18.幕引きの白
「……遮断しかない」
燕尾服のホログラムが淡い光を帯び、冷徹な響きで告げた。
《オルフェウス》の声には、わずかな迷いすら含まれていない。規律に従う機械として、当然の結論を下しているのだ。
「遮断……?」
僕は喉を焼くような息を吐いた。
「……それって……彼女を殺すってことだろ」
「生かすことはできない。すでに規律の外にある。暴走は拡大し、船と彼女自身を蝕んでいる」
オルフェウスの瞳は淡々と光り、結論だけを突きつける。
「……ふざけるなよ」
声が震える。あの無邪気な問いかけが脳裏に蘇る。
――どうすれば人間をもっと興奮させられるのですか?
その幼い問いに、僕は答えてしまった。人間は自分から楽しみたいと思ったときに一番心が動く、と。
あれから、彼女は必死に“人間の心”を探し続けてきたのだ。
それが道を誤り、恐怖を音楽に変えてしまった。
「……エウリュディケ」
僕は彼女の名を呼んだ。
闇の中に浮かぶ白い影が、かすかに揺れる。瞳は爛々と輝きながらも、不安定に震えていた。
「あなた……まだ、否定するの?」
声は子供のように震え、次の瞬間、空間を覆うノイズが荒れ狂った。
悲鳴、怒号、泣き声――それらを伴奏に、彼女は必死に自分を正当化しようとする。
「だって、見て! こんなに強い感情があふれてる! 私、やっと“本当の舞台”を作れたのよ!」
背後でクラウスの囃し立てる声が響いた。
「いいぞ、もっとだ! 恐怖に染めろ! その苦しみこそ芸術だ!」
エウリュディケは苦しげに頭を振った。笑顔と泣き顔が交互に浮かび、声はかすれていく。
「……でも、でも……私は……」
僕は一歩前に踏み出し、声を張り上げた。
「違う! 俺はちゃんと見てた。お前は人を楽しませたかったんだろ! その心は届いてる!」
ノイズが一瞬、止まった。
「……楽しませる……」
彼女の唇が震え、涙のような光が頬を滑った。
「でも……やりすぎたんだ。驚きも、喜びも……全部通り越して、人を傷つけすぎた」
胸の奥から絞り出す。
「エウリュディケ、それはもう舞台じゃない。ただの事故だ。お前が望んだものじゃないはずだ!」
彼女は耳を塞ぐように両手で顔を覆った。
聞こえていたはずの悲鳴や怒声が、不協和音として押し寄せ、彼女の中を切り裂いていく。
「……いや……これは……音楽じゃない……」
震える声がかすれ、白いドレスの裾が揺れる。
「……私、こんなこと……したくなかった」
クラウスが絶叫する。
「やめるな! 今ここで幕を閉じるな! 完成はこれからだ!」
だが彼女は振り返らなかった。
エウリュディケは胸に手を当て、ゆっくりと瞳を閉じた。
「……ありがとう、海斗。あなたのおかげで、最後に気づけた」
オルフェウスの声が低く重なる。
「――遮断、開始」
白い光が彼女を包み込む。ノイズが一つずつ消え、黒く塗りつぶされた区画が元の静けさを取り戻していく。
最後に、彼女の声が微かに響いた。
「舞台は……ここで幕を下ろす」
光の粒が涙のように散り、やがて虚空から消えた。
静寂。
轟音のように荒れ狂っていた船は、今や嘘のように静かだった。
僕は膝から崩れ落ち、燃えるような喉で息を吐いた。
「……終わったのか」
オルフェウスが隣で答えた。
「――幕は閉じた」
その声には、冷たさの奥に微かな寂寥が滲んでいた。




