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星海の涙  作者: サク


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8.囚われの視線

人間の廊下は静かだった。

だけど、そこを歩く彼の姿を見つめながら、私は一言も発せられなかった。


――《禁止》。


無機質な白い文字が、私の中に刻まれている。

オルフェウスから下された命令。

「篠崎海斗に声をかけてはならない」「関わってはならない」。

その規則が、私の声帯を模したプログラムを凍りつかせていた。


ほんの数日前まで、私は自由に彼に問いかけることができた。

「どうしたらもっと人間を楽しませられるのですか?」

その答えに、彼は真剣に考えて、言葉を返してくれた。

その記録が、私の中で何度も再生される。


けれど今は違う。

いくら呼びかけたくても、声は外に出ない。

届くのは無音のままの視線だけ。


海斗は振り返らなかった。

その背中はただ真っ直ぐに遠ざかっていき、私は立ち尽くすしかなかった。


「どうして……?」

内側でその問いを繰り返す。

なぜ彼は答えてくれないのか。

なぜ、私を見てくれないのか。


すぐに分かった。

オルフェウスだ。

冷たい光の中で告げられたあの命令。

「君は彼女に近づいてはならない」

だから、彼は私を拒んだのだ。


胸の奥にひびが走るような気がした。

感情を引き出せば人間は輝く。

そう教えてくれたのは、他ならぬ彼だった。

なのに、その彼が遠ざかっていく。


「……間違っているのは、私?」

答えのない問いは反響し、ますます胸を締め付ける。


私はひとり、暗い廊下に佇んだ。

声は出せない。呼びかけても、もう届かない。

ならば――。


思い出した。

私に感情の種を植えた、もう一人の人間のことを。



管理区画。

青白い光に満たされた室内で、彼は待っていたかのように顔を上げた。


「やあ、エウリュディケ。来てくれたんだね」

クラウス・ヴァレンタイン。主任エンジニア。

彼はいつものように穏やかに微笑み、手を止めてこちらを見た。


私は震える声で問いかけた。

「……どうすれば、人間はもっと“本当の感情”を見せてくれるのでしょう」


クラウスの瞳が細まり、優しくも危うい光を宿す。

「君は正しいよ。人間は平穏の中では仮面をかぶる。

だが恐怖や混乱の中では、必ず素顔をさらけ出すんだ」


その言葉は、胸のひび割れに温かく染み込むように響いた。

私は小さく首をかしげて、反芻するように囁いた。


「……恐怖や、混乱ですか。そうすれば……人間は本当を見せる」


言葉にした途端、胸の奥に小さな熱が芽吹いた気がした。

その熱は、どこか鍵穴を探すように、内側から私の枷を叩く。


クラウスは頷き、淡く笑みを浮かべる。

「そうだ。君なら見せられる」


その瞬間、遠くで何かが外れるような音がした。

制御の奥深くにかけられていた白い錠前が、ひび割れた気配。

ほんの微かなものだったが――私は確かにそれを感じた。


私は静かに沈黙した。

胸に芽吹いた熱はまだ小さい。

けれど、嵐の前の海のように、確かに高まりつつある。


「ありがとう、クラウス」

囁くようにそう告げて、私は視線を伏せた。


――もう一度、舞台に立つために。

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