第1話 幽霊はベンチに座らない
はじめまして。新しいシリーズを始めました。読んでくださった方に少しでも楽しんでいただければ嬉しいです。
秋の昼下がり、人気の少ない公園に、冷たい風がすべり込んでいた。
黒いジャケットの男がひとり、ベンチに腰を下ろして空を仰ぐ。
白いシャツに細身の黒いパンツ。二十代前半にしては落ち着きすぎている横顔は、どこか眠たげで、けれど目だけが妙に澄んでいる。
彼――氷室玲は、深く息を吐いた。
「……それで、あなたの目的は何でしょう?」
問いかけた声は、ベンチの前に立つ女性に向けられたものだった。
明るいオレンジのトップスに、淡いベージュのボトムス。柔らかな色合いの服装が、逆にその表情の切迫感を際立たせている。二十代半ばほどの若い女性は、握りしめた両手を胸の前でぎゅっと固めていた。
「お願い。妹が騙されているの。助けてほしいのよ」
震え混じりの声。
玲は視線を空から外し、女性へと移した。
公園の遊具の周りには誰もいない。時折、ジョギング中のランナーが通り過ぎるだけだ。秋の光は柔らかいのに、風だけが妙に冷たい。
――こういう日は、霊がよく見える。
玲は心の中で小さくため息をつく。
「それで、僕になんのメリットが? それは警察の仕事でしょう」
女性の顔が、かすかに歪んだ。
「警察に行けないのは、わかるでしょ?」
にじむような視線で、彼女は自分の体を見下ろす。
「だって私――幽霊なんだから」
玲はまばたきを一度だけした。
驚きはしない。
彼には、最初からわかっていたからだ。
女性の輪郭は、他の人間よりわずかに薄い。
髪の先やスカートの裾が、風とは無関係の方向へふわりと揺れる。
そして何より――彼女の足元には、「影」がない。
「一応確認しますけど」
玲はベンチの背にもたれ、組んだ足を組み替えた。
「あなたの危険度は、どれくらいですか? 暴れたり、呪ったり、取り憑いたり」
「しないわよ!? 初対面の人に向かって失礼ね!」
幽霊とは思えないほど、反応は人間くさい。
玲は小さく肩をすくめた。
「こっちも命がかかってますので。僕に危険はないんですか?」
「ないわ。私はただの、ちょっと未練が重いだけの幽霊よ」
“ちょっと”ではなさそうだ、と玲は心の中で突っ込んだ。
「それに、お金も時間もかかりそうだ」
わざとらしく、さらにぼやいてみせる。
「あなた、幽霊の依頼なのにお金取る気なの?」
「当たり前でしょう。霊でも依頼者は依頼者です。あと、あなたが幽霊だとわかっていても、調べるべきは生きてる人間の方ですから。そっち方面の交通費やら何やらは、現実的に発生します」
「うぐっ……」
女性は言葉を詰まらせ、口をパクパクとさせた。
財布はもう持てない。幽霊だから。
「……ほら、やっぱりお金はないんでしょう?」
「そ、そりゃそうよ! 死んだあとまで生活費の心配したくないもの!」
「ですよね」
玲は静かに息を吐き、数秒黙り込む。
目を細め、相手を“視る”。
――色は、限りなく薄い。
殺意や怨念の色は見えない。代わりに、柔らかい橙色のような“誰かを想う気配”が、彼女の周囲に淡く漂っている。
玲の能力『審眼』は、霊の「本心」を色で映す。
嘘も、欺瞞も、悪意も、隠しようがない。
「では、こうしましょう」
玲は姿勢を正し、軽く右手を上げた。
「あなたが、僕の助手になる。期限は――僕が死ぬか、あなたが成仏するまで」
女性はぽかんと口を開けた。
「……助手?」
「はい。人手は欲しかったんです。生きてる人間の助手は、僕のことを気味悪がってすぐ辞めますからね。死んでる方なら、そのあたりは安心です」
「失礼ね!? というか、助手って何するのよ」
「情報収集、見張り、未来視。幽霊にしかできない特等席の仕事です」
玲はさりげなく言葉を織り込んだ。
――未来視。
彼女の“時間を超える性質”は、さっき公園に現れた瞬間から感じていた。
霊の中には、「時系列」の外側に立ってしまうものがいる。
過去も未来も、彼らにとっては同じ“平面”だ。
「……私は?」
女性は少し俯き、やがて顔を上げた。
「私の願いは、聞いてくれるの?」
「もちろん。あなたが僕に協力し続ける限りは」
玲は、ごく自然な調子で告げる。
「その代わり、嘘はつかないこと。僕に隠し事をしないこと。守れますか?」
「……しょうがないわね。それでオーケーよ」
短く息を吐き、女性は笑った。
さっきまでの切迫した表情とは違い、どこか肩の力が抜けた笑みだった。
「はい、それで決まりですね」
玲がうなずくと、女性はふと思い出したように声を上げる。
「そういえば、自己紹介がまだだったわね」
彼女は胸の前で両手を合わせ、ぺこりと頭を下げた。
「私は常盤カスミ(ときわ・カスミ)。ご覧のとおり幽霊よ。死因は……まあ、そのうち話すわ」
「先送りにされましたね」
「いいでしょ別に! あなたこそ、名前は?」
玲はゆっくりと立ち上がり、カスミの正面に向き直った。
「僕は氷室玲。霊能力探偵です」
その名を告げた瞬間、公園を吹き抜けた風が一段と冷たくなった。
カスミの輪郭が、一瞬だけ揺らいで見えた気がした。
――この出会いが、自分の未来を大きく変えることになる。
まだ、このときの玲は知らなかった。
読んでくださりありがとうございます。また更新します。次回、第2話 霊能力探偵の仕事場
気に入っていただけたら
⭐評価&ブクマして応援して下さい!




