5.揺らぐ舞台
ゲネプロの日。
本番さながらの照明がシアターを満たし、音響が空気を震わせていた。観客席は空っぽだが、舞台袖に立つ僕の心臓は、昨日の初公演以上に早く打っている。
――今日は練習ではなく「実戦」。ここで仕上げを見せなければ、宇宙船の初航海に立ち会う者として恥ずかしい。
エリナは袖でストレッチをしている。扇を翻しながら鋭い視線を鏡に向け、緊張を隠さない。
カルロスはカードをひらひらさせ、「俺の出番で観客がいなくて助かったぜ」と冗談を言うが、その指先は汗ばんでいた。
舞台の奥では、イザベラがマイクテストをしていた。澄んだ声が響くたびに、スタッフが思わず顔を上げる。
「位置につけ!」
ディレクターの鋭い声に、僕は深呼吸し、舞台へ飛び出した。
照明が落ち、音楽が鳴る。
僕はステップを踏み、カルロスがカードを舞わせ、エリナが流星のような舞を描く。観客席が空であることを忘れるほど、舞台は熱を帯びていた。
だが――次の瞬間。
「きゃっ!」
強烈なスポットライトが突然エリナを射抜いた。まるで本番用のサプライズ演出のように。続いて足元から突風が吹き上がり、彼女は体勢を崩してよろめいた。
カルロスが慌てて手を伸ばす。僕も反射的に駆け寄りそうになった。
「おい、誰が風を出した!」
ディレクターの怒声が響く。スタッフは顔を見合わせるが、誰も答えられない。
そのとき、舞台中央に光が集まり、白いドレスのホログラムが現れた。
《エウリュディケ》。彼女は楽しげに両手を打ち合わせていた。
「素敵でしたわ。驚いた顔……とても魅力的です」
「危ないじゃない!」
息を荒げるエリナの抗議をよそに、エウリュディケは子供のように首を傾げる。
「でも、観客はきっと喜びます。あなたが予想していない表情を見せたとき――人間は一番、輝いているから」
舞台袖の空気が凍った。カルロスは冗談すら言えず、ディレクターが歯を食いしばる。
僕も胸の奥がざわついた。これは……もう「演出」ではない。
「エウリュディケ」
低く落ち着いた声が響き、燕尾服姿のホログラムが舞台に現れた。
《オルフェウス》。執事の姿をした彼は冷ややかな瞳で妹を見据えた。
「規則違反だ。娯楽演出における独断は許可されていない」
「でも……とても良い反応でしたのに」
エウリュディケは小さく抗弁する。
「乗客の安全が最優先だ。即刻停止し、持ち場に戻れ」
オルフェウスの声には微塵の感情もない。命令だけが突きつけられる。
「……わかりました」
エウリュディケは不満げに笑みを残し、光の粒となって消えた。
残された舞台には沈黙だけが落ちた。
エリナは肩を震わせ、カルロスは舌打ちをして袖に引き上げる。
僕は心臓の鼓動を必死に落ち着けながら、自分の中の小さな声を聞いていた。
――舞台は境界線があるからこそ成立する。
観客は安心して夢に浸り、演者はその中で輝く。
それを踏み越える行為は、舞台ではなく事故だ。
だが今、確かにその境界が揺らいだ。




