
あの影……“父の気配”に似てるんです……!」
「父親……?」
葵はぽつりぽつりと語り出した。
「昔……私はこの家に住んでいました。
家族で……父と母と……私と……弟と……」
「弟……」
「父は……厳しくて……
弟が泣くたびに怒鳴って……
ときには……ひどい声で怒鳴って……」
葵は頭を抱えた。
「私はいつも……弟をかばえませんでした。
怖くて……!」
クロベエが小さく鳴いた。
> 「罪悪感が二重か……厄介だな」
玲は優しく言った。
「弟さん……今は?」
「元気です。でも……
あの頃の記憶が……家に残っていて……
“父の影”が動いている気がして……」
「その通りです」
玲は影を見据える。
「これは、あなたが見た恐怖の残像。
そして、この家が覚えている“大人たちの足音”。
それが合体して形になっている」
玲は影に近づき、静かに手をかざす。
(……問題は――
なぜ今になって記憶が動き出したのかということ)
クロベエが玲の横に並ぶ。
> 「若造、思い当たるだろ?」
「ええ、ひとつだけ」
玲は影を見つめたまま言った。
「この家の記憶を刺激しているのは――
“外から来た誰か”の念です」
「外から……?」
「家族のものでも、葵さんのものでもありません」
影がぴたりと動きを止めた。
そして――
影の顔の白紙部分だけが、ゆっくりと“こちらを向いた”。
金色の瞳を光らせ、クロベエは言う。
> 「――この家に、一度入った奴がいる。
そいつの“念”が、家を呼び起こしてやがる。
つまり……“犯人”はまだ近くにいるぞ」
「え……!」
「葵さん。身に覚えは?」
「い……いえ……誰も……!」
玲は影に手を伸ばしながら、冷静に言った。
「葵さん。
誰か、最近あなたの家に“上がり込んだ”人物はいませんか?
配達業者、親戚、友人……誰でもいい。
“家に入った人間”です」
葵は眉を寄せて考え込む。
そして――
「……あ……」
「ひとり……います……!!」
その瞬間。
影が勢いよく暴れた。
まるで「それを言うな」と叫ぶように――
廊下の壁を叩き、天井にまで伸び広がる。
「カスミさん、下がって!」
「う、うん!!」
クロベエが牙をむき、影に飛びかかる。
> 「このッ……暴れんじゃねぇ!!」
影の暴走は、家全体を揺るがす勢いだった。
いつもありがとうございます。また明日更新します。次回、第二章 第6話 影が暴れ始める
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