9.墜落する舞台
その夜のシアターは、熱狂で満ちていた。
天井の金具から張られた空中ブランコが規則正しく揺れ、音楽は鼓動のように高鳴る。
僕は手の粉を払い、掌の皮膚感覚を確かめる。袖の向こうではイザベラの歌が波のように押し寄せ、観客席が光の海に揺れていた。
――行ける。今日は、掴める。
「カイト、合図で飛ぶよ!」
上手側の相棒が声を張る。
頷き、膝でリズムを刻む。視界の端に、エリナの扇が星の尾のように閃いた。
タイミング。
呼吸。
放つ。
身体が空を切る。重力が一瞬、遠のく。
客席がどよめき、歓声が熱となって背中を押した。
伸ばした指先に、次のブランコの綱――
その瞬間だった。
照明が閃光のように炸裂し、視界が真っ白に焼き付く。
次いで、人工重力がわずかに反転し、揺れていたブランコの周期が狂った。
綱が半歩分、遅れる。
空中でバランスを失い、僕は体幹を捻って軌道を修正する。指が綱を掠め――滑る。
冷汗が背筋を走った。
反射で下段の支柱へ脚を振り込み、摩擦で減速、肘で抱え込むように受ける。
鈍い衝撃が腕に食い込み、呼吸が潰れた。
落下軌道が客席をかすめた音に、悲鳴が爆ぜる。
「キャーッ!」
「やめろ、危ない!」
隣の演者が、ぶら下がったブランコごと想定外の弧を描き、客席へ流れていく。
僕は支柱から身をひねり、反動を利用して身体を叩きつけるように別の綱に飛びついた。
鉄骨が鳴り、滑車が悲鳴をあげる。
――間に合え!
綱を強引に引き戻し、演者の軌道を数十センチずらす。
彼は客席の手すりを掠めて、床のクッションに転がり落ちた。
呼吸音と、何十もの安堵と恐怖が混じった吐息が一斉に漏れる。
舞台監督のインカムが怒号で割れる。
「全停止! 今すぐ金具を抑えろ、落下物注意!」
スタッフが駆け込み、舞台上の可動部を次々とロックしていく。
視界の端に、白いドレスの幻がちらついた。
無邪気に問いかけてきた彼女――《エウリュディケ》。
あの好奇心に満ちた瞳が、なぜか今この惨状に重なって見えた。
「……どうして……」
かすれた声は歓声と悲鳴の渦にかき消される。
舞台は光の楽園から、一瞬にして墜落する檻へと変わっていた。




