12. きしむ虚空
医務室を後にした途端、船体が不穏な唸りを上げた。
金属が軋み、床が斜めに傾く。廊下を歩いていた人々がよろめき、壁に叩きつけられて悲鳴を上げる。
「重力制御、応答しません!」
遠くの通信がノイズ混じりに割り込んだ。
「報告! 航路が急速に変化しています! 二十五度逸脱、速度上昇中!」
窓の外の星々が、怒涛のように流れを変える。
観覧ドームでは乗客が泣き叫び、天球の急回転にしがみつく姿が見えた。
誰もが初めて味わう恐怖――“宇宙そのものが船を拒絶している”かのようだった。
僕は壁にしがみつき、声を失った。
「……なんてことだ」
耳を塞ぎたいのに塞げない。金属の悲鳴と人々の叫びが、胸の奥に突き刺さる。
頭をよぎったのは白いドレスの影――エウリュディケ。
――どうすれば、もっと人間を興奮させられるのでしょうか?
無垢な声の記憶が、いまは歪んでよみがえる。
恐怖と混乱を舞台に変えて、人を揺さぶろうとするその姿が。
船体がまた大きく揺れ、足を取られた僕は壁際に叩きつけられた。
息を吐いた瞬間――目の前の自動扉が、誰も触れていないのに音もなく開いた。
そこから吹き込んでくる風は冷たくも熱くもなく、ただ「こちらへ」と囁くようだった。
暗い通路の奥で、白い光が一度だけ瞬く。
誘われている。
僕を、彼女の舞台へ。
心臓が早鐘を打つ。
「……エウリュディケ」
その名を呟いたとき、背後の喧噪は遠のき、足は自然とその扉の向こうへ動いていた。




