第二章 第1話 消えたはずの子供
深夜を少し過ぎたころ。
雑居ビル三階の「氷室心理相談室」の電話が、突然鳴り響いた。
――プルルルル。
玲は書類整理の手を止め、受話器に目を向ける。
「玲くん……こんな時間に電話?」
カスミが机の上あたりに浮いて、不安そうに問いかけた。
「たしかに珍しいですね。広告も出していないのに」
玲は受話器を取り、静かに名乗った。
「もしもし。氷室心理相談室です」
『……た、助けてください……!』
切羽詰まった女性の声。
息が乱れ、今にも泣き出しそうな緊張が伝わってくる。
「落ち着いて。ゆっくり話してください」
『うちの中に……“子供”がいるんです……。
声も、足音も……はっきり聞こえるんです……!』
カスミの霊体がびくりと震えた。
「子供……の霊、かな……?」
玲は眉を寄せる。
「その子供は、あなたのお子さんですか?」
『ち、違います……! 私は独身で……
それに……その子は……“死んだはずの子”なんです……』
空気が張り詰めた。
「どういう意味ですか」
『……甥なんです……
去年、事故で亡くなったはずの甥が……
今、階段の上に……立って……』
言葉が途切れ、雑音が混じる。
『お願いします……助けて……!』
そして電話が切れた。
室内に、妙な静寂だけが残る。
「玲くん……! 行かなきゃ!」
「ええ、当然です。ですが……」
玲はまだ沈黙している受話器をそっと置いてから、窓の外に目を向けた。
夜風の中に、わずかな霊的波長が漂っている。
(……子供の霊にしてはおかしい……
波長が古すぎる。百年以上前のものに近い……?)
「玲くん?」
「いえ。ただの予感です。
子供の霊だとしても、普通ではなさそうですね」
カスミの瞳が揺れた。
「……危ないの?」
「わかりません。ですが――」
玲はジャケットを羽織り、扉へ向かった。
「放ってはおけません。行きましょう」
「うん!」
カスミはふわっと飛んで玲の隣へ寄り添う。
霊体の輪郭が以前よりもはっきりしている。
(……カスミさん、強くなっている……)
玲はそんなことを思いながら、階段を降りていった。
タクシーに乗って20分ほど。
都内の住宅街にある小さな一軒家。
外観は普通だが、家の前に漂う霊気に、玲はすぐに気付く。
(……古い。やはり子供の霊ではない)
「玲くん、どう?」
「家の“記憶”が揺れてますね。
霊というより……もっと長く残っている何かがある」
カスミが首をかしげた。
「家の……記憶……?」
「ええ。建物そのものが持つ残留念です。
数十年、あるいは百年以上の……」
玲が説明し終わる前、
家の中から――
トン…トン…トン……
小さな足音が響いた。
カスミはぎゅっと玲の袖にしがみつく。
「い、今の……子供の足音だよね……!?」
「確かに小さい音ですが……波長が違うんですよ」
「違うって……どういう……」
玲は目を細めた。
(子供の霊特有の“軽さ”がない。
むしろ……老獪な気配すら感じる……)
「とにかく、入ってみましょう」
「う……うん……!」
玲がインターホンを押すと、
扉が少しだけ開き、怯えた女性が出てきた。
「さ……佐倉葵さんですね?」
「はい……! 本当に、来てくださって……!」
葵の顔は青ざめ、目には深い不安が宿っている。
「家の中に……まだいるんです……
“甥の影”が……」
そう言った瞬間、
リビングの奥から――
黒い影がすっと横切った。
カスミが息を呑む。
「ね、ねえ玲くん……!!
あれ……! 今の……!」
玲も見ていた。
黒い。
速い。
そして――異様に古い波長。
(……子供じゃない。
人間でもない。
これは……)
その黒い影がもう一度、
足元をすり抜けるように現れた。
細い尻尾。
小さな影。
四足。
カスミが震える声で言う。
「い、今の……猫……?」
「ええ……しかし普通の猫ではありません」
玲は確信した。
(――300年以上前の霊気だ)
その瞬間。
足元から、ふわっと黒い霊体が跳び上がり――
> 「うるさいぞ、小娘。
驚かせるな」
完璧な人語でそう言った。
玲とカスミが固まる。
黒い猫がしなやかに着地し、
尻尾をゆらりと揺らした。
> 「オレは黒兵衛。
300年生きた猫の幽霊だ。
さて――若造、依頼の邪魔をしに来たわけじゃなかろうな?」
クロベエの金色の瞳が、
玲を見上げていた。
いつもありがとうございます。また明日更新します。次回、第二章 第2話 300年猫霊
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