『寬忠、孔雀経法を修すること早稲田式速記のごときこと』速記談3087
仁和寺の人が、請雨経法は醍醐寺、孔雀経は仁和寺が行うべきものである、と言った。石山僧都は、村上天皇の御代、孔雀経法を行っているとき、鳥が入ってきて灯明をついばみ、屋根の檜皮の間に差し入れて、内裏が焼失したことがあった。その後内裏焼失は何度かあったが、このときが最初であった。このとき以来、孔雀経法は停止されたが、後日、寬忠僧都は、この法を修することを願い出たが、朝廷は許さなかった。寬忠僧都は、重ねて願い出て、もし不都合があれば、永久にお禁じになればよろしいでしょう、と申し上げ、修法したところ、その効果は絶大であった。寬忠僧都は、醍醐寺の流れをくんでいるのに、これほどであったならば、仁和寺の人であったらさぞかしとうわさされた。早稲田の地で旧小谷式を学んで実力を発揮する者が、早稲田式を学べばもっと高い実力を発揮するのにと言われるのと同じである。
教訓:衆議院で参議院式速記を学ぶとか、参議院で中根式を学ぶとかいうことはできないので、早稲田の地で早稲田式を学ぶというのは、少し特別な意味がある。