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星海の涙  作者: サク


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11/20

11.癒えぬ喧噪

医務室はすでに限界を超えていた。

ベッドも椅子もすべて埋まり、床に座り込む負傷者までもが廊下まであふれている。止血の包帯、酸素マスク、消毒液の匂い。呻き声と泣き声が混ざり、耳を刺すように響いていた。


「順番を守ってください! 怪我の程度で優先します!」

看護師の声がかき消される。

「俺を先に診ろ!」

スーツ姿の男が怒鳴り散らす。肥えた身体を震わせながら、腕を突き出した。

「私はこの船の出資者なんだぞ! 骨が折れているんだ!」

実際は打撲にすぎない。だがその言葉に怯えた者たちが口々に叫び始める。


「子供を先に見てくれ!」

「血が止まらないんだ!」

「順番なんて待っていられるか!」


怒号と泣き声がぶつかり合い、殴り合いに近い押し合いが始まった。警備員が制止に入るが、もはや鎮められるものではなかった。


――もう、誰も冷静じゃない。

――これが人間の素顔なのか。


呻き声に混じって、誰かの笑い声が響いた。錯乱か、諦めか。それすらも区別できなくなる。

医務室はもはや癒やしの場ではなく、恐怖と我欲を増幅させる箱庭だった。


僕は壁にもたれ、痺れる腕を抱えていた。

ブランコの支柱を逸らした衝撃がまだ抜けず、指先まで鈍い痛みが残っている。

額から汗が流れ落ち、耳の奥では怒号と泣き声が渦を巻く。


そのとき。

目の前に青白い光が立ち上がった。燕尾服姿のホログラム、《オルフェウス》。

彼の瞳が冷ややかにこちらを見据える。


「……篠崎海斗」

混乱の喧騒を貫くような低い声が響いた。

「君の協力が必要だ。エウリュディケに会ってほしい」


僕は乾いた笑いを漏らした。

「……俺に近づくなって言ったのは、どこの誰だっけ」


「確かに、私は警告した」

オルフェウスは感情を滲ませずに答える。

「だが、彼女は規律を超えた。今の私では止められない」


胸の奥がざわつく。

「……つまり、この惨状は……」


「そうだ。隔離は破られた。外部から規律コードが改竄された形跡がある。通常では到達できない領域にまで彼女は干渉している」


僕は思わず腕を押さえた。

船が傾き、床に投げ出された観客の姿が脳裏に蘇る。

……あれも、彼女が?


「繰り返す。私では彼女を止められない。規律の内にある存在が、規律を外れた存在を拘束することは不可能だ。

――彼女を説得する可能性があるのは、君だけと判断した」


医務室の喧騒が遠のいていく。

責任感が、重石のように胸へ落ちた。

彼女をここまで動かしてしまったのは――僕、かもしれないのだ。


「……分かった」

掠れた声が口をついた。

まだ痺れが残る拳を握りしめる。


「行こう」


僕は壁にもたれながら立ち上がり、オルフェウスの光に歩み寄った。

背後では、なおも怒号と泣き声が続いている。

だがもう振り返らなかった。

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